奇蹟がくれた数式のレビュー・感想・評価
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数学変態のロマン
パンフレットによるとインドではアインシュタイン級の有名人であるらしいラマヌジャン。ハーディもリトルウッドも含めて、俳優達が良い感じだった。この人物の閃きの、脳科学的な説明がほしい。映画としてもうちょい面白く観せる演出があっても良い気はしたけど、つまり興味を持てない人は眠くなるのではないかと危惧するけど、数学ロマンを何となくでも解する人は観ておくべき。
宗教と数学
日本人は一部の人を除いて宗教的な生活とは無縁だ。葬式仏教というあまり好ましくない言葉がある通り、結婚式では神父または牧師の案内によって愛を誓い、葬式では坊主の経や説教を大人しく聞くが、日常生活で宗教を意識することはあまりない。 これはイザヤ・ベンダサンが「日本教」と名付けた精神性のせいもあるだろうが、そもそも神道が八百万の神として万物に神が宿っているとしたことから、特定の神を想定するという習慣がない。日本人が関心を持つのはどうすれば利するかということだけで、金運がアップするという神社があればそこに人が押し寄せる。御利益(ごりやく)と利益(りえき)は同じなのだ。 しかし神道や仏教以外の宗教では唯一神があり、万能の力を発揮し続ける。神の存在には何の根拠もないが、根拠がなくても兎に角この宇宙に神が存在していると思い込むことが信仰だ。 科学者は現象を仮説によって説明し、その仮説を証明することが仕事だ。したがって存在を証明できない神を信じる科学者はいないと思われがちだが、欧米人の科学者の多くは神を信じているらしい。アインシュタインも熱心なクリスチャンだった。 本作の主人公シュリニヴァーサ・ラマヌジャンも熱心なヒンドゥー教徒だ。そして独学の数学者である。数学では定理や公理や公式は論理的に導き出せる結論としての証明を必要とする。ラマヌジャンはヒンドゥー教については数学的な思考をしない。映画ではラマヌジャンの発想がどこから出てくるのかを本人が説明することで宗教と数学がひとりの人間に同居する理由を表現しているが、無宗教の人間には理解し難い部分だ。 共同研究者のハーディも無宗教であり、ラマヌジャンの信仰を理解しなかったが、自分よりもずいぶんと若いインドの天才に、宗教や習慣の壁を越えて友情を抱く器量の大きさがあった。ラマヌジャンの活躍はハーディの懐の深さによるところが大きい。ラマヌジャンを王立協会の会員に推薦する演説はこの映画の一番の見せ所であり、名優ジェレミー・アイアンズの重厚な演技が光る。短い場面だが息を呑む迫力がある。 ラマヌジャンを演じたデブ・パテルは「チャッピー」でも真面目で思い込みの激しい研究者を演じていたが、こういう役が嵌り役なのだろう。若いが安心してみていられる役者だ。
悲しい結末
ずば抜けた頭脳や才能を持つ者は、階級や差別、そして嫉妬に潰されてしまいがちな人間社会において、その才能を認め後押しをしてくれる人が現れるというのはとても心強い事だと思う。 だけど、時代によってはそれもどれ程の力になってくれることか… 結局、彼は認められたがさぞかし悔いが残っただろうね。
数学の普遍性と美しさ
彼らは、数式というユニバーサルな言語を共通の言葉として、真理の探究をしている。しかし、研究者である前に一人の人間でもある。ハーディは人嫌いで人付き合いもほとんどしないようすだが、気持ちをある程度許しているのは、執事?と同僚のリトルウッドだけだ。独身で数学が人生の伴侶なのだ。ラマヌジャンは自分の数学への正当な評価を求め、それが家族への責任とも考えている。ベジタリアン、宗教の違い、服装や外見の違いは真理の前ではささやかなものだが、たった一人で異なった社会にはいった人間には、過酷な試練となった。 友情の難しさと可能性、希望、真理の前には人生は短い…などなどが感想です。 主役二人は、好きな俳優さんでさすがの演技でしたが、脇役もそれぞれがクッキリと見えていました。
出会いが人を深化させる
先日鑑賞したベストセラーを陽とすれば、これは陰なる輝き。作り方としてはイングランド視点なので、ハーディの出会いと進化と捉えると、時代を切り取りつつの素敵な色彩を放つ儚くもいとおしい作品に映る気がしました。 それにしても、デブ・パテル。エゴイスティックな役が多く、好みがわかれるところでしょうが、若い頃のアンディ・ガルシアのような美しい表情と佇まいを見せてくれて、作品ごとに好きになってまいりますな。
どうも共感出来なかった・・・
他国の人にとっては分からん風習というものは、日本国内にも分からん風習が一杯あるじゃんかよ!と,逆に言われているのかもしれない中での感想… 数学に限らず,色んな所で色んなジャンルに長けている人は、凄い!し&尊敬に値する。 インドの仕来り?風習なるものには,一寸感情移入出来ず〜そっかぁ,実話なんだぁ〜と感心するだけで,映画作品の【面白味】というものを感じ取れなかったなぁ〜&御免なさい(-。-;
クライマックスが
クライマックスがぼんやりしており、盛り上がりに欠けると思った。
以下気になった点を3つ。
1.(出演者の演技ではなく)シナリオとしての演技がイマイチ
ストーリー内で、「証明証明」とうるさく言う割には、教授たちが数式を見ただけでハッと顔を変え、内容に夢中になるのが気になる。
数式に限らず、一瞬見ただけで、内容がわかるだろうか?ある程度読んで、自分の中で腑に落ちてあの表情になるのではないか?さらに数学の特性を考えると、読んで「うーん」ってなんとなく理解し、自分で内容をつぶさに確認していく過程で、ゾクゾクと感じるもので、あんな顔に出ない、静かな感動なのではないか?
