午後3時の女たちのレビュー・感想・評価
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日常に潜む刺激を求めて……
セックスレスの夫婦が刺激を求めて売春婦を家に住まわせたら……という話
日常的な問題を大胆な演出や事件を頼ることなく平凡に、かといってカメラワークやトランジション、演技に一切手抜きをせずに非凡に物語が組み立てられていて、地味なのに目が話せないという絶妙なバランスが成り立っていてびっくりした
特に、カウンセラーを通じて心情を語ったり、飲み会がドンドン下品になって本音がポロリしたりするところがリアルで面白かった なぜ最後に彼女があんな事件を起こしたのか、わからないところは多かったが、もう一回見て考えたいと思えるぐらいには楽しい映画だった
生々しいテーマをシャープに描く
全く知らない作品だったが、タランティーノ監督の推しということで鑑賞。 きれいな映像の中繰り広げられるタランティーノ風な破天荒な展開は、個人的にはかなりの好み系だ。 上映時間97分は映画としては短時間ながらも、本来生々しいはずの夫婦の悩みを明るく楽しくそしてシャープに描ききった本作は、内容が面白い面白くないの枠を遥かに越して、お見事!としか言いようがない。
抉り出す
淡々と、モンモンとするなかに細かいスパイスを入れつつ、頂点に向かっていき、大爆発が起きて、コアが残る。 大爆発が起きるまでマグマがたまっていくシーンの作り方が秀逸。 そして、全編を通してレイチェルのファッションと表情が雄弁。 当たり前に穏やかな日々というのは、退屈なのかもしれないけど、ありがたいものだし、憧れだ。
ジェフ ワーク 『ジェフの会社』それぞれの気持ち分かち合えない様子
内容は結婚後の倦怠期を過ごす主人公とその家庭に突如現れる娼婦の女の子の物語。印象に残った言葉は『セックスするなら午後3時半がいい』でタイトルにある様に、各人それぞれが自分本位の考えからは逃れられないんだなと深く感じる事が出来る作品でした。『真実を話さなくてもいい』は嘘ばかりの映像作品に少しばかりの現実感を出してる様に思えて面白かったです。娼婦に対しての感想は分別なく自由だと思っているので普通に感じました。映像的には、冒頭と最後の洗車機に流れる水の表現が好きです。社会に出るといろんな付き合いなどかあり結果それぞれの気持ちが分かり合える事なく自分本位な考え方に呪われ振り回される行く末が世代間あるあるでウケるのかもしれません。中年の自分には味わいある面白かった作品でした。
サンダンスらしさ
マッキナを“利用”したレイチェルのズルさが、人間たちの弱さ・悲しさをあらわにしてしまう。 マッキナへの真心も本当だったのだ。 そして売春をするマッキナへの蔑視も本当だったのだ。 この事件が核となっているから、本作品はただのママ友ドラマにはなっていない。 頑張ってるけど、上手くはいかない庶民の足掻きを、いつもペーソスたっぷりに魅せてくれる、・・これがサンダンス映画祭の独自性のいいところなんだなぁ。 大仰ではないし、短い尺だけれど、自己チューの結末として誰かを踏みつけにした後味の悪さを、「これって、体験あるよね」と、しっかり置き土産にしてくれる。 そして踏みつけにされた側も人としての尊厳には微塵の傷などつけらずにインディペンデントしていく。 そこがいいんだ。
マッケナに、キチンと謝れ!
