「中年のおかしみとかなしみ」アクトレス 女たちの舞台 よしたださんの映画レビュー(感想・評価)
中年のおかしみとかなしみ
主人公の女優はキャリアの頂点を極めている。
この人にとっては、若い人たちの間で話題となっているものは関心の外にある。それどころか、同業であるはずの若手女優に関する情報にも疎いときている。
人は、自分の歩んできた道にある程度の満足や誇りを覚えると、自分以外のことへの関心を失っていくものだ。
これは、ある意味の自己防衛であり、自分の歩んできた道を否定する価値観や能力との出会いを避けているとも言える。
自らのキャリアを新しい観点から見つめ直すことになる女優という職業の女性をジュリエット・ビノシュが演じる。スクリーン上の彼女の存在から目を離せなくなるのは、彼女を初めて観た「トリコロール 青の愛」以来である。
年を重ねると言うことは、かつて自分が嫌悪した存在に自分自身が近づいていく側面を持つ。これは不安であり、腹立たしくもあり、悲しくもある。こうした複雑な感情を、ビノシュは大げさには演じずに観客に伝えている。
そして、映画の演出も素晴らしい。冒頭の列車の中で四六時中携帯電話でどこかと連絡を取っているシークエンス。携帯電話という、時空の感覚を極小化してしまう映画の敵のようなアイテムを、ここでは逆手にとって、手短に二人の女性の置かれた状況を提示することに活用している。
「マローヤの蛇」をこの二人が見ることは結局ないことも象徴的である。あの幻想的な、東洋人ならばきっと龍と呼びたくなるような、谷を流れる雲。これを見ることがなかったばかりか、クリステン・スチュワート演じる秘書とそのリメイクされた「マローヤの蛇」公演初日を迎えることもないのだ。
新進女優のクロエ・グレース・モレッツが、ビノシュの演じる役を「観客はどうだっていいと思っている」と冷たく賢そうな表情で言い放つ瞬間は、言われた当人ばかりか観客席も凍り付いてしまう。このこともなげなに口から出た一言によって、ビノシュの腹が決まるところが残酷でユーモラスである。
久しぶりに好いフランス映画を見せてもらった。オリビエ・アサイヤス、わが愛しのマギー・チャンをフランスへ連れ去った罪はそろそろ時効にしてやるとするか。