「クライマックスが」奇蹟がくれた数式 kotosukeさんの映画レビュー(感想・評価)
クライマックスが
クライマックスがぼんやりしており、盛り上がりに欠けると思った。
以下気になった点を3つ。
1.(出演者の演技ではなく)シナリオとしての演技がイマイチ
ストーリー内で、「証明証明」とうるさく言う割には、教授たちが数式を見ただけでハッと顔を変え、内容に夢中になるのが気になる。
数式に限らず、一瞬見ただけで、内容がわかるだろうか?ある程度読んで、自分の中で腑に落ちてあの表情になるのではないか?さらに数学の特性を考えると、読んで「うーん」ってなんとなく理解し、自分で内容をつぶさに確認していく過程で、ゾクゾクと感じるもので、あんな顔に出ない、静かな感動なのではないか?
2.友情の発展が???
衝突し、理解しあい、その関係を再破壊する新たな大きな衝突、そしてそれを乗り越えた理解という関係の繰り返しが、振り子の振れ幅が大きくなるように訪れてくるのなら、絆の強さを感じられるのだが、さっきと同じ衝突じゃん、それは解決したんじゃないの?といった感じで、同じような関係を繰り返し見せられ、発展性を感じることができなかった。
3.そもそも友情が成立していたか?
最初のモノローグで友情がテーマですとあり、クライマックスは、神を信じるラマヌジャンと神を信じないハーディだが、数式を通して理解し合えたみたいなオチだったけど、果たして友情が芽生えたか?
ラマヌジャンに関しては、最初から「自分の数式を数学界(神)に認めてほしい」という信念に一貫している。一方、神を信じないというハーディだが、彼が信じているものは何か?本人の口から語られないので不確かだが、「大学内政治におけるポジション(権威)」だと思う。彼は神を崇めたいのではなく、(学内で)神として崇められたい。彼はひたすら最後までフェローにこだわるが、ラマヌジャンにとっては、割とどうでもいいことなのではないか?
ラマヌジャンにとって、数式は神に認められるツールだったし、ハーディにとっては神として崇めれるためのツールだった。このお互いの信念は、最後まで変わらないし、交わることがない。たまたま数式の証明という手段において協力した(利用した?)に過ぎず、心根で通じ合えているとは言えないので、友情というには納得がいかない次第である。(仲間なら分かるかな)