「国の宝か、個人の思い出か」黄金のアデーレ 名画の帰還 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
国の宝か、個人の思い出か
またまた自分の無知と恥を晒すが、題材になっている“アデーレの肖像”を知らなかった。
オーストリアの画家グスタフ・クリムト(←名前は聞いた事ある)が描いた絵画史に残る名画の一つ。“オーストリアのモナリザ”とも言われる。
その“モナリザ”など名画が画かれたのは数百年前が多いが、“アデーレの肖像”が画かれたのは1907年と比較的最近。
そこに、当事者の関係者や近代史と絡んだ悲劇と数奇の知られざる逸話が…。
実業家フェルディナントが妻アデーレをモデルに、クリムトに描かせたもの。(フェルディナントはクリムトのパトロンだったという)
夫妻には子供が居ない。姪っ子姉妹を我が子のように可愛がっていた。
姉妹も美しい叔母に憧れていた。
芸術を愛する両親共々、この肖像画を家族の宝とし、何不自由なく暮らしていた。
その家族の宝が不当に奪われる。
時は第二次大戦下。奪ったのは言うまでもなく、ナチス。
ナチスによって宝は奪われ、家族もバラバラ、追われるように国外退去。
ナチスは国や人種や一個人の全てを奪い、葬る。罪深き。
戦争終わり、ナチスが略奪した美術品は国が管理。肖像画も美術館にてオーストリアの宝に。
国の宝として重宝される事は決して悪い事ではない。
が、それに意義を唱える者が。
その人物は、マリア・アルトマン。アデーレの姪。
今はアメリカに住み、老女となった彼女は、長い時を経て、求めたのだ。
肖像画、つまり家族の宝の返還を。
もし、自分個人に置き換えたり、ニュースなどで似たような出来事が起きたら、どうだろう…?
歴史的価値ある名品を国が財産として保管するのは先にも述べた通り悪い事ではない。寧ろ、真っ当だ。
だが、ある一個人にとっては、家族の思い出が詰まった宝。元々は私たち家族のもの。だから還して欲しい。
国の言い分も分かる。
マリアの言い分も分かる。
それぞれの複雑な事情を汲みしているからこそ、難しい問題。
いきなりネタバレだが(と言っても映画化される実話だから知っている人は知っているが)、肖像画は晴れてマリアの元に還される。
マリアはアメリカ住まい。オーストリアのものがアメリカへ。今はアメリカの美術館に展示されているという。
オーストリアにとっては悔しい思いだろう。例えば、日本の歴史的価値ある貴重な宝が海外に持ち出されるようなもの。
固執し、恥ずべきとまで劇中で言われてるが、個人的には少々オーストリアへの同情も禁じ得ない。
が、本作はあくまで一個人の思い。
“もの”はそれぞれの立場によって見方が変わる。
貴重な宝であり、大切な思い出。
それにはどんな思いが込められているか…?
国の貴重な宝を、元々は自分たち家族のものだと訴え、返還を求める。
人によっては、何て独り善がり、勝手な言い分、ワガママとさえ思うだろう。
もはやそれは一個人のものではない。国の宝なのだ。
しかし元は、誰かが描いたもの。その親しい身近な存在に囲まれて。
端から国の宝として描いたのではない。その人たちへ描いたのだ。
法的な正当性もある。
モデルのアデーレの遺言で肖像画はオーストリアの美術館へ寄贈されたが、それは実質的権利を持つ夫フェルディナント亡き後に効力を発揮する。
が、寄贈されたのはフェルディナントが亡くなる前。フェルディナントの遺言には、肖像画は姪たちへ。
本来の相続権を持つ者の遺志を無視されたと言っても過言ではない。
返還を求める裁判は最高裁へも。
国は今後の外交問題すら持ち出すが、個人のものを個人に返還求めるのに、何故国と国の問題を持ち出す…?
この時ばかりは国の圧力を感じた。
国vs一個人。傍目には勝ち目などない。
が、苦境を経て…。
苦境は何も裁判だけじゃなく、マリアの過去への向き合いもあったろう。
叔母の肖像画は何も家族の昔の幸せを思い出すだけのものではない。
戦争、ナチス、国を追われ、家族も奪われた、苦く辛い過去の記憶がまじまじと蘇る。
それが彼女にとってどれほど重いものだったか…。久し振りの母国への訪れを渋ったり、拒否するほど。
肖像画の返還は、マリアの過去が救われ、家族との再会である。
今はもう、両親も叔父叔母も姉も居ない。たった一つ、思い出の肖像画だけ。
勝訴した時、マリアに喜びの笑顔は無かった。涙した。
その涙には、喜び、悲しみ、苦しみ、幸せ…全ての感情が込められていた。
実話、歴史、ナチス、美術…普通にやったらお堅い内容になってしまう。
サイモン・カーティス監督の手腕は、それらの題材を、ドラマ性とスリリング、洒落っ気とユーモアも交え、極上のエンタメ・ミステリーに仕上げている。
それをさらに魅力的にしているのは、ヘレン・ミレンの気品、シリアスもイケるライアン・レイノルズ、二人の演技の賜物だろう。
エンドクレジットにて、ナチスに略奪された美術品は約10万点。そのほとんどが今も正当な持ち主の元に戻されていない。訴えも滞りなく。
歴史に翻弄され、埋もれた逸話は尽きない。
美術品一つ、一個人に、それぞれの思いがあるのだから。
先日見たばかりの名著を揶揄して申し訳ないが、浅く薄く映画化するのとは訳が違う。