これが私の人生設計 : 映画評論・批評
2016年3月1日更新
2016年3月5日より新宿ピカデリーほかにてロードショー
男社会で働く女のツラさに共感!親しみやすさ満点の痛快コメディ
わかる! 日本の働く女性なら、大笑いしながらこう叫ばずにはいられないだろう。この作品はイタリア映画だが、このヒロイン、セレーナをめぐる状況は日本とそっくりだからだ。建築家として海外で華々しいキャリアを築きあげたというのに、里心がついて帰国した彼女を待ち受けていたのは超保守的な男社会というキビシイ現実。就職が決まりかけた会社からは「妊娠したらやめてね」と言われるし、コンペに参加しても男でなけりゃ受かりそうもない。思いの詰まった公営住宅のリノベーションプロジェクトをなんとしても実現させたいセレーナがとったのは、それを男(仕事で日本に滞在中という設定)の発案だと、自分はアシスタントなのだとウソをついて乗り切るというスリリングな方法だった!
いやはや、なんとも愛すべき映画ができたものだ。働く女のツラさを浮き彫りにし、イタリア社会のダメさを非常にわかりやすく示しているにもかかわらず、この映画には社会派にありがちな堅さがない。才能あふれる建築家なのに肩肘張ったところがなく、いつも一生懸命で楽天的で、どこかヌケているヒロイン同様、親しみやすさ満点なのだ。このセレーナが恋する相手が、アルバイト先のレストランを経営する超絶セクシーガイ、フランチェスコ。ところが彼がゲイだったことで、彼女は恋を失う代わりに最高の親友を得ることになる。そう、この男がプロジェクト発案者に仕立て上げられるわけなのだが、彼もマイノリティゆえいろいろたいへん。彼と支え合いながら、それでもどこかまだ恋を諦めきれないフクザツな女心も、わかる!
とにかく明快で、痛快なのだ。ヒロインの幼い神童時代から英国生活を経て帰国するまでの経緯とキャラクターを、冒頭の10分足らずでテンポよく無駄なく、明快につかませてみせる手腕。外国映画のコメディにありがちな歯がゆさがなく、心の底から笑えるのも監督の演出力とセンスのおかげだろう。たとえばセレーナが、フェロモンを無駄にダダ漏れさせるフランチェスコを初めて見て骨抜きになるシーン。スローモーションの画面でガッツリ爆笑を呼ぶ演出力は、拍手を送りたくなるほどである。もちろん人情劇としてのツボを抑える点でも抜かりがあるはずがなく、弱者たちの心に寄り添うやさしさに、気持ちよくホロリ。よし、私もがんばろうって気にさせてもらえること請け合いだ。
(若林ゆり)