「映像的な快感としてのアニメーション」ラブライブ!The School Idol Movie MintSleepyさんの映画レビュー(感想・評価)
映像的な快感としてのアニメーション
非常に評価の難しい一本。ストーリー的な面では突っ込みどころは多いし、正直穴だらけだと思う。しかし、この作品はいわゆるリアリティーを持ったドラマとして整合性を追求してはいけないのではないかと思った。
最初にそれに気付いたのはニューヨークで唐突に凛ちゃんが歌い出した時。一年生トリオのPVでは衣装も場所も唐突に変わっている。
テレビシリーズの頃からミュージカル的な演出は時々あったが、今回はこれ以外にもリアリティーラインを踏み越えているところがいくつかある。その一つが日本へ帰国した穂乃果が女性シンガーと再開した後の穂乃果の心象風景的なイメージシーン。一応夢とも取れるようなフォローはされているものの、理屈で考えると話はつながりにくい。しかし、今回の映画で個人的に一番感動したのもこのシーンだったのだ。あれは絶対に実写では撮ることの出来ないアニメでしか表現出来ない映像的快感に満ち溢れたシーンだと思う。ライブシーンのPVばかりが注目されがちな作品だが、これは声を大にして訴えておきたい。PVではCGの出来やリアリティーラインの曖昧さも含めてラストの『僕たちは一つの光』は特筆すべき出来。
脚本に関していうと穂乃果達に最初から全部夢だったんじゃないかと言わせていることと、理事長のセリフにあるμ'sを続けて欲しいという外部からの要請がメタフィクション的にしか聞こえないことが、大きなポイントかと思う。今回はリアリティーラインがこれまで以上に下がっている点が多い。例えばニューヨークへ行ったのは現地のテレビ局の招待だったはずなのに直接絡む描写がない。また帰国したμ'sを迎えたのは同世代の女子ファンばかりで男性ファンの姿がない。秋葉のイベントでも一般観客の姿がない。これらは描写の必要がないと判断されて排除された要素だろう。夢かもしれないというエクスキューズは最小限の誠意と言えるかもしれない。(キャラクター描写については海未ちゃんの扱いがひどいと思うが、それはまた別の問題。)
ただ上でも述べたようにこの作品は理屈よりも映像と音楽による快感を味わうことが優先されるべき作品だと思う。時間があればもう一度見るかもしれない。