2.友情の発展が???
衝突し、理解しあい、その関係を再破壊する新たな大きな衝突、そしてそれを乗り越えた理解という関係の繰り返しが、振り子の振れ幅が大きくなるように訪れてくるのなら、絆の強さを感じられるのだが、さっきと同じ衝突じゃん、それは解決したんじゃないの?といった感じで、同じような関係を繰り返し見せられ、発展性を感じることができなかった。
3.そもそも友情が成立していたか?
最初のモノローグで友情がテーマですとあり、クライマックスは、神を信じるラマヌジャンと神を信じないハーディだが、数式を通して理解し合えたみたいなオチだったけど、果たして友情が芽生えたか?
ラマヌジャンに関しては、最初から「自分の数式を数学界(神)に認めてほしい」という信念に一貫している。一方、神を信じないというハーディだが、彼が信じているものは何か?本人の口から語られないので不確かだが、「大学内政治におけるポジション(権威)」だと思う。彼は神を崇めたいのではなく、(学内で)神として崇められたい。彼はひたすら最後までフェローにこだわるが、ラマヌジャンにとっては、割とどうでもいいことなのではないか?
ラマヌジャンにとって、数式は神に認められるツールだったし、ハーディにとっては神として崇めれるためのツールだった。このお互いの信念は、最後まで変わらないし、交わることがない。たまたま数式の証明という手段において協力した(利用した?)に過ぎず、心根で通じ合えているとは言えないので、友情というには納得がいかない次第である。(仲間なら分かるかな)
数学でやるところが
数学のかわりに、ボクシングやサッカー、野球にすれば似たストーリーが浮かぶよね。 「・・・あなたにとっては、人よりもボクシングの方が重要なのね」 「ああ、そうかもしれない。 キミは例外だけどね」 (ぽっ❤️) これを数学でやるところが、とても面白かった!
