「勇み足で「ユージュアル・サスペクツ」に及ばず?」ピエロがお前を嘲笑う KENZO一級建築士事務所さんの映画レビュー(感想・評価)
勇み足で「ユージュアル・サスペクツ」に及ばず?
謎が謎を呼び、それなりに
最後まで面白く観れた作品ではあった。
この作品を観て、
「ユージュアル・サスペクツ」を
思い出した人は多かったのでは
ないだろうか。
なにせストーリーのほぼ全てを
主人公の独白に負っているし、
またそれが概ね嘘であった構成は
同じなのだ。
理解の浅い私としては、
彼の話の外にある事実描写と、
主人公の話に表れる事象の間に
矛盾が有るのか無いのかが判らないまま
鑑賞を終わってしまった印象だ。
しかも、
残りの3人が殺されたのも嘘だった訳だし、
恋人への想いも本当なのかも分からないので
主人公へ共感のしようも無かった。
そもそも主人公は何のために
自首してきたのか。
もちろん残りの3人は殺されていないのだから
保護を求めるためではないことは明白だが、
CLAYは4人と話をしておきながら、
何故、実は彼一人だったと思わせる必要が
あったのかも分からない。
司法の手を使ってMRXに復讐するためか、
3人への捜査への手を防ぐためか、
単なる愉快犯的発想なのか、
私には不明だ。
製作陣には多分に「ユージュアル…」への意識が
あったのだろうか。
「ユージュアル…」が名作の誉れ高いのは、
犯人の作り話の驚くべき巧妙さからの
だましが見事だったからだと思う。
だから「ユージュアル…」の話は
欺されたという感覚を自然に受け止める
ことが出来て面白味を感じた。
しかし、この作品では、
事実と犯人の作り話が混在し過ぎて、
騙された感が上手く伝わってこなかった
ような気がする。
主人公は「透明人間のままでいたい」と
言っていた経緯があるのだから、
それを生かすのであれば、
実はCLAYの仲間は全員存在せずに、
彼らは「透明人間」だった、
また、主人公の多重人格という設定のままに
エンディングさせた方が首尾一貫して、
またスリラー的余韻が生まれたように
感じる。
新味を加えようとしたかに見えるラストの
二重のひっくり返しは勇み足に思え、
折角の全体構成を台無ししてしまったような
印象を受けた。