「普遍的な愛のスタンダードは、悲しいから美しい。」キャロル 天秤座ルネッサンスさんの映画レビュー(感想・評価)
普遍的な愛のスタンダードは、悲しいから美しい。
美しく切なく悲しくも神々しい。「キャロル」はそんな映画だ。美しいからと言って求め合う二人の愛のエネルギーや、悲しみの深さや、痛みの切実さが美しく偽られているかいうとそんなことは全くない。出会う瞬間の昂揚感、恋に落ちる瞬間の情熱、初めて肌が触れる火照り。愛の高まりに重ねて二人の体温が上がり、鼓動が激しくなっていく様がありありと伝わる。こちらまで息が上がるほど熱を帯びた愛を目撃する。
時代背景は50年代のアメリカ。当時、同性愛がどう見られていたかを考えれば、あまりにデリケートな題材だ。それをトッド・ヘインズ監督は2人の愛の物語を「同性愛」という飾りに寄りかかることなく、どこにでもいる「求め合う者たち」の愛のスタンダードとして成立させた。二人が、出会い、惹かれ、求め、受け入れ、理解し、共有し、愛し、愛され、傷つき、別れ、苦しみ、痛み、泣き、悔やみ、蘇り、諦め、諦めきれず、そして最後にもう一度だけ小さく微笑む。恋のはじまりから終わり、そしてその先。愛のはじまりから終わり、そしてその先まで、すべてがこの映画には描かれている。これはキャロルとテレーズの物語だ。けれどとてつもなく普遍的な愛のスタンダードだった。
その上で、同性愛であるという事実が、少しずつ歯車を狂わせてしまう様がさりげなく着々と描かれるのもいい。そこは、原作のパトリシア・ハイスミスの筆力を感じずにいられないし、原作を映画に再構築したフィリス・ナジーもまた然り。
更にこの映画が美しいのは、主演女優二人の名演の美しさに所以する。キャロルを演じるケイト・ブランシェット、そしてテレーズを演じるルーニー・マーラ。いずれもその容姿や存在感だけでなく、その演技までもが美しく華やかで荘厳だ。ブランシェットは整えられたヘアスタイルと、見事に着付けられたドレス姿がなんともよく似合う女優で、その彼女自身が持つ優雅さが役柄を雅に彩り、だからこそ、彼女が壊してしまった家庭の悲しみが色濃く滲む皮肉を体現する。思わずテレーズを引き寄せてしまった圧倒的な美しさと気品と知性と凛々しさ。悲しければ悲しいほどに優雅で美しくて痛々しい「キャロル」をブランシェットは見事に演じ切る。そしてそんなキャロルを愛してしまうテレーズ演じるルーニー・マーラがまたとてもいい。キャロルを通じて、愛することと愛されることの喜びと痛みを、肉体と精神で感じ表現する。マーラはまたその表現を決して大げさに誇張することはせず、内面に広げて溢れさせ、静かに瞳の奥からこぼすような演技をする。大きな瞳から、彼女の愛の悦びと痛みが溢れてこぼれる瞬間に目が釘付けになる。
またこの映画はファッションも目に楽しい。ブランシェットが纏う豪華で上品なローブも煌びやかで美しいし、マーラが纏う小粒で愛らしくもセンスのいい遊びのあるファッションも美しい。特にマーラが主に着用する、カラフルな編み込みの帽子と、同じ色合いの縁取りを配した紺のコートの組み合わせや、白いブラウスに黒のワンピースを重ねたさりげなくも品のいいコーディネートも可愛らしい。物語、演出、演技、美術、ファッション、音楽・・・。なにからなにまで美しい映画であり、美しいが故に尚悲しく、悲しさを含めてまた美しい。そんな映画だった。