マッケナが壊れたのは、レイチェルの裏切りから、起きた。表では、マッケナに子守りを頼んだ友人に同意しながら、裏では夫にマッケナは子守りをする資格が無いから、あなたからキャンセルしてと糸をひく。女の子達の子守りを任せられたマッケナは純粋に喜び、ネイル💅等、女の子達の為に、おもちゃを買いに行くシーンは素晴らしい。マッケナの他人から子守りを任せられた喜びは、凡人には判らないだろう。キャンセルの理由は、レイチェルが直接、マッケナに話すのが、人としての常識である。信用していた女友達に、理由も話して貰えず、子守りを断られた事は、今、問題になっている人種差別と同じだと思う。売春を止めろ!とアドバイスしておきながら、部屋の提供だけで援助は中途半端。挙げ句の果てに、子守りの仕事も、売春婦だから相応しく無い!と支離滅裂。せめて、最後に車で、マッケナに会いに行ったなら、レイチェルは、傷付けて、ゴメンなさい!と謝って、和解して欲しかった。バーの前で、マッケナが笑っていたのは、泣いてても仕方が無いから。レイチェルの最後の会話から、レイチェルは、ただの欲求不満の偽善者。最悪な女。Sex worker だと分かった時点で、家から出で行って貰うのが筋。マッケナを助けたい!とか、結局、全部、嘘で、彼女を泊めたのは、ただ、ただ、自分の興味本位。暇つぶし。マッケナ役のジュノー・テンプルの迫真の演技が台無し。レイチェルは、マッケナを助ける事が出来たはず。これが無理なら、戦場カメラマンなんて、夢もまた夢。笑っちゃう。せめて、戦場カメラマンだった!位のエピソードにしてくれ。夫に相談もせず、売春婦を泊めて、プールで泳がせ。飽きたら、彼女を陥れた、自分の子供の面倒も見れない哀れな裕福層の母親役は、やって欲しくなかった。
女は、いつまでたっても女でいたい。
女はいくつになっても女でいたいのでしょう。 夫とのセックスレスで悩む妻。 このまま枯れて行きたくないと願う余りに飛び込んだ風俗店で、何故かストリッパーの可愛い女性と出会います。 自分にないものを持つ彼女に魅入られてしまった妻は、彼女を家に住まわせるのですが、それが良くなかったのです…。 ドロドロとした男女のもつれが展開されていく後半。 ママ友との別れ、夫との別居など悲惨な結末になるのかと思いきや、意外とすんなり収まってしまったことにビックリでした。 でも、これが逆に現実的なのかもしれないと感じる結末でした。 魅力的な女でい続けるって難しい…。
当たり前の毎日が平凡
何不自由なく当たり前の生活が退屈で苦痛。 そして自分は主婦と思ってない。 不倫!という題材ではない。 夫婦の関係も仲良く見えるが、マッケナが最後にヤンチャして、周りを巻き込み、夫婦仲が一変する。 当たり前の毎日を失って、何が大切なのかを気づく映画。
辻褄の合わない女の物悲しさと可笑しさ
セックスレスの欲求不満の主婦が、若いストリッパーと出会い、女を目覚めさせる物語、と言うと下世話に聞こえてしまう。しかし実際はもっと生活臭くて滑稽な話だ。
ただ私はこういった「辻褄の合わない女の物語」が好きだ。見る人によっては、ただのわがまま女でしかないかもしれないけれど、彼女には彼女にだけにしか分からない孤独と悲しみと理由と言い分がある、そういう女が映画の中にいると、私は共感してしまいたくなる。誰もが品行方正で、折り目正しく生きているわけではないし、私にも私にしか分からない言い分と理由があって生きているからだ。
主人公の女は、何不自由ない暮らしをしている。ただ時に、何不自由ない暮らしこそ、最大の不幸ではないかと思うことがある。何故なら、不自由がない以上、自分の人生に不満を抱いてはいけないとでも言わんばかりの社会の風潮と目線があるからだ。不自由のない暮らしの中でそれでも不満を抱いてしまう自分を責めてしまうからだ。
主人公の女も、そうだったはずだ。自分が恵まれていることがわかっていて、それでも満たされない日々が辛かったはず。そんな彼女だからこそ、ストリッパーに共感し、道をうまく外せない自分の理想をついストリッパーに投影してしまったはずなのだ。
