ハッピーエンドの選び方のレビュー・感想・評価
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コメディと銘打ったから描けるリアリティがあり、、
『発明好き老人の安楽死マシーン開発が、思わぬ騒動を巻き起こすヒューマンコメディ』
U-NEXTに記載されていたこの映画の煽り文だ。
ウソは言ってない。言ってないが、そんな文章やスカイブルーのポスターから想起させるテンションのコメディではない。
本作の主な舞台は老人ホーム。登場人物の大半が70、80のご年輩だ。嫌でも死との距離を意識してしまう年頃の主人公ヨヘスケルらは、末期の病にありながら延命治療で苦しまされ続ける友人たっての願いから「安楽死の手伝い」を自作の装置でコッソリと決行する。この一件はホーム全体の老人にバレており、ひとり、また一人、妻を「救って」くれ、私を「送って」くれと依頼が舞い込む。「人助けをしている」自負と「人命を断っている」罪悪感の板挟みにあって顔を曇らせつつも実践するヨヘスケル一行だが、時を同じくして彼の妻レバーナの認知症が加速度的に進行していく。「自我のない抜け殻になる自分」に怯え悲しむ妻を目に、ヨヘスケルは...という流れ。
色んな感情が入り交じった結果表情筋はピクリとも動かなかったんだが、死と向き合う当事者たちによる「哀しくも可笑しい」場面がつるべ打ちでやってくる。
僕のお気に入りは、認知症のせいで裸で人前に出てしまったレバーナの傷心をまぎらわすため、仲間たちが夜中にコッソリ「裸のお茶会」を催すシーンだ。大胆で無邪気な内輪ならではの慰め方は、隣合わせの深刻な不安を自ら笑い飛ばすタフな趣向でカッコイイ。
かと思えば唐突なミュージカルパート(まぁこれが暗い暗い歌なのだが)が挟まり「いやそういう映画じゃなかったっしょ?!」となるメタ的なユーモアまで挟まる。
まだ若い身としては「ここまでやっていいの...?」という戸惑いも半分だが、ある種粋で品がいいとも言える。死は僕にも平等なのだから、恐れず笑った方が良かったのかも。
とは言え重い結末は避けられない。主役が「送る」側なら尚更だ。当初ヨヘスケルは「妻は健康だ、頭はハッキリしている」と主張するが、虚しく「その時」は早足でやってくる。ここまで書いたら濁す意味もないと思うが、最後の決断までの葛藤が本当に見ててつらい。今まで安楽死を望む声に理解を示してきたヨヘスケルが、愛する妻に忍び寄る時間には目を背け続けるさまがほんとにリアルだ。レバーナがまた歳を思わせない美人なので、その彼女がどんどん人前で壊れてしまう過程もいたたまれない。
ここまでつらい物をギッチリ観たはずなのに、トータルでは(ある一人を除き)親身になる思い遣りが根幹にあるせいか、意外に温かなものも胸に残る。コメディという描き方を取ったからこそ綺麗事で済まないリアルを端々に渡らせ、加えて死をテーマにしたからこそ否が応でも命を意識させ、映画に血が通ったということかもしれない。
「小さなキスを」ー毎日のキスは当たり前ではなくなる
発明大好きおじいちゃんヨヘスケルが友人に頼み込まれて作ったのは、なんと安楽死選択装置。実行するのは一回きりのはずだったが、それは老人ホーム中の噂となり、ヨヘスケルのもとには次々と装置を貸して欲しいと相談の依頼が舞い込む。そんな中、はじめは安楽死に反対していたヨヘスケルの妻レバーナの認知症が進行していく。自分が自分でなくなってしまうことを恐れるレバーナは、徐々に生きる気力を失っていき、やがて安楽死を望むようになってしまう。最愛の妻にヨヘスケルが選んだ究極の愛の形とは、、、。
愛とはなにか。本人の意思を尊重し、尊厳死へ導くことか?どれほど身体的、精神的苦痛を味わうとしても生かし続けることだろうか?家族がもし尊厳死を望んだとき、自分ならどのような選択をするのか、とても考えさせられた。
