「ラブライブ!というお話の落とし所」ラブライブ!The School Idol Movie ぺいもさんの映画レビュー(感想・評価)
ラブライブ!というお話の落とし所
鑑賞した人ならご存知の通り、この映画をもってラブライブ!のお話は完結した。TVシリーズ1期2期の鑑賞を踏まえた上で、私的には、あの形でしか物語の完結はあり得なかったと感じたことを記載していく。
今回の映画でTVシリーズやその他の出版物等からの大きな変化として挙げられるのは、作品内の主人公含む9人で活躍するスクールアイドルμ'sの存在と、その9人のキャストが現実にライブを行うアイドルμ'sの存在が密接にリンクしたものとして描かれていたことである。街ではμ'sのPVがパブリックビューイングで流れ、至る所にポスターが張り出され、海外でライブを行い、空港にはその姿を見んと大勢のファンが詰めかける。現実でもラブライブのポスターはそこら中に見られ、海外でライブをし、空港でキャストは出待ちされる(そもそもキャストの大半は無名な人物であったのに。)
TVシリーズでは、観客0から始まったμ'sの活動は最終的にスクールアイドルの大会ラブライブでの優勝とその決勝戦でのアンコールを得るまでに成長した。
その過程で唐突に得た人気やメンバーそれぞれの思いの独白などから、物語中でμ'sとそれを取り巻く人々はどんどんヒートアップしていき、(『私たちは私たちの「今」を届けたい!』てのがテーマだし)熱に浮かされた状態となり、自分たちのやりたいことや伝えたいことしか見えなくなっていく。(悪い意味では主人公のほのかが高熱を出してライブ中に倒れる等。良い意味では周りの評価など見えなくなっていたがためにラストライブで大勢の観客のサイリウムとアンコールに号泣等。)
そうして流れに翻弄され続けたのがTVシリーズのμ'sだと思う。しかし上記したように劇場版でのμ'sの人気はその非ではなくなる。
そこでμ'sの面々は3年生卒業の際に解決した問題に再び直面する。それはこのまま活動を続けるのか、やめるのかである。
(話の流れは見てもらうしかないが)μ'sはせっかく卒業と同時に解散を決意したのに、やめるにやめられない状況に陥ってしまう。しかもここで迫られた決断はTVシリーズとは異なり、「アイドルとして続けるのか」「解散か」である。人気出すぎちゃったからね。卒業したら解散か続けるかを自分たちの中だけで決めてそれ以外の人には発表しない、そんなことも言ってられなくなってしまう。それに結びつけて「なぜ歌を歌っているの?」なんてことにも答えを出さなきゃいけないとなってしまう。しかもやめるっつってんのに大人の都合でドームライブに出て欲しいとか言われる。ヤバい。俺なら2週間くらい休みをもらいたい。
どんな過程で解決するかは省略して、とにかく答えとしては「μ'sは制限時間の決められた、でもその中だからこそ必死で頑張って輝けた、スクールアイドルという存在にこだわりたい。だから解散する。」というものだった。
ここに至ってTVシリーズ本編では描かれなかった、自分たちの立場の認識とそれを立ち止まって深く内省するシーンが初めて登場する。(ほとんどほのかだけど)
ラブライブという物語は勢いで始まり(廃校を止めたいからアイドルやるってなんだよ)TVシリーズもそのままスピードアップして駆け抜けた。そして劇場版に至ってその主人公たちが一度立ち止まり、自分たちの身の回りをしっかり見た上で、改めて解散を決意する。しかも頼まれていたことやりたいことは全部やりきった上で。
これはまさしく大人になっていく過程そのものであり、いつまでもスクールアイドルじゃいられなくなったμ'sがずっと歌やダンスに乗せて届けていた彼女たちの「今」を、エンディング曲の僕たちはひとつの光(これでもかってくらいアイドルぽい曲)を持ってして全て終わらせた映画だったのだ!これくらいポジティブでキャッチーな終わり方にしないと自殺する人とか出かねないからな!凄いぞサンライズ!強いぞブシロード!
満点じゃないのはスクールアイドル全員で歌うシーンの他のスクールアイドルが全員没個性なCG背景…一瞬のシーンでもいいからあの子たちが個性的に描けてたら満点でした。
(これでもかと言うほど勢いで書いたけれども、2回目以降見てもここに関しては評価が変わらないであろう部分についてのみ言及しております。)