64 ロクヨン 前編 : インタビュー
佐藤浩市「64 ロクヨン」主演を通じて若手キャスト陣に伝えたかったこと
代表作は数知れず、日本を代表する俳優として先頭を走りながらも常に挑戦し続ける佐藤浩市。新作の主演映画「64 ロクヨン」(前編・後編)は、発売するやいなや文壇を席巻した横山秀夫氏のベストセラー小説の映画化。演じるのは主人公の三上義信。かつては刑事部の刑事、現在は警務部の広報官として、わずか7日間で幕を閉じた昭和64年に発生した未解決の少女誘拐事件、通称「ロクヨン」に挑む男だ。三上を通して佐藤浩市は何を感じ、何を思い、何を伝えたかったのか──。(取材・文/新谷里映、写真/江藤海彦)
横山氏原作の映像化作品としては、テレビドラマ「逆転の夏」「クライマーズ・ハイ」に続く3度目で、オファーが来る前から原作を読んでいたという。原作の持つ面白さと骨太さ、映画化の難しさを知っているがゆえの重圧は計り知れず、しかも今回は主役級の俳優ばかりが顔を揃えた。そのなかで主役を任されるプレッシャーも計り知れない。それでも、「三上というキャラクターは巻き込まれながらも攻めていく、いい意味で横山さんらしい主人公だと思った」と語る口調からは、大変だったからこその安堵とやりきったからこそ生まれる自信が伝わってくる。
「もう、大変でしたよ(笑)。なにせ三上は上層部のキャリアたち、古巣の刑事たち、記者クラブの人たち、広報室の部下たち……全部とぶつかり合わなければならない役なわけですから。楽なシーンはひとつもない。3カ月間走り続けて、走りきったという感じです。走りきった先に解放感があることは経験上知っているので、クランクアップが近づくにつれてつらさは増すけれど希望も膨らんでくる。でも、今回は少し違いました。通常、撮影の総合スケジュールのなかで山場と言われる──これを乗り切れば……というシーンがいくつかあるわけです。今回は山場の連続で。クランクアップ後、極上の解放感を味わうはずが、あまりにも疲れすぎて解放感はなかったです(苦笑)」
その山場のひとつが「前編」のラストシーン。ある交通事故の加害者を広報室が匿名発表したことを発端に、広報室と記者クラブのバトルが繰り広げられる、緊迫と感動が押し寄せる場面だ。回想シーンを挟むとはいえ芝居の尺としては実に9分間。佐藤はそれを「一気に撮ってほしい」と願い出た。
「あのクライマックスシーンに関しては、まず3台のカメラすべてを僕向けで撮ってほしいと頼みました。当然その後にほかのカットもやるけれど、一度でいいから通してやらせてほしいと。回想シーンを挟むので一気に撮る必要はないんですよ。でも三上のジェットコースターのような感情──怒って、憤って、悲しんで、また怒って、混乱して……というあの感情を途切れることなく演じるにはどうしたらいいかを考えたら、一気に演じるのがいちばんいいと思った。緊張感、ありましたね……。僕が一気に演じることで、記者クラブ側の何十人もの俳優たちにもスタッフたちにも緊張感が生まれた。結果的にはよかった。9分の長い芝居なので、監督は冗談を言っていると思ったみたいですけど(笑)」
もうひとつ、佐藤はクランクインの時にある種を撒いた。それは記者クラブのキャップ・秋川役の瑛太を筆頭にした若手俳優たちに投げかけた「全力でぶつかって来い! 俺が全部受け止めてやる!」という何とも力強い言葉。そこには“若手を育てる”そんな意識もあったのだろうか。
「若手俳優への激励の意味ももちろんありましたが、とにかくあの前編のラストシーンを馴れ合いにはしたくなくて。だから記者団の連中に向かって『広報官の三上をぶっつぶす気で全力でかかって来い! 怒気をはらんで来い!』と言いました。彼らの怒気に僕がのまれてしまったとしたら、そもそもこの映画も俺自身も終わり。きっちり跳ね返してやる! と自分自身を鼓舞させるつもりで、あえて挑発的な言い方をしたわけです。芝居は勝負じゃないと言う人もいるけれど、やっぱり“勝負”なわけですよ」
「勝負」の裏には「64 ロクヨン」という大作の主演を任されたこと、佐藤自身の俳優としての勝負も含まれているのだろう。もうひとつの勝負は、前後編に分けることだった。途中休憩を挟んでも1本にまとめた方がいいのではないか。だが、この原作を映画化するにはどうしても2本分の時間が必要なのではないか。映画を愛する、いち映画人として、佐藤は前後編にすることに真剣に向きあった。だからこそ前編のラストシーンは特別にこだわり、後編への素晴らしい繫がりになっている。
一方、三上が配属されている広報室のメンバーには綾野剛、榮倉奈々、金井勇太が揃い、彼らとは同じ広報室の仲間としてのチーム力を高めるために交流の時間を作った。群馬、新潟、山梨、栃木……ほとんどが地方での撮影だったこともあり、撮影が終わると広報室は広報室同士で、記者クラブ、刑事部それぞれの部同士で食事に行ったり飲みに行ったりしてコミュニケーションを取っていたという。また、現場では若手から刺激をもらうこともあった──。
「実は台本ができる前の段階では、綾野君の演じている諏訪(三上の部下で広報室係長)をある程度しがらんだ年齢に設定しようかどうか、という意見もあったんです。でも、上司から部下にバトンを渡す、次のリーダーを育てる構図にして、敢えて若手に設定して綾野剛を持ってきた。この映画にとってその選択は正解でした。紅一点の三雲を演じた榮倉さんは、役柄としても役者としても、男たちのなかでどう戦うのかを興味深く見ていました。記者団と酒を飲んだ後に三雲が三上に向かってあるセリフを言うんですが、それは三上にも佐藤浩市にも突き刺さるものでした。あのシーンの榮倉奈々はとても魅力的に見えましたね」
そして「巻き込まれながらも攻めていく」三上役は、佐藤の芝居にも変化を与えた。以前は自分の書いた図面=事前に準備してきたもの(役づくり)通りに進めようとしていたそうだが、今は「その時に自分が感じたことをどうやって取り入れるかを大切にしている」と話す。この映画で佐藤の心をいちばん震わせたのは、先に語った前編のラストの記者団のシーンと後編に用意された、誘拐犯との対峙シーンだ。
「その2つのシーンの撮影は一番きついというか楽しみだったというか……。頭のなかでどう演じるのか整理がついていたとしても、いざ撮影当日になると通用しないことが分かる。瀬々監督も悩んでいたシーンです。お互いに何とかしなくちゃいけないと前のめりになって、確かにキツかった。前のめりにさせたもののなかには、比べられるものが先にあることですね。NHKのドラマ版が先に放送される、それもありましたし、何よりも前後編として1つの映画として成立させなくてはならない。本来、主役というのは受けの存在ですが、受けでありながらも攻め続けなくてはならないので今回はかなりテンパりました。しかも、そのテンパっている緊張感すらもいい方向に持っていかなくてはならなくて。まあ、それは長年の経験から導いてくるものでもあるので、昔よくテンパった経験が役に立っているというか。たとえば、30年前の『犬死にせしもの』のときとか、完成した映画を見て『うわあ、大空回りをやってしまった……』と(苦笑)。今はテンパったとしても、空回りせずに演じることをかろうじてやっています。それがまた次の解放感に繋がるから楽しいんです」