劇場公開日 2015年12月12日

「反戦、そして、母と息子の天国へのバージンロード‼️」母と暮せば 琥珀糖さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0反戦、そして、母と息子の天国へのバージンロード‼️

2024年8月11日
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鑑賞方法:VOD

原爆と聞き、自分では分かっているつもりでした。
しかし何も分かっていなかった。
幸せに暮らしていた医大生の息子と母の生活が、
当然のように将来は結婚して家庭を持ち子供を育てる、
そう決めていた若い2人、
それが突然に、前触れもなく、暴力的に、
庶民の生活が根こそぎ奪われたのです。

1945年、原爆が長崎に投下された8月9日。
それから3年後の1948年8月9日にはじまる物語です。
助産婦をしている伸子(吉永小百合)は、次男・浩二(二宮和也)の
命日を恋人だった町子(黒木華)と迎えてます。
高台にある伸子の家は戦災を免れてしっかりと建っている。
この辺りは被害が及ばなかったらしい。
浩二は長崎医科大学の講義中の午前11時、原爆が投下された。
瓦礫の下敷きになって
遺骨も時計も洋服の切れ端も残らず、母・伸子は息子の死を
まだ受け入れ難く思っている。
まるで嫁のように伸子の世話を焼く町子は、小学校の教師をしている。

浩二の死から3年。
母親の元に浩二が亡霊として帰ってくる。
母親に息子は言う。
「僕は死んだんだから・・・」
引導を渡しに来たのか?
息子との会話は弾んで楽しい。
思い出が次々と溢れて、それは明るい浩二のお喋りで、
孤独な母の頼もしい相談相手。
伸子は結核で夫を亡くし、長男は学徒動員でフィリピンで
戦死している。
そして次男の浩二まで・・・本当に痛ましい。
・・・・言葉もない・・・
そして母の心配は町子の将来。
そろそろ新しい人生を考えてもいいのではないか、と。

頑なに「町子は俺の嫁、ほかの男に盗られたくない」
そう言う浩二にも、母の喧嘩腰の説得に、折れていく。
そして「俺の分まで幸せになってほしい」と言う迄になる。

伸子はキリスタン。
教会に通い讃美歌を歌い、日々、祈りを捧げます。
やはり長崎や天草、五島列島・・・は、宣教師が古くから
布教に訪れて信者が多いのですね。
遠藤周作の原作を篠田正浩が映画化した「沈黙」
そして同じくマーティン・スコセッシ監督の「沈黙ーサイレンス」
で、キリシタン弾圧が描かれていますが、庶民の隅々まで
キリスト教信仰は根強く生き続けているのですね。

ラストの伸子のお葬式のシーン。
天国への階段を迎えに来た浩二と昇って行く。

ちょっと違和感のあるシーンでしたが、
この映画の元となった
井上ひさしの戯曲「父と暮せば」
井上さんはカトリックの孤児院で何年間か暮されたそうなので、
その関連なのかもしれませんね。
出演者はみなさん素晴らしかったです。

琥珀糖
R41さんのコメント
2024年8月26日

蛇にピアス
コメントありがとうございます。
琥珀糖さんの一社る通り、感じればいいだけなのでしょう。
ただ、
この小説に、監督が反応し、実写化した。
この小説に何らかの強い表現性を感じたとでもいいましょうか。
それを知りたいと思いました。
作家は当時19歳だったのですね。
すさまじい才能です。
等身大の同世代
彼女ならではの感じ方があったということでしょうか。
この作品には「理屈」というものがないように思います。
理屈がないなら、「説明」などできませんね。

R41
R41さんのコメント
2024年8月25日

わざわざありがとうございます。
さて、本日「蛇にピアス」を見ました。
琥珀糖さんはもう見ましたか?
芥川賞の実写化は、ほとんど理解できませんでした。
最もわからなかったのがタイトルです。
だからあえてそこにはレビューしてませんが、蛇という対象、わかるようでわかりませんでした。
コピーのようでもありメタファーのようでもあります。
最大の問題は、主人公ルイの苦悩の根源が描かれていないことで、彼女がどこへ向かいたいのかさえわからない点です。
常識的観点から見れば不可解そのものですが、ルイを一人の現代の若者として見れば、彼らの聖地である渋谷でさえもルイにとっては架空の世界として感じます。
そんな空虚を抱えた若者が集まっているのが渋谷なのかもしれません。
つまり、誰も、何も融合などしていないということです。
毒を以て毒を制すと言いますが、不可解をもって不可解を表現している。
そんな風にも感じました。
以上余談です。

R41
R41さんのコメント
2024年8月21日

コメントありがとうございます。
お褒めいただいて恐縮ですが、私はこのサイトを発見する前、作品に対して一言いいたかったのを覚えています。
作品が何だか忘れましたが、非常に考えさせられるような作品でした。
作品の中で感じたことだけを拾い上げて自分が感じたことを言う。
当時は特に言いたかったのだと思います。
監督は作品を通して何を言いたかったのだろう?
これが思考の主軸になっています。
さて、
賛否というのも面白いですね。
それだけ作品に対する心の揺れが大きかった、そして大きかったのに、という感じでしょうか?
ヴァージンロード
ここに賛否があるのは良いとして、私は天に上る階段があのように表現されたことに感動を覚えました。
死とは結婚同様神聖な出来事だと監督は考えたのかもしれません。
生まれ 結婚し 死ぬ
このサイクルの中で神聖でないものなどないのではないかと思います。
そしてこの作品もまた素晴らしかったです。

R41
R41さんのコメント
2024年8月21日

いつもありがとうございます。
最後の葬儀のシーンは、確かにヴァージンロードでしたね。
この作品にはメッセージのようなものがいくつか隠されているのではないかと思いました。
その一つが、母というのは実はこの世でも永遠ではないという事実です。
母と呼んでくれる子供がいなくなれば、母はもう母ではないのです。
この切なさが、この作品の中にちりばめられているように思いました。
また、マチ子。
彼女はお義母さんとは呼ばず「おばさん」と呼びます。
これはマチ子が逃げ道を用意していると思われます。
私は勝手に、コウジは母が母でなくなってしまったことに気づいたから出てきたと推測しました。
コウジは、いつまでも母に母でいてほしかったのだと思います。
コウジは「あきらめたから出てこられた」と言っていましたが、実はあきらめたことで母でなくなってしまうのが辛かったんだと思います。
中々泣かせてもらいました。

R41