太陽のレビュー・感想・評価
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すっきりしなかった
ウィルスによって人口が激減した21世紀初頭、生き残った人類は二極。
心身共に優れながらも、太陽の光に弱く、夜しか活動出来ない新人類“ノクス”。
昼でも動けるが、貧しく病気にもなり、ノクスの管理下に置かれる旧人類“キュリオ”。
漫画やアニメならともかく、実写邦画でこういう題材設定は珍しい方。ヴァンパイア風×ディストピアSFは洋画案件。幾つかのタイトルが浮かぶ。
洋画だったらスケールのあるエンターテイメントになる。ベタだが、革命アクションとか双方の若者の禁断の恋だとか。
一応こちらも対立や見下しの構造、そのきっかけであるキュリオの駐在によるノクス殺害事件、善悪はどちらにもあり。
キュリオの若者は一定の年代までにノクスへなれるシステムがあり、神木隆之介演じるノクスになりたいキュリオの青年、門脇麦演じるノクスを嫌うキュリオの娘、キュリオからノクスになった娘の実母の誘い、ノクスを嫌うがキュリオの現状を危惧する娘の父親は娘の将来を思って…。
などなど要素は充分なのだが、どうも話が弾まない。
主な舞台もキュリオの村、境界ゲート、ノクスの街の屋内で、スケールに乏しい。基が舞台劇だから仕方ないが…。
そもそもハリウッド・エンタメのような作風じゃないので、アクションもサスペンスもナシ。
演技も時々過剰。神木隆之介、門脇麦、古舘寛治らも熱演空回り。
大して面白味のない人間ドラマだけが続く。入江悠の演出にも才気が感じられない。
ラスト、門脇演じる娘はノクスになり、何故忌み嫌ってたんだろうと思うほど、すっきりとした目覚めを迎える。
神木演じる青年はノクス申請落ちるも、友人となったノクスの境界ゲート係と旅立つ。
寂れた村は滅びゆくしかないが、若者たちは新たな世界へ生きていく。
何だか新人類と旧人類の構図、ラストの目覚めなど、藤子・F・不二雄のSF短編の一編『流血鬼』とクリソツ。ひょっとしてインスパイアされた…?
だったらあちらの方がずっと斬新で面白い。
残念ながら私はすっきりしなかった。
扱う題材に見合うスペックが無い
終盤までは違う監督の作品と勘違いしながら見ていた。長回しとカメラの使い方などサイタマノラッパーの真似をしてるのようで疑問に思っていたら、まさに入江悠だった。
この作品でこの手法は、有効活用できてなかった感じがするし、長回しでないところの編集も間延びが多すぎる。序盤の3人でふざけながら帰るシーンもで、自然の中で育ったところを表現したかっのだろうけど、ずっと「バーカ、バーカ」と言って走ってるだけ。しかも長い。この監督は他の作品もそうなんだけど、遊びのユーモアが無く、思い付かないんだと思う。
引いた絵にも拘りを見せていると思いきや、終盤のどうでもいい施術のシーンでやたらアップを使い始める違和感。なにせ役者陣がどういう顔をしているかあまり分からないまま終盤まで進んでいたから。
無駄な正義感のご都合男がストーリーを乱す。村人を巻き込んでの長回しは興醒め。長回しを撮りたいが為に帰ってきただけで、物語に必要なのは最初だけだった。何年もバイクでどう過ごしてきたかが一切分からないし、あんなに重要なシーンに中身がスッカラカンで怒りや憎しみしか生んでない。
設定も変で、科学が大分進んでいるのにも関わらず防護服は無いし警備員が長細い棍棒しか持ってない。村は監視しているくせに出入り口の監視カメラは無いに等しい。しかも警備員は1人。太陽という弱点もあるなら尚更に複数人必要でしょう。
作り手が、扱う題材や物語に見合ったスペックを持ち合わせていなかった、そんな作品。
役者陣、特に神木隆之介はかなり頑張ったと思う。
今という時代に
その血は温かいのか
神木隆之介の名演技を空回りさせるためのナンセンスものでしょうか
設定が面白そうで、実は映画としては面白くは無い。
ウイルスが原因で進化せざるを得なかった【ノクス】(吸血鬼の様に太陽の光が苦手で、子供を授かりにくくなった人間)と、ノクスによって隔離された【キュリオ】(普通の人間)の物語。