ただ、それすらも彼女の幻想で独り善がりでしかない、と映画はきちんと突き放す。若いストリッパーがまさか贅沢な主婦に共感するはずもなく、善意と言う名の独善愛を突っぱねる行動を起こす。友人の第2子妊娠の報告を受けた後の崩壊ぶりが痛々しくも可笑しく、その後の顛末が情けなくてやはり可笑しい。
こういう、「女に嫌われるけれど、しかし同時に女にしか理解できない女」の映画を私は愛している。90年代なら、ジェニファー・アニストンがよくそういう女の役を演じていた(テレビで「フレンズ」のレイチェルを演じる一方で、映画ではフェミニズム的に面白い役を演じていた)。この映画の主人公のような、説明のつかないことをする理由のない女の映画を私は身近に感じ、女の人生の面白さと可笑しさを垣間見る。
この手の映画のヒロインを演じるなら、やはり喜劇のセンスを持つ人がいいだろう。役柄に良い意味での滑稽さを出せる女優でなければ、本当に観客に嫌われるだけで終わってしまう。そういう意味で、キャスリン・ハーンの起用は表目に出た。脇役の面白いサブキャラと言う立ち位置が多い女優だが、それが逆に普通っぽい親近感に繋がり、誰にでも起こりうる物語のように作品を引き寄せることができた。ストリッパー役の童顔女優ジュノ・テンプルも独特の色気の出し方で相変わらず面白い存在感を見せる。
人によっては全く共感できないだけでなく、腹の立つ話にしか映らないかもしれないけど、私は意外と好きな路線の映画だ。
終わり方が興味深いってか新鮮
レイチェルの苦悩に不満など共感出来ないし充分幸せな生活の筈が?贅沢極まりない。 夫婦共々、自由奔放で若いカップルみたいだ。 笑えるシーンもあるし登場する主婦仲間が皆人生を満喫している感が素敵。 そんなレイチェルの毎日が退屈で不満だらけで大人に母親に未だなれない幼さが残る。 劇中のベッドシーンでは見せないレイチェルのバストをラストに持ってくるのは新鮮だった。
現代の象徴か
売春婦への、好奇心と嫌悪感に苛まれたり
軽く馬鹿にしていたカウンセラーやママ友達に
頭をスコーンと殴れるような描写だったりに
ハッとさせられる。夫に対しても同じく。
彼女は傲慢でしたよね。
自分が正義で、自分が特別。
流れるような展開の中でそういう一つ一つが生きている。
それぞれ思い当たる節があるのではないかなと。
監督は何をしたかったのか
サンダンス映画祭監督賞なのだそうな。 タランティーノ監督が2013年のベスト10に選んだのだそうな。 面白い設定だな、と思って観に行った。 キャスリン・ハーン演ずるレイチェルがセックスレスな夫との関係とかユダヤ人婦人会的関係とかで悩んでいるのは分かる。 2組の夫婦でたまたま行ったストリップ・クラブで若くて可愛いダンサーの女の子にレイチェルが一目惚れしたのも分かる。 さりげなくその女の子に接近したくなったのも分かる。 たまたまその女の子が住む所をなくしたのでこれ幸いと自分の家の空き部屋に住まわせたのも分かる。 そして娼婦だったその女の子を改心させようとしたのも分かる。 でもそれが無理なのも分かる。 分かるのはここまで。 その後の展開で、ジル・ソロウェイ監督がどうしたかったのかが分からない。 収拾がつかなくなっちゃったのか? 最後まで我慢して観るのが辛かった。 三十代後半からアラフォーの既婚女性になら通じるのだろうか。 あるいはユダヤ人になら通じるのだろうか…… ちなみにオフィシャルサイトの「日常に宿るユーモアを拾いながらリアルに描かれる」というのは正しいが、 映画コムいわく「コメディドラマ」、Yahoo!映画いわく「ユーモアたっぷり」は、 嘘か、まちがい。 そして、 「キル・ビル」とは全然違う分野だから、 タランティーノは信ずるに足らん。
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