途中、認知症の進行により、食堂に真っ裸で現れたレバーナが、我に返ってひどく落ち込んでいるのを励ますために、仲間たちが裏庭にレバーナを呼び出し、全員真っ裸でお酒を酌み交わすシーンがある。こんな仲間たちがそばにいてくれるなら、歳をとるのも悪くないなと少しだけ思うことができた。
今後の人生を考えさせられる内容です。コミカルな予告編に騙されてはダメ。
第71回ヴェネチア国際映画祭観客賞受賞。
老人ホームで暮らす個人発明家が、望まぬ延命治療に苦しむ友人のために自殺幇助装置を作って直面する人の生と死の問題を描いた作品。
映画館で流れる予告編だと、どちらかと言うとコミカルな内容の様な感じがしますが、実際には意外に真面目です。もちろん、笑いが起こるシーンも有りますが、全体的には真面目に人の生と死を描こうとしている様に思えました。
実はこの作品は、非常に重要なテーマを描いているんですよね。日本は『老人漂流社会』とか言われていますし、老人介護施設が定員が少なかったり、あるいは逆に、定員に空きはあるけど介護職員が少なくて入れなかったり・・・。これじゃぁ、十分に幸せな老後が送れるかちょっとわからなくなってしまいます。そう言う心配な将来が予見されるとき、「エンディングをどの様に迎えるのか?」と言う事が非常に重要だと思いました。ある意味、自分の将来の様だとも思えました。
最後は、ああ言う感じですかねぇ。途中で、レバーナが認知症の症状を示し始めた時点で、この結末はね。それと、最後のセリフが何とも泣かせるセリフですね。孫と別れるときに「小さいキス」と言ってちょっとキスをして別れるわけですが、そのセリフでした。
ヨヘスケルを演じているゼーブ・リバシュが、報道キャスターの岸井成格さんに見えて仕方なかったです(苦笑)。
認知症と尊厳死を安易に結びつけないで
イスラエルの老人ホームで暮らす夫ヨヘスケルと妻レバーナ。
レバーナには少々の認知症症状が出ているが、まだ生活に困難を伴うほどではない。
ヨヘスケルは若い時分からの発明好き。
ある日、ヨヘスケルは寝たきりの友人マックスから、安楽死は出来ないかと相談を受ける。
悩んだ末に、患者がタイマーを押すことで点滴薬に劇薬を注入する装置を発明するのであるが・・・というハナシ。
重いテーマを、それほど重くなく進めていく語り口は、観ていて飽きない。
まぁ、扱う死は、ヨヘスケルにとっては身を切られるほどのものではないからだ。
ここいらあたりが、後半この映画を少々浮ついたものしてしまっている。
ヨヘスケルが発明した品はアンダーグラウンドで評判になり、友人以外にも、知人レベルから使いたいと申し出がある。
たしかに、一種の人助けであるが・・・うーむ、どうなのかしらん、といったところ。
終盤、妻レバーナの認知症が加速度的に速くなり・・・さて・・・
というのがこの映画の眼目なのだけれど、それまでヨヘスケルが装置を提供してきた人々とは情況が異なる。
すなわち、
妻レバーナの認知症は急速に進んだものである、
これまで安楽死・尊厳死を望んだ人たちは、永年寝たきりで恢復の余地がない。
これらと比べると、映画の結論は、すこぶる安易である。
認知症については、最近もドキュメンタリー映画『抱擁』などを観たが、恢復のない病ではなく、自己喪失→死という考えがあまりに短絡的で、観ていてまるで共感できない。
そもそも、夫ヨヘスケルは妻の認知症に、向き合っている描写すらないように思える。
そういう意味では、この映画、かなり性質が悪く、この終盤では嫌悪感すら覚えました。
笑うに笑えない人生の終末の問題を直視
舞台はイスラエルの老人ホーム。病に苦しむ友のための″ある発明″をきっかけに.結束して救出プランを立てるヨヘスケルと仲間たち。友のために奮闘し前向きな彼らは、常にユーモアを忘れません、彼らの姿は可笑しくも、生きる力をくれました。.