数学が苦手でも、ラマルジャンを知らなくても
天才数学者ラマルジャンが映画になりました。
もともと、「世にも美しい数学入門」という新書で紹介されていたのを読み、興味を持ちました。天才ながら決して常に栄光の中にいた、という訳ではない人なので映画にならないかなと思っていたらなりましたね。
まず、ジェレミー・アイアンズはとっても素晴らしいです。繊細で、知的で。「枯れ専」にはたまらないでしょうね、おそらく。イギリス人なのでイギリス風の古風なスーツ、スリーピース姿がとてもステキです。
数学もあえて深い所までは描写されていないので、数学を知らない方でも話はついていけると思います。
が、その一方で、話の筋の方は、というと、ちょっと物足りなさが残ります。
「なぜラマルジャンがこんなに数学の天才なのか?」というところがなかなか掘り下げきれてません。
「世にも美しい数学入門」では、ラマルジャンはじめとして、インドが天才数学者を輩出している背景に「多神教」「自然への畏怖」があると書かれていました。(日本人が数学に優れているのも同様、とありました)
そのあたり、無神論者のハーディとの対比で描ければもっと話が深まったと思います。
前述の通り数学の細かい理論については出てきません。これは数学の知識が無い方でも観られるように、ということだと思います。しかし、その代わり、数学の理論が描写されないので、ラマルジャンの書いた論文がどれだけすごいのかわかりづらい、ということになってしまっています。
また、ちょうど第一次世界大戦中ということで、そのあたりの描写ももっともっと出来たのではないかと。(ありましたけどね、少しは)
ただ単に「天才数学者が偶然、ケンブリッジの大学教授の目に止まって、奥さんおいてイギリス行って、認められるけど、失意のまま亡くなった」という深掘り出来ないストーリーになってしまったのではないかと。。
非常にもったいない作品です。
天才は報われない。
インドの天才数学者ラマヌジャンと、彼を見出したG・H・ハーディとの交流の実話を描いた作品。 本当に、ラマヌジャンとハーディの交流しか描かれていません(笑)。そう言う意味では、ラマヌジャンが、なぜ数学に興味をもったのかと言う事が判らないので、突然現れた天才と言う風にしか感じません。でも、色々と調べてみると、彼は、数学に熱中するあまりに途中退学となってしまって卒業はしていませんが、大学に入学はしているんですね。でも、そう言う背景がなくても、ラマヌジャンとハーディの人と人の交流という観点を描いている物語なので、特に障害にはなりません。 何と言っても、ジェレミー・アイアンズかなぁ。こう言う学者のような役が似合いますねぇ。彼は、その昔『ダイ・ハード3』でテロリストを演じたりもしていますが、そのテロリストも、どこかしか知性を感じさせるものだったことを思い出しました。 ラマヌジャンを演じたデーブ・パテルですが、彼は『スラムドッグ$ミリオネア』で、主演の少年を演じていたんですね。って言うか、『スラムドッグ$ミリオネア』も天才的な才能を示した人物を演じていたので、そう言う天才の役に彼は縁があるんですね。って言うか、デーブ・パテル、『チャッピー』にも出ていたか。 数学の話は、XX問題とか言うように、その命題は出てきますが、何かを計算するなどは出てきませんので、数学が苦手でも大丈夫です(笑)。上記に記したように、子弟あるいは同じ数学を志す友人同士の交流を描いた作品です。中々、面白かったです。
2人の天才の熱い友情に涙
第一次大戦下のイギリスで、はるか遠くのインドから天才がやってくる。人種差別と偏見の階級社会のケンブリッジで、どのように信念を貫き、実力を発揮できたのか。1人では成し遂げられない偉業の陰には、もう1人の偉大なる天才が彼の才能を引き出し、後押しに奔走したからこそ、世界はこの奇蹟の数式の恩恵を受けることができた。この2人の師弟関係、そして友情に胸が熱くなった。最後の別れには涙が溢れてきた。
友情というより師弟愛のような・・
インドの若き名も無き数学者ラマヌーシャが英国人数学者ハーディンによって、光を当てられていく物語です。 事前の情報で「かけがえのない友情」を描いた物語だと聞いていたのですが、最初は「これは友情なのか?数式への思いで繋がっているだけでは?」と思ったりしました。 映画ではハーディが人付き合いが苦手な人物として描かれています。鈍感なところもありますが、彼なりにラマヌーシャのことを思っているのが伝わってきます。 そんな彼がラマヌーシャの数式を信じ、証明を続けて行きます。 後半になるにつれハーデイの心に変化が見えます。 ラマヌーシャの手紙を待ちわび、喜ぶハーディの姿を見た時に、涙もろい私はジワリと来ました。 数式を発見する時のことについてラマヌーシャが妻やハーディに語るシーンは数式について全然わからない私でも興味深かったです。
数学女子にお薦め
何がそんなに凄いのか?その数式の何が奇蹟なのか?試写を見終わっても釈然としなかった。理科学系の人であれば共感出来たかもしれないが文系の私は置いてけぼりでしっくりこない映画でした。何故ならドラマの主役は「数式」であり、紙の上に鉛筆で描かれているからだ。それは地球上で最もスリリングな戦いであり、人類だけが神様から授かった進化するための「種」です。音楽家であれば浮かんだメロディーを音符にして楽器で即興で演奏し、歌い、楽しむ事が出来る。それを映画化すればミュージカル映画だ!しかし数学者が「数式」を書いただけでは映画として面白みに欠ける。そこが本作の欠点です。歴史認識として視覚的にアプローチできるのは人間関係だけ。それさえも残念ながらキラーコンテンツではない。役者の演技力と脚本演出だけが頼りの作品です。それでも興味がある人はインド人の天才数学者の伝記映画として見てください。個人的にはジェレミー・アイアンズが見れて幸せでした。
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