黄金のアデーレ 名画の帰還のレビュー・感想・評価
全176件中、161~176件目を表示
この映画の見どころはどこまでもクリムトが描いた「黄金のアデーレ」とその絵が掛かるサロンにある。
この映画はその初頭に描かれたクリムトの「黄金のアデーレ」を20世紀末、アメリカに住むアデーレの姪のマリアとシェーンベルクの孫ランディが取り戻そうとする物語だ。物語と言っても実話だが、ウィーン・ベルヴェデーレに展示されていた「黄金のアデーレ」はもともとはユダヤ人家族ブロッホ=バウアー家邸宅のサロンを飾っていた肖像画。幸せな家族と家族の象徴を軍靴で汚し奪っていったナチス・オーストリア。奪われ、追われたマリア・アルトマンは、若き弁護士ランドル・シェーンベルクと彼の家族の助けを借り、クリムトの名画を取り戻そうと画策する。
しかし、この映画の見どころはどこまでもクリムトが描いた「黄金のアデーレ」とその絵が掛かるサロンにある。ウィーンエリザベート通りに現存するブロッホ=バウアー家邸宅は19世紀末の文化サロン。画家クリムトをはじめとして、音楽家マーラー、作家シュニッツラー、精神科医フロイト等が集まったところだ。そして、ナチス以前にクリムトが描いたアデーレだが、その表情はどこまでも「悲しい」。その「悲しみ」を取り戻すのは今を生きる、マリアとランディともう一人、この物語の貴重な伏線となっている戦時中のナチス党軍人を父に持つウィーンのジャーナリスト・フルヴェルトゥス。クリムトの「黄金のアデーレ」には後のユダヤ人家族と彼らの「悲しみ」だけが予見され描かれていたのではない、20世紀という新たな世紀、その世界に生きる人間の「悲しみ」が描かれていたのだ。
観るべき映画です
構成がとてもシャープで。
言ってみて「起こったことしか描いてない」のですけど、ほんのすこしの間の演出で、すごく想像力を掻き立てられるのです、という作品でした。
主人公となったマリアさん。
事実をそのまま受け取ると、彼女は「ものすごい強運の持ち主の女性」。だけどそこで思考を止めず、彼女が抱えた運命について掘り下げて考えてみる。
世紀末ウィーンに活躍した芸術家たちが築いた芸術家文化とユダヤ人の歴史を継承し、アメリカに「逃げてきた」という彼女自身の「原罪」。裁判に関しても、言葉とは裏腹に常に臆病になっているのは、恐らく、彼女が大西洋を渡って今まで生き延びてきた間ずっと抱えてきた葛藤がそこにあるからなのでは?
そして晩年まで働き続けた。働き者です。きっとそれが彼女のDNA、なのかな。
どんな方だったんだろう。…難しい方だったのかも。そんなことを思いました。
また、全編を通じて、国民としての自尊心、正義、そして前に進むことの意味を考えさせられます。複雑な問題で、解決するしないの話ではないのですが、映画ははっきりそこを突いてくる。
人間の尊厳とは何か、この絵の所有権を一つのメタファーにして、観る者に問うてくるような、そんなメッセージを感じました。
評価は、私がクリムト作品が大好きで大学の時ベルヴェデーレで受けた感激を思い出したという理由で星多めで。
良作!さすが名女優ヘレン・ミレンのはまり役!!
今年は、戦後70周年の節目。
ナチスドイツからの美術品奪還ものとして、先に公開されたミケランジェロ・プロジェクトも記憶に新しい。
本作は、現在の進行と過去回送とで交互に展開していく、ある意味よくある展開ぶりだが、ストーリーと素晴らしくマッチしている。
また、ストーリーが実話だけに、出演者の演技も作品の出来に大きく影響しそうだが、さすがにヘレン・ミレン、ライアン・レイノルズといい、過去のシーンの出演者も、素晴らしい十分な演技っぷりに、想いが伝わる感慨深い作品だった。
裁判の行方もどうなるのか、見守っていたが、叔母のアデーレにまつわる逸話も印象に残るが、なんといっても両親との別れのシーンは、さすがに目頭が熱くなってしまった。
黄金のアデーレやウィーンの綺麗な街並み。一度は訪れて見てみたくなった。
作品の好みは、人それぞれなのは、言うまでもないが、十分良作に値するでしょう。
ヘレン・ミレン素晴らしい!