少し変わった設定で「普通ならば立場逆だろ?」と言う疑問を序盤から抱いてしまうが、心を広く持ち鑑賞。
しかし、2時間以上の長丁場。設定未満の内容であり、何も凄い事も無く終わってしまった。
頑張って観れたのは神木隆之介、門脇麦、古舘寛治などの有名俳優陣のおかげだと思う。
観終わっての感想は、「隔離されて充分な教育等受けなければ、映画の様に人間は退化するだろうな。」ぐらい。
「舞台演劇なら面白そうかな?」とも思うし、「映画でやるな」とも思えてしまった。
好き嫌いは別にして志の高い映画
君たちはどう生きるか、的な。
KBS京都の「ウィークエンド指定席」での放送を鑑賞。
太陽の光を浴びると死んでしまう新人類“ノクス”と、私たちと同じ人類である“キュリオ”。ふたつの人間が存在する世界で、マジョリティーであるノクスが経済と文明を支配し、キュリオは山間の居住区に押し込められて、文化程度が退化した暮らしを送っていました。
そこから生まれる差別と偏見、貧富の差、優劣の意味、種族を越えた相互理解が、とても生々しく描かれていて、観る者に突き付けるような作品でした。現在社会の抱える問題の縮図だな、と。
SFですが、日本映画らしい、何かのガジェットが出て来るわけでも無く、ただただ重苦しい近未来設定のみで引っ張るディストピア物。
映画を観ているというよりも、舞台を観劇しているような感覚でした。俳優たちの演技も若干過剰だな、と。原作が舞台劇だと知って納得です。
山間の村、境界のゲート、ノクスの住む街、という3つのシチュエーションのみで進行して行くのも、舞台っぽいなぁと思いました。
多用される長回し、全体を俯瞰し続けるような画面づくりが特徴的な作品だな、と感じました。これもやっぱり舞台っぽいなぁ…。では、映画にした意味は? …という疑問が頭をもたげました…。
鉄彦、結、森繁のトライアングルが織り成すドラマが絶妙だな、と。
ノクスというよりも、“文明”に対する憧れが強い鉄彦。自分たちだけの力で、世界を変えることができると信じる結。ノクスでありながら、どこかしら虚無感を抱いている森繁。
どう生きていけばいいのかを探りながら、現状を打破したいという強い想いを持っていて、それぞれに感情移入できるところがありました。
彼らの関係が波乱をもたらし、一筋縄では行かない問題が浮き彫りにされ、壮絶さを伴いながらも、希望あるフィナーレへと突き進む様に引き込まれました。
どうあるべきかが正しいのかは難しい
閉鎖的で貧困なキュリオと、文化的で豊かな生活を送るノクス。
ノクスになりたいと願い希望を持つ鉄彦と、自分の力でキュリオのままみんなを幸せにしたいと考える優。
ノクスでありながら自身に空虚さを感じている森繁。
それぞれが持つコンプレックスや憧れ、幸せのあり方は強くなるほど一方向的になり周りが見えなくなる。いざ側面を目にすると築き上げてきた思いとのギャップに愕然とせざるを得なくなる。
鉄彦と森繁が一緒に旅に出て、異なる二人が共に知らないものを見に行くことで、未来への希望に繋がっていくのだろう。
門脇さんの結がノクスになった演技は流石。お父さんの古舘さんも。
ノクスになった結をなにも言わず見つめる鉄彦と森繁も印象的でした。
気になる点としては、ノクスになり明るいのだけれど人間的な感情が見えなくなった結を見ると、同じノクスでも森繁とは随分違うなという点。元からノクスとして生まれたからなのか、ノクスの中の個人差か、もしくは門番というキュリオと接する職業であるからなのか、そこで鉄彦と交流が生まれたからなのか疑問が残る。
森繁のようなノクスの存在があるのであれば、もう少しいい関係は保たれなかったのだろうか。しかしそれも、生まれたときからの適正で弾かれてしまうのか。
色々考えさせられる点が多い映画でした。映像の地味さや動きのなさを指摘する方もいますが、閉鎖的で変化の無いキュリオの村のなかでの心情を表すにはよいと思いました。
設定は良いんだけど
可もなく不可もない
演劇は演劇
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