「悲しいけど、とても現実的」パパが遺した物語 なっちゃんさんの映画レビュー(感想・評価)
悲しいけど、とても現実的
現実的なのはストーリーではありません。主人公ケイティの生き方です。
女友達というものは恋人の話や幸せな話を共有して過ごすものです。ケイティに女友達がいないのは、日々に幸せを感じていないから。
一晩の相手を求めてしまうのは、男性はとても簡単に自分を必要としてくれるから。必要とされる瞬間だけが幸せだから。
親を幼くして亡くし、そしてその思い出もほとんど遠い昔の記憶。それがどれだけ辛く悲しいものかは、似たような体験をした人(ソーシャルワークで出会う子ども達)もしくはこの体験を知っている人(キャメロンのように本を読んだ人)にしかわかりません。
ケイティもここまで成長するまでの間に何度も信じようとしたはずです。
「私は変じゃない。普通の女の子。友達だって作れる。愛が何かを知ってる。」
でも違った。女友達といても生まれるのは劣等感や罪悪感ばかり。普通の恋人を作ってもこの負の感情は理解されるわけがない。だったら身体だけの関係のほうがマシ。傷つきたくない。
そんな経験から今のケイティになったような気がしました。
生まれつき両親や兄弟がいて、食事が3食出て暴力や差別を知らず、事故や事件で身内を亡くすことなく生きてきた人では、たとえどんなに愛し合ったとしてもケイティと結ばれなかったでしょう。
親に会いに行くあの日、逃げたケイティをキャメロンのように追いかけなかったでしょう。
それがどんなにいけないことだと頭ではわかっていても男性を求めてしまったケイティ、ケイティが大変な人生を歩んできたことを頭ではわかっていても悲しさと混乱からケイティから離れてしまったキャメロン。
とても辛いシーンですが、2人の感情表現が本当に見事で見入ってしまいました。
お父さんとの過去のシーンは悲しいものばかりで、胸が痛みます。それでもポテトチップにとっては大切な思い出です。
辛さと優しさと怒り、そして涙。それでも最後の最後に待っているハッピーエンド。人生を見つめ直させてくれた素敵な作品でした。
以上はすべて私なりの考察です。