久しぶりに見て非常に感動して満点になってしまいました。ウィーンの雑誌記者役のダニエル・ブリュール確認できたし、ヘレン・ミレンがとにかく素晴らしかった。ロスでもウィーンでもお洒落。服は勿論、ネックレスも靴もヘアスタイルも全てに神経を払っている。二度と戻りたくなかった母国のオーストリアに入って絶対にドイツ語を話さず英語で通した。毅然とした姿に痺れたしそうでなければ生きていけない、許せない!でも2度目に来たとき全てが解決し、昔、家族たちと過ごし住んでいたアパルトマンの中に入って初めてドイツ語を口にした。美しい叔母、両親、チェロを弾く父、結婚式のパーティー、楽しく皆とダンスをしたり、子ども達が必ず怖がる絵本「もじゃもじゃペーター」を手にしている叔父の側に座ったり。過去の楽しく美しい記憶の中のマリアは本当に幸せに見えた。
「スクール・ボーイ」新米弁護士も良かった。書籍の形をしたホロコースト記念碑に曾祖父の名を見てトイレに駆け込んで泣いてから彼は変わった。
マリアの若いときを演じた女優も気が強くてしっかりしていてとても良かった。そして両親と別れるとき、パパが娘のマリアにこれからお前の故郷になるアメリカの言葉で話そうと英語で別れの挨拶をしたのが悲しく、本当に逞しく、すごく泣いてしまった。ダニエル・ブリュール目当ての再度鑑賞でしたが、あっという間に全部見ました。良かったです、本当に。(2021.6.24)
この映画、面白かったです。ウィーンの非常に裕福なユダヤ人家族、全てを捨てて離れる決心と行動、その部分はもうハラハラして辛かったです。クリムトに肖像画を描かせるなんて凄いことです。ウィーンの人間のプライド高くニコニコしつつ背中にナイフを持ってる感じにゾワッと来ました。金は払うから絵はベルベデーレに残してくれないかって、はー?最後にそういうこと言うかね!マリアが意見した通り。マリアが正しい!
実話…
なんですね?実に数奇な肖像画の歴史。
こないだみたミケランジェロプロジェクトと質も話も違うけど改めてナチの歴史に衝撃。
祖国を失い、家族を奪われた歴史がクリムトの肖像画の行方とともに描かれます。
重い歴史だけど軽めに描かれているのが救いか。
ヘレンミレンもライアンもぴったりな配役で良かったです。
感動。
久しぶりの一流映画
久しぶり極上の料理を味わったような作品でした。
主役のヘレン・ミレンさんが 素敵でした。
あの アデーレのモデルの伯母さま役の女優さんがため息が出るほど美しくて 同性の私でもドキドキしました(笑)
しかし 戦争とは色々なところで 悲しい爪痕を残しているのですね。
平日の1回目とあってか 年配の方が多かったです
ぜひ 若い人にも観てもらいたい作品です
ラストはしてやられました
王道と言ったらそれまでですが
あのように されたら 涙なしには観られんでしょ(笑)
他の方はどう 観るでしょうね
真摯な歴史観を持つことを問いかける映画
御年82歳になる米国在住のユダヤ人女性マリア・アルトマン(ヘレン・ミレン)。
彼女の姉ルイーゼが亡くなり、遺品の整理をしているうちに、姉がオーストリア政府に絵画の返還を求めていたことを知った。
絵画はクリムトの名画「黄金のアデーレ」他、計5点。
アデーレはふたりの伯母にあたる人物。
それらの絵画は、オーストリアに侵攻してきたナチス・ドイツが強制接収してウィーンの美術館に飾ったもの。
マリアは、友人の息子で駆け出し弁護士のランディ・シェーンベルク(ライアン・レイノルズ)に、絵画を取り戻すよう依頼する・・・というハナシ。
オーストリア政府が所有権を主張する絵画をどのような手段で取り戻したかということに興味津々だったので、映画を観る前は、丁々発止の法廷ものかしらん、と想像していたけれど、そんなことはなかった。
