奇蹟がくれた数式のレビュー・感想・評価
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見出したのはイギリス人
インドの天才数学者ラマヌジャン(デブ・パテル)と彼を見出したイギリスの数学者(ジェレミー・アイアンズ)の物語。 数学者が天才というのはよくわからなかったが、イギリスの保守性もきちんと描いており、ケンブリッジといえども、という感じ。 手堅い演出なので勉強するみたい。
面白かったです。
植民地であったインドからイギリスへ。色々苦悩や苦難にぶち当たりながらも、なんとか前に進めた主人公。その主人公を支え、共に研究した2人の数学者。1つの共通点から親しくなり、周囲を納得させていく。感動します。 既にあるが、形にできないもの。公式が今どのくらいあるのか知りませんが、成立してないもの,概念すらないものはいくつあるのでしょうね。 直感、啓示からなる数学者。
数学者の話は面白い
数学者の話は面白かったなあ。 「博士と彼女のセオリー」は、素敵なラブロマンス、「イミテーションゲーム」は、数学にかける青春 X 悲劇だったが、この「奇蹟がくれた数式」は、数学者どおしの友情。SF映画、青春映画に続いて、基本的に満足できる映画群「科学者ドキュメンタリー」ができた。 ラマヌジャンもハーディーも魅力的な科学者だった。 奥さんやった女優は可愛いかった。
インドの奥様って可愛い!
『奇蹟がくれた数式(2015)』 原題:THE MAN WHO KNEW INFINITY (あらすじ) 1914年。ケンブリッジ大学で数学を教えるハーディ(ジェレミー・アイアンズ)の元に、インドから手紙が届く。 手紙の主はラマヌジャン(デヴ・パテル)。手紙に記されていたのは、無限に続く和の形で表される数式="無限級数"(永遠に続く和=1+2+3+4+……)に関することで、オイラーの「ゼーダ関数」と同じ答えを、独学でオリジナルの美しい方程式で導き出していました。 ハーディはラマヌジャンをケンブリッジに呼び寄せ、共同研究を始める。が、そこには宗教、人種などといった壁が立ちはだかる。 ※新年初映画でした。実話でございます。 またまた私語りになるのですが、数学が苦手でしたー。 あ、苦手っていうレベルでないことは、高校の時に受けた模擬試験のコメントから窺われます。 「貴女は数学的な物の考え方ができません」 数学的な考え方? 私はこの映画を観るまで、「数学的な考え方?意味わかんねー」と、釈然としない思いで30年近く生きてきました。 数学的に物を考える。ってどういうことですか? 試験勉強は数学しかしないのに、赤点ギリギリとか、1回は0点だった時もあります。 不思議なことに、「答えは全て合っているが、そこに辿り着く方法が間違っている。教えた方法と違う」と言われ、0点でした。 数学って、答えが重要じゃないの? プロセスが重要なの? おら、わかんね。おら、わかんね。 このわかんね状態で、35歳で金融業界に転職して、都市銀(住宅ローン)→保険会社(資産運用商品)に行く過程で、数式は数式でも、お金に関わる数式なら、すっと頭に入ってくるタイプの人間だって気付いたんです。 このラマヌジャンは、アインシュタインに匹敵するほどの天才と言われているんですね。 恥ずかしながら、この映画を観るまで存じ上げませんでした。 ラマヌジャンは独学だったため、生み出した方程式は「思いつき(直感)」によるものです。 後になって、その直感のことを"女神の導き"と表現しています。 なので、その方程式が正しいかどうが、証明するという概念がないんですね。 あのー、直感で方程式が現れるってどういうことでしょう? ラマヌジャン曰く「方程式を書く」=絵を描くのと同じ。数学は芸術だ! そうなんです!数学的な物の考え方なんつーのは、ない! なので、ハーディから「正しいことが証明できないと、この方程式は方程式ですらない!」と言われ、最初は凄く反発するんです。 あ、これが数学的な物の考え方か!と、ちょっと納得しました。 つまりラマヌジャンの直感は神がくれた物なので、それを否定するのは神を否定すること。 って、なるんです。 無神論者でコミュ障のハーディとラマヌジャンは、なかなか上手くいきません。 その内、ラマヌジャンの体に異変が……。 ハーディはコミュ障なので、相手が具合が悪いとか、なかなか気付かない。 当時のケンブリッジですから、そうとう差別があったのではないかと想像します。 本作でも教授から、あからさまな差別を受けるシーンがあります。 ストーリー自体は王道でよくある伝記物ですが、ラマヌジャン役のデヴ・パテルの必死の眼差しとか、こんな偏屈な役をやらせたら右に出る者がいないジェレミー・アイアンズのコンビが妙に良くて、新年から号泣してしまいました。 カーストの低い身分に生まれたラマヌジャンは、30歳くらいでハーディに見出されます。でも、もっと早い段階で専門的な勉強を初めていたら、どんな発見をしていたのだろう?と思いました。 私は無神論者ですけれども、もし神様がいるなら、全ての子供の傍に、その子の才能を発見する大人を配置してくれないだろうか?といつも思います。 私もそんな役目を背負っている大人の1人であるということを、忘れないようにしないといけないなーと思いました。 しかし、いつもの邦題問題。やすっぽい感動系のタイトルにしないで! 原題:THE MAN WHO KNEW INFINITY INFINITY=∞ ∞を知る男。でしょうか。 ラマヌジャンの功績の中で有名なのが"擬テータ関数"らしいのですが、そこから来たタイトルでしょうか。 この擬テータ関数が理解されたのは、2005年。 天才に時代が追いつくまで、100年近くかかったわけです。 この擬テータ関数は、ブラックホールや、インターネット網の研究に使われているらしいです。 ああ、新年からええ映画観ました! PS マダム・イン・ニューヨークで思ったんですが、インドの奥様たちって可愛いですよね!
