「ボーヴォワールが言う「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」という瞬間なのかもしれない。」ヴィオレット ある作家の肖像 kthykさんの映画レビュー(感想・評価)
ボーヴォワールが言う「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」という瞬間なのかもしれない。
クリックして本文を読む
40年代のフランスの実在の女性作家の話し。私生児として生まれたヴィオレットは混乱の大戦の時代、作家である夫、モーリス・サックスと闇商売で生き抜く。戦後、夫と別れパリに出るが、なにもない彼女にとって、ただモノを書くことだけが、生きて行く全て。
初めての作品「窒息」は作品というより、たった一人、生きなければならない、若い女性の赤裸々な生活を綴ったもの。幸い、その作品はボーヴォワールに認められる。「第二の性」を執筆中のボーヴォワール、彼女のことは何も知らなかったヴィオレットだが、偶々、ブックショップで立ち読みし、書き上がったばかりの「窒息」を抱え、彼女のアパルトメントを押しかける。
若い女性が都市に生きること、いや、パリしか彼女には生きていく場所がなかったのだ。ジャン・ジュネやカミュ、コクトーやサルトル、更に有数なフランス文学の出版社であるガリマールや香水会社ゲランの社長ジャックが登場し一見、華やかな生活。しかし、彼女にあるのは大都会の片隅の粗末な部屋のベッドと机とランプと小さな窓。
映画ではこの小さな窓が象徴的。ヴィオレットの「窒息」を開くのはプロバンスの陽光溢れる大きな窓。パリの厚い石の壁の世界から、一気に抜け出すヴィオレットの世界。それは「あるがままの世界」しか生きる術を知らない我々現代人が、唯一見つけることが出来る「あるはずの世界」、芸術を知る赤裸々な体験なのだ。それこそ、ボーヴォワールが言う「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」という瞬間なのかもしれない。
コメントする