たしかに、どのように取り戻したかはわかるけれど、映画はそこのところを強調したいわけではなかった。
では、どのようなところを描きたかったのか。
絵画を取り戻そうとする現在と、マリアが夫とともにオーストリアを脱出しなければならなかった過去とを交互に描くことで、ナチスによって暗い時代を迎えた当時を強く印象付けるとともに、当時の非道・不法行為を現在、どのように捉えて、どのように償うか、というを考えさせることがこの映画の眼目といえよう。
簡潔にいえば「歴史どのように観るか」、真摯な歴史観を持つことを問いかける映画といえるでしょう。
マリアとは、初めは、是が非でも「黄金のアデーレ」の実物を手元に置きたいとは思っていなかった、過去の非道・不法行為に加担したオーストリア政府がそのことを認めることがいちばん重要だった、というように描かれている。
それが、オーストリア政府及び美術館が、絵画の価値その他から、絶対に手放したくないがゆえに、過去の過ちを認めず、どんどんと事態がこじれていった印象を受ける。
そう、これは一絵画の物語ではないということ。
『マリリン 7日間の恋』のサイモン・カーティス監督の演出は巧みで飽きさせないし、出演陣は渋いところばかりだけれど映画通なら「おお、このひとが!」と思うような布陣。
列挙すると・・・
ウィーンでマリアらに協力する記者にダニエル・ブリュール、
ランディの妻はケイティ・ホームズ、ランディの上司にチャールズ・ダンス、ランディの母親にフランセス・フィッシャー、
米国の判事にエリザベス・マクガヴァン、ジョナサン・プライス。
この顔ぶれを観るだけでも、少々嬉しくなりました。
製作スタッフと主演のヘレン・ミランさんに、力いっぱい、拍手を贈りたいです。
誰にでもある、嬉しい、おいしい、楽しい、気持ちいい、悔しい、を踏みにじってしまうのは、悲しい歴史となってしまうことを、あらためて、思い知らされる作品でした。
また、勝ちを見込めそうもない権威とか権力に怖気づくことのなかった、駆け出しの人や普通の人の頑張りは、普段、根負けしてしまうことが多い私たちにも、元気を与えてくれました。
現在と過去が何度もぶつかり合う、激動の歴史の描写となっていましたが、ふと、米国連邦最高裁判所の首席判事の人なつっこさが、この作品に、知的で落ち着いた印象をもたらしていたような気がします(編集のスゴ技に、脱帽です。)
歴史的名作!『ミケランジェロ・プロジェクト』をご覧になった方は必見!
とにかく素晴らしい作品です。
『ミケランジェロ・プロジェクト』をご覧になった方は必見!ストークスたちモニュメンツ・メンの活躍で多くの美術品がナチスより奪還できました。ではそれらの美術品がその後どうなったのかということを問いかけるのが本作です。
モニュメンツ・メンの活動は、元の持ち主に返却することを目的としていたのに、いまだに10万点もの美術品がもとの所有者に返されていないのが現状なのだそうです。
そんななかで、20世紀が終わる頃、ある裁判のニュースが世界を仰天させました。アメリカに暮らす82歳のマリア・アルトマン(ヘレン・ミレン)が、オーストリア政府を訴えたのです。
“オーストリアのモナリザ”と称えられ、国の美術館に飾られてきたクリムトの名画〈黄金のアデーレ〉を、「私に返してほしい」という驚きの要求でした。
伯母・アデーレの肖像画は、第二次世界大戦中、ナチスに略奪されたもので、正当な持ち主である自分のもとに返して欲しいというのが、彼女の主張でした。共に立ち上がったのは、駆け出し弁護士のランディ・シェーンベルク(ライアン・レイノルズ)。対するオーストリア政府は、真っ向から反論します。
大切なものすべてを奪われ、祖国を捨てたマリアが、クリムトの名画よりも本当に取り戻したかったものとは何か?