分数
実在した天才を描いた映画って本当ハズレがない。 分数の計算すら怪しい数学アレルギーな僕でも、小難しい数式などは敢えて出てこないので楽しめた。 ひたすら、粛々とラマヌジャンと共同研究者の教授の奮闘を描いており、盛り上がりは少ないがかなり質の高い映画。 数学出きるようになりたい。 92
いまでは「アインシュタインと並ぶ天才」と称えられている夭逝の数学者...
いまでは「アインシュタインと並ぶ天才」と称えられている夭逝の数学者ラマヌジャン(デヴ・パテル)と名門ケンブリッジ大学で教授を務める数学者ハーディ(ジェレミー・アイアンズ)との出会いと、インド出身の若者が数学者として認められるまの過程が描かれいるヒューマンドラマ。 当時インドはイギリスの植民地で相当な決断で海を渡ったんですね。 学歴もなく身分の低いインド青年の孤独。 彼の直感を証明として残さなければならない事を理解して貰いたいハーディの闘い。 2人が言葉の壁、文化の壁を乗り越えて証明できたものは数式だけではなく、2人の間に生まれた絆もだったのでは。 デヴ・パテルは「スラムドッグ$ミリオネア」でも天才ぶりを発揮。ジェレミー・アイアンズは最近観た「ある天文学者の恋文」で天文学者を演じてましたが、同じ大学教授役でも数学者と天文学者、人間性が全く違くてそこも楽しめました。2人を見守るリトルウッド(トビー・ジョーンズ)もいい存在感でした。
宗教と数学
日本人は一部の人を除いて宗教的な生活とは無縁だ。葬式仏教というあまり好ましくない言葉がある通り、結婚式では神父または牧師の案内によって愛を誓い、葬式では坊主の経や説教を大人しく聞くが、日常生活で宗教を意識することはあまりない。 これはイザヤ・ベンダサンが「日本教」と名付けた精神性のせいもあるだろうが、そもそも神道が八百万の神として万物に神が宿っているとしたことから、特定の神を想定するという習慣がない。日本人が関心を持つのはどうすれば利するかということだけで、金運がアップするという神社があればそこに人が押し寄せる。御利益(ごりやく)と利益(りえき)は同じなのだ。 しかし神道や仏教以外の宗教では唯一神があり、万能の力を発揮し続ける。神の存在には何の根拠もないが、根拠がなくても兎に角この宇宙に神が存在していると思い込むことが信仰だ。 科学者は現象を仮説によって説明し、その仮説を証明することが仕事だ。したがって存在を証明できない神を信じる科学者はいないと思われがちだが、欧米人の科学者の多くは神を信じているらしい。アインシュタインも熱心なクリスチャンだった。 本作の主人公シュリニヴァーサ・ラマヌジャンも熱心なヒンドゥー教徒だ。そして独学の数学者である。数学では定理や公理や公式は論理的に導き出せる結論としての証明を必要とする。ラマヌジャンはヒンドゥー教については数学的な思考をしない。映画ではラマヌジャンの発想がどこから出てくるのかを本人が説明することで宗教と数学がひとりの人間に同居する理由を表現しているが、無宗教の人間には理解し難い部分だ。 共同研究者のハーディも無宗教であり、ラマヌジャンの信仰を理解しなかったが、自分よりもずいぶんと若いインドの天才に、宗教や習慣の壁を越えて友情を抱く器量の大きさがあった。ラマヌジャンの活躍はハーディの懐の深さによるところが大きい。ラマヌジャンを王立協会の会員に推薦する演説はこの映画の一番の見せ所であり、名優ジェレミー・アイアンズの重厚な演技が光る。短い場面だが息を呑む迫力がある。 ラマヌジャンを演じたデブ・パテルは「チャッピー」でも真面目で思い込みの激しい研究者を演じていたが、こういう役が嵌り役なのだろう。若いが安心してみていられる役者だ。
悲しい結末
ずば抜けた頭脳や才能を持つ者は、階級や差別、そして嫉妬に潰されてしまいがちな人間社会において、その才能を認め後押しをしてくれる人が現れるというのはとても心強い事だと思う。 だけど、時代によってはそれもどれ程の力になってくれることか… 結局、彼は認められたがさぞかし悔いが残っただろうね。