秘密だったはずの発明に依頼が殺到する一方、妻レバーナの認知症は進行してしまいます。
自分でなくなることに恐れる妻と、現実をなかなか受け入れられない夫。それぞれに葛藤し、想いあう夫婦が下すある決断とは?
誰もが生老病死を避けて通れません。医療の発達で長寿社会にとなりましたが、その反面、不治の病や認知症に陥っても、生きることを強制される世の中になったのです。本作は軽妙なタッチながらも、辛辣に見るものに、人生の終末の選び方を問うてくるのです。 特に宗教に関わっているものとしては、安楽死をどう捉えるべきか、すぐ答えが出てきません。父の死が近づいたとき弟から父の延命治療についてどうするかと電話で聞かれて、答えることができず、1週間ばかり逃げ回った結果、ひどく弟から怒られたこともありました(^^ゞわが身に降りかかると、そう簡単に理屈道理に割りきりないものです。
お釈迦様は、毒矢の喩えで、苦しんでいる人を悟らせ善導することよりも、まず刺さっている毒矢を抜いて、いち早く苦しみを和らげる治療するべきですと諭されました。そうであるならいたずらに延命させて、肉体の苦痛ばかり味わいさせることは、慈悲の思いとは逆の行為かもしれません。まして死後の世界を認めるなら、この世に執着させず、早く帰天させて楽にさせたいと感情が起こっても、当然のことでしょう。
しかし、本作で発明される安楽死装置が実際に使われるシーンを見ていると、本当にそれでいいのかどうか、疑問がわいてきます。人の死の時期は、人間が決めてはいけないような気がするのです。どんな病人でも、命とじるまで、せい一杯に病と格闘し、今生の人生の問題集の総仕上げをしなくてはならないはずです。
けれども、本作のように末期の患者や親族から、この苦しみをどうにかして欲しいと懇願されたとき、主人公の取った行動は否定しがたいのですね。
きっと禅の公案のように、本作は私たちの残りの時間の問題を真剣に考えさせてくれる作品なのでしょう。そして、「ちょっとねぇ~(^^ゞ」というハッピーエンドとはいえない結末も、真剣に考えた答えが見つかれば、きっと生き方を変えてくれるような輝きを放つことなのでしょう。
エルサレムの老人ホームに暮らすヨヘスケル(ゼーブ・リバシュ)はユニークなアイディアでみんなの生活を少しだけ楽にするような発明をすることが趣味でした。例えばお薬お知らせマシーンとか神様からの通話と思わせる電話などなど。
ある日、彼は望まぬ延命治療に苦しむ親友マックスから、発明で安らかに死なせてほしいと頼まれます。妻のレバーナ(レバーナ・フィンケルシュタイン)は猛反対しますが、、お人よしのヨヘスケルは、親友を助けたい一心で、自らスイッチを押して苦しまずに最期を迎える装置を発明してしまうのです。同じホームの仲間たちの助けも借りて計画を準備し。ついに自らの意思で安らかに旅立つマックスを見送ってしまうことに。
しかし、秘密だったはずのその発明の評判は瞬く間にイスラエル中に広がり、依頼が殺到してしまいまいます。
そんななか、愛するレバーナに認知症の兆候があらわれ始めて、やがて自分の行動すら分からなくなっていきます。ある朝など食堂に裸で出てしまう始末。でも、一つの秘密で繋がっているホームの仲間の結束は暖かいものでした。正気に戻ったレバーナが落ち込んでいると知った彼らは、みんな裸になって、彼女を慰めるのでした。
そんな絆に癒されつつもレバーナは、自分の存在が徐々に消えていっていることに、絶望して苦しみます。そして、ついに夫にあの発明を使いたいと告げるのでした。
人ごとだった発明。わが身に降りかかったとき、ヨヘスケルがどうなったかはぜひ劇場でご覧になってください。
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