史実に基づき、決して大上段に正義を振りかざすのでなく、主人公の目線で葬られた歴史の闇に光を当てていく作品でした。その困難に屈しない情熱に、感動しました。
ラストにアデーレ夫人とともにアップされる〈黄金のアデーレ〉を見せつけられて、この名画に込められたドラマが走馬燈のよう駆け巡り、自然と涙がこみ上げてきたのです。
見終わって、ある作品との共通点を感じました。それは『永遠の0』です。戦後世代が戦争中に起こった真実に触れることで、自分たちのアイデンティティに目覚めるという骨子は、この作品でも同じだったのです。
本作でも戦後世代のランディは、全く戦争中のことには興味を示そうとしませんでした。しかし懇意にしているマリアが、オバタリアンといっていいほど執拗に弁護してくれ~といってくるので、根負けして引き受けたのでした。でも調査してみると、〈黄金のアデーレ〉の時価評価はなんと1億ドル。金に目が眩んだランディは、果然やる気を出して、所属事務所を説得して、ウィーンに向かったのでした。
ウィーンでは、オーストリア人ジャーナリスト、フベルトゥス・チェルニン(ダニエル・ブリュール)の協力もあり、ランディは〈黄金のアデーレ〉がナチスに奪われた過程を克明に知ることになります。それは、ランディも人ごとではありませんでした。それは祖父の作曲家シェーンベルクがマリアと同じウィーンの出身で、マリアと同じくナチスに追われてアメリカへと移住していたからです。この訴訟は、ランディにとっても、自らのルーツに関わることだったのです。
そしてランディの正義感に火を灯したのは、当時のウィーン市民の多くはナチスを歓迎したこと。ウィーン市庁舎は赤くカギ十字の旗で埋め尽くされました。そんなウィーン市民がユダヤ人迫害に手を貸したことが許せなかったのです。
オーストリアでは、略奪作品の返還法が1998年に制定されて以来、各地の美術館で収蔵品の来歴調査が進み、元の所有者の遺族への返還が進んでいました。しかし、国宝級の〈黄金のアデーレ〉だけは別格でした。公聴会で訴えをあっさり退けられたマリアたちは、そこに絶対に返還しないというオーストリア政府の意志を感じ取ったのです。
もう二度とこんな屈辱は受けたくないと、裁判からの撤退を言いはじめるマリア。彼女の気持ちはよく分かりました。この裁定は迫害や略奪受けた当時に等しいくらいの屈辱だったのです。返還法がありながら、どうして奪われたものが帰ってこないのか、見ている方も苛立ちがつのりました。
しかし、オーストリア政府には明確な根拠が。アデーレは、自分を描いた作品については国立のベルヴェデーレ宮殿美術館に寄贈するように遺言していたのです。
普通ならここでドラマが終わるはずです。しかし、ここからランディの戦いが始まりました。裁定を聞いたとき、突然トイレに駆け込んで、嗚咽するランディの姿にもらい泣きしてしまいました。彼にとってもはや〈黄金のアデーレ〉は、損得を超えた、自分のかけがえのない歴史そのものになっていたのです。
その嗚咽に、『永遠の0』のシーンが重なって、泣けてきたのです。既出のストークスも軍の幹部たちに文化や芸術を保護することは命を紡ぐことなんだ、文化や芸術を失うことにいまは何も感じられないだろうが、その後の時間の中で、われわれの命が失われてしまったことに気づくだろうと語っていました。歴史の真実を知ることは、命を知ることそのものだったのです。
ランディの夜を徹した調査が再開します。膨大な資料からついにアデーレの夫フェルディナントが、自らの所有する絵画を政府へ寄贈する考えを取り消し、遺言で甥姪に相続させるとした遺言を発見。アデーレの政府に寄贈する遺言が無効なのだという確証を掴むのです。