数学の普遍性と美しさ
彼らは、数式というユニバーサルな言語を共通の言葉として、真理の探究をしている。しかし、研究者である前に一人の人間でもある。ハーディは人嫌いで人付き合いもほとんどしないようすだが、気持ちをある程度許しているのは、執事?と同僚のリトルウッドだけだ。独身で数学が人生の伴侶なのだ。ラマヌジャンは自分の数学への正当な評価を求め、それが家族への責任とも考えている。ベジタリアン、宗教の違い、服装や外見の違いは真理の前ではささやかなものだが、たった一人で異なった社会にはいった人間には、過酷な試練となった。 友情の難しさと可能性、希望、真理の前には人生は短い…などなどが感想です。 主役二人は、好きな俳優さんでさすがの演技でしたが、脇役もそれぞれがクッキリと見えていました。
出会いが人を深化させる
先日鑑賞したベストセラーを陽とすれば、これは陰なる輝き。作り方としてはイングランド視点なので、ハーディの出会いと進化と捉えると、時代を切り取りつつの素敵な色彩を放つ儚くもいとおしい作品に映る気がしました。 それにしても、デブ・パテル。エゴイスティックな役が多く、好みがわかれるところでしょうが、若い頃のアンディ・ガルシアのような美しい表情と佇まいを見せてくれて、作品ごとに好きになってまいりますな。
どうも共感出来なかった・・・
他国の人にとっては分からん風習というものは、日本国内にも分からん風習が一杯あるじゃんかよ!と,逆に言われているのかもしれない中での感想… 数学に限らず,色んな所で色んなジャンルに長けている人は、凄い!し&尊敬に値する。 インドの仕来り?風習なるものには,一寸感情移入出来ず〜そっかぁ,実話なんだぁ〜と感心するだけで,映画作品の【面白味】というものを感じ取れなかったなぁ〜&御免なさい(-。-;
数学でやるところが
数学のかわりに、ボクシングやサッカー、野球にすれば似たストーリーが浮かぶよね。 「・・・あなたにとっては、人よりもボクシングの方が重要なのね」 「ああ、そうかもしれない。 キミは例外だけどね」 (ぽっ❤️) これを数学でやるところが、とても面白かった!
天才は報われない。
インドの天才数学者ラマヌジャンと、彼を見出したG・H・ハーディとの交流の実話を描いた作品。 本当に、ラマヌジャンとハーディの交流しか描かれていません(笑)。そう言う意味では、ラマヌジャンが、なぜ数学に興味をもったのかと言う事が判らないので、突然現れた天才と言う風にしか感じません。でも、色々と調べてみると、彼は、数学に熱中するあまりに途中退学となってしまって卒業はしていませんが、大学に入学はしているんですね。でも、そう言う背景がなくても、ラマヌジャンとハーディの人と人の交流という観点を描いている物語なので、特に障害にはなりません。 何と言っても、ジェレミー・アイアンズかなぁ。こう言う学者のような役が似合いますねぇ。彼は、その昔『ダイ・ハード3』でテロリストを演じたりもしていますが、そのテロリストも、どこかしか知性を感じさせるものだったことを思い出しました。 ラマヌジャンを演じたデーブ・パテルですが、彼は『スラムドッグ$ミリオネア』で、主演の少年を演じていたんですね。って言うか、『スラムドッグ$ミリオネア』も天才的な才能を示した人物を演じていたので、そう言う天才の役に彼は縁があるんですね。って言うか、デーブ・パテル、『チャッピー』にも出ていたか。 数学の話は、XX問題とか言うように、その命題は出てきますが、何かを計算するなどは出てきませんので、数学が苦手でも大丈夫です(笑)。上記に記したように、子弟あるいは同じ数学を志す友人同士の交流を描いた作品です。中々、面白かったです。
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