「聾話学校の物語。」ザ・トライブ きりんさんの映画レビュー(感想・評価)
聾話学校の物語。
聾話学校の物語。
僕の学生時代、
隣接地が聾話学校だったのでした。
ある日の“事件”をここで報告します・・
下校する子どもたちが僕の学校の前を毎日通ります。
みんな手話で、何やら楽しそうにやってますね。学校での出来事かな?テレビか何かの話題でしょうか?無音だけれど実に賑やかな手話での彼らのおしゃべり。
強度の難聴の子は、左右の両胸のポケットに補聴器を付けて、友達との手話で夢中ですね。
ワイシャツにポケットが2つ付いていない子たちは、手作りのホルダーにトランジスターラジオ型の補聴器を入れています。体の小さい一年生だと補聴器の大きさがとても目立ちます。
ホルダーはお母さんの手作りっぽいです。
あの聾話学校は、うちの学校法人がお分けした土地に建てられたものですし、我が校の「学校案内書MAP」にも隣接地としてその存在が載っている。
僕は当然彼らの姿を、毎日毎日見ています。
ところがある日のこと、
僕も寮生だったのですが、外出から車で戻ったときがちょうど聾話学校の子どもたちの下校時間でした。
ちょろちょろ動き回る小学生って危ないですよねー。丘陵地帯の自然豊かな小径です。僕は最々、最徐行であの子たちの後ろにつきました。
彼らの歩くスピードで。ゆっくりと離れて。しばらくそのままずっと。
誰も振り返りません。
彼らは通学路を左に折れて行き、そして僕は寮に戻るために右手の校門へ。
と、その時、二人の子が僕の乗用車の50センチ前に突然飛び出しのです。
「あ”ッ!え!なんで?」
ブレーキは間に合いましたが、呆気に取られて冷や汗でした。
つまり・・「耳が聴こえない」ということはそういうことだったのです。
ゆっくりと、だんだんすぐ後方に近づいてくる車のエンジン音も聴こえないし、さわれるほどすぐ横に並んだ自動車の姿も、急ブレーキ音も、もちろんパニックで咄嗟に鳴らすクラクションでさえも子どもたちにはまったく聴こえない。
(鳴らしませんでした、そんな余裕などなかったので)。
聴こえないんですよ本当に。
【「視覚」に入らないとこちらの存在は、聴覚障がい者は分からない】。
隣接地の学校なのに、5年もそこにいたのに、僕はそのことが実体験としては分かっていなかったですね(汗)
分かっているはず、
聞こえているはず、
通じているはず。
― これらは僕の持っている“常識”に過ぎず、危険な思い込みでした。
皆さんも気をつけて下さい。世の中には聴こえない人たちがいるんです。
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映画は、
寄宿舎が舞台なので、登場人物みんなが聴覚障がい者というわけです。
特に身内に聴覚障がい者がいなければ、外からは伺い知れない「手話」という手段による会話の世界が、そこに展開されています。
入室者の存在を知らせるための、「ドア上のランプの点滅」が興味深いなぁ。
若者たちの青春と、喧嘩と、恋愛のストーリー。
ダークで暴力満載。文科省は絶対に推薦しないギャングエイジ。
お涙ちょうだいの福祉物語は期待しないでね。バイオレンスなんです。福祉とは対極です。ヤクザ映画ですよ。可哀想じゃないし、誰もあんな連中とは関り合いたくないでしょ?
そしてそれらが全て手話で伝えられる。
意欲作です。ひとつの実験映画としては革新的で、成功している。
字幕は無い。だから、
・見ようとする者にしか見えない。
・聴こうとする者にしか聴こえない。
健聴者に挑戦する、超不親切な映画なんですが(笑)、でも見ようとするなら、そして聴こうとするならば、人間はそのコミュニケーションの相当の部分をやり取り出来るんだと、あの無音の画面から僕は語りかけられました。
ほら、初めての外国旅行で、僕らは五感を研ぎ澄まして人間の“声”を聴こうとするじゃないですか、あの時の感覚に似て。
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殴るのも言葉。
水責めも言葉。
セックスも言葉。
「言わないケド、なんとなくこちらの思ってることを忖度して空気読んでね」という我々馴染みのお利口さんの言語体系ではなく、とにかく相手の肩を叩いて相手を振り向かせることからしか対話が始まらないその“強引”さに、(=聴覚障がい者の有り様に)、この映画から学ぶことは小さくないと思う。
すなわち、
相手を呼び止めること、
相手の目の前に回り込むこと、
相手の歩みを止めさせてでもこちらの言い分を伝えるための気概、
そして相手が用いる言語への接近。
通訳無用の、これは直接対話のススメだ。
(了)
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追記①
最近の支援学校は、以前のような失聴者同士の会話(=手話)よりも、健聴者との会話コミュニケーション習得のために、読唇と、口話による発声会話法に重点を置いているようです。
でもちょっとした手話を知っておくと、そりゃあ楽しい。
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追記②
昨年、「パラサイト半地下」のレビューにも書いたけれど、「殴る」、そして「わざと相手に殴らせる」という僕にとっては“未知の言語の世界”を、僕は扉を少ーし開けてみたので。
拳(こぶし)も言葉の世界の一角として、物事を語ってもいるのだと知ってから、当作品への印象は前向きに少し変化したかも知れない。
星半分プラス。