しかしオーストリアで裁判に持ち込もうにも、高額な裁判費用が問題に。そこでランディは、ウルトラCの起死回生策を思いつくのです。それは、マリアがアメリカ国籍を持つことを利用して、「米国民は国内において他国政府に対し訴訟を起こす権利を有す」という外国主権免除法に基づき、カルフォルニアでオーストリア政府を訴えたのでした。
この裁判は、最高裁でまで持ち込まれ、マリアに有利な判決が下されると、オーストリアはオーストリア人裁判官3名で構成された仲裁委員会で示談に応じることに合意。2006年1月17日、マリアへの返還が決定したのでした。
この間、幾度となくマリアは激高し、もう無理たわとサジを投げ、裁判から撤退して普通の生活に戻りたいとごねたのです。それを必至でなだめつつ、自身は莫大な借金と第2子出産を控えつつも、決して怯もうとしなかったランディの信念が感動的でした。夫の家庭を顧みない暴走にも、理解を示そうとする身重の妻の言葉にも泣けました。
本作は有名な歴史史実を再現しているだけに、結末は分かっています。しかし結末が問題ではなく、なぜマリアが戦後半世紀も経って、勝訴が難しい裁判に挑んだのか、その心情にふれるべき作品なのです。
器用でデリケートで、面白くてふてぶてしい、そんなマリアのキャラクターに適した素質を全て持っていたのが、名優ヘレン・ミレルでした。ヘレンによって、素晴らしいユーモアの持ち主で、気品があっておおらか、そしてとてもパワフルな生前のマリアが完璧に再現されたのでした。名優によって、普通のおばちゃんに見えるマリアの内に秘めた怒りが表現されていました。それは壊された家族の幸せや奪われた人生に対するヘレンの怒りだったのです。
そんなヘレンよりも、全編を通じて素晴らしかったのは、ランディ役のライアン・レイノルズです。彼は本作を監修したランディ本人との接触をあえて避けて、独自の役作りをしたそうです。でも結局、本人に会ったらすぐに意気投合。お墨付きがもらえたようです。
記者のフベルトゥス役のダニエル・ブリュールはドイツの著名俳優。映画『ラッシュ/プライドと友情』のニキ・ラウダ役といったら分かりやすいでしょう。そんな彼はドイツ人として今でも罪悪感と向き合っているそうなんです。そんな彼の役に深く共感して演技にも注目してください。
最後に、裁判の行方と平行するもう一つの見どころを紹介します。それは、ナチスのオーストリア併合の際の侵攻当時の若き日のマリアの物語です。それは裁判シーンに挿入する形で、断片的に描かれていきます。マリアと家族の逃亡の話は、それだけで1本の映画が撮れるほどスリリングなナチスとの逃避行シーンでした。
また、ナチスに協力してしまったオーストリア最大のトラウマを再現した本作の撮影を暖かく迎え入れたウィーン市民の寛容さにも敬意を捧げたいと思います。過去と向き合わせてくれるマリアの物語の再現は、ウィーン市の歴史にとって、非常に重要な存在だったようです。本作によって、重要な話を次の世代へ伝え続けることができるわけですから。そんな歴史的に残っていく名作だと思います。
いつもながら邦題とキャッチのお節介感が酷い。
でた。邦題でネタバレ。"名画の帰還"て。実話なのでネタバレもないと思いますが、なんとも無骨なタイトルですね。
実は本作も、ミケランジェロ・プロジェクトと共通する部分があります。第二次世界大戦時にナチスに奪われたグスタフ・クリムトの「黄金のアデーレ」ですが、戦後はオーストリアに返還されました。しかしそもそもこの名画は、アデーレの家族が所有していたもの。アデーレの姪が、絵画返還をオーストリア政府に求める裁判を起こす。というストーリー。
原題の「Woman in Gold」は彫金師だったクリムト絶頂期に、エジプト芸術や、琳派、つまり大和絵の影響を受け、金で装飾した豪華な絵を描いてた。その頃の名画「黄金のアデーレ」に由来すると思います。個人的には人気が落ちて来て、金を全く使わなくなった頃の作品の方が好きです(豪華絢爛な絵は、クリムトの見た目や自分の生まれに対するコンプレックスが表れてる気がして気の毒になる)
