「期待したんだけどねー」シン・ゴジラ ごろにゃんさんの映画レビュー(感想・評価)
期待したんだけどねー
怪獣映画が好