確かアデーレをモデルにした絵は複数あったと思いますが、本作では(恐らくオーストリアが所有権を認めたのが一枚だったからか)「黄金のアデーレ」だけが登場します。
とは言え、本作はクリムトの伝記物ではありません。
アデーレの姪であるマリア(ヘレン・ミレン)の家族の思い出と、裁判の行方を追ったヒューマンドラマとなっています。
私の父の絵の師匠がよく「絵は告白だよ。上手く描かなくていい」と言っていましたが、
本作はまさに名画「黄金のアデーレ」が告白する、アデーレとクリムトが生きた時代と、マリアの家族の物語です。
マリアを助ける若い弁護士ランディにライアン・レイノルズ。弁護士に見えないちゃらっとした彼が、成長していく姿に好感。派手な演出はありません。家族の思い出が詰まった絵画の喪失、つまりユダヤ人迫害でマリアが失った物の大きさを表してる点。うん、後からじわっと来る。
って、キャッチで既にテーマを言ってる!もう、こういうのが一番むかつくんですよ!観客って、配給会社が思うほど馬鹿ではないので。テーマくらい、ちゃんとくみ取れます!
ですが良作。強めにオススメします。
経験した人にしかわからない想い
歴史上の事実について、あーだこーだ論じることは
誰でもできるけど、本当のことは実際に経験した人でないと
絶対に理解はできない。
今のところ、戦争とか物騒なこととは全く無関係で生きている
わたしには到底わからない、一生決して拭い去られることのない
悲惨な想い出を抱えて生きている人のことを考えてしまう。
考えたって到底わからないけど。
ユダヤ人監督の作品ですが、不必要にナチスドイツを糾弾する
のではなく、傷ついた多くのユダヤ人のうちのひとりの人生を
きちんと丁寧に描いた秀作です。
ヘレン・ミレンは勿論素晴らしいですが、あまりに高貴すぎて
最高裁判所の豪華な装飾に見とれている彼女に違和感を感じました…。
そんなつもりじゃなかったけど、号泣。
歴史的事実を取り扱っているわけだから、結末は決まっているようなもんだし、その事実を知らないで見たとしても、展開は読める。分かりやすい話であり、内容もよくある戦中のユダヤ人迫害を扱ったものであり、特段目新しさはない。ちょうど真ん中くらいには退屈さも感じたし、すばらしい国アメリカ的な押しつけがましい要素もちらほら感じた。
しかし、もう終わる瞬間というものは涙が止まらず、思わず声が出そうになるくらいに、久々にマジ泣きしちゃいました。
絵の美しさと、絆の描き方の見事さなのかなー、どっぷり物語にはまったなぁ。
ラストなんであんなに泣かされたのか─、考えてみたら、あれはエルミタージュ幻想だったんだと気がつきました。あの何ともいえない哀愁を帯びた華麗さに、涙してしまったのだと理解しています。
探せばアラはたくさんあるような気がするんだけど、とにかく泣かされてしまったという事実こそが、この映画は素晴らしいのだということを物語っている。
I bet you this movie is better than you expect
■こんな人におすすめ
「ライアン」はゴズリングではなくレイノルズ派の人。
作品中に裁判シーンがあるとちょっと嬉しい人。
■こんな人にはおすすめしない
気楽に映画を見たい人。
10代の人。
なんとなく見たこの作品が想像以上に楽しめて「見てよかった作品」の一つになった。
こんなにクセもなく難もないヘレン・ミレンも久しぶりな気が。。。
やっぱり作品のこと何も知らずに見るのが一番楽しめるなー。
ただ、「トゥモローランド」のジョージ・クルーニー、「ブラックハット」のクリス・ヘムズワースの天才ハッカー役に続いてライアン・レイノルズの弁護士役が「その職業に見えないキャスティング」シリーズに続いてしまったのでは。
全176件中、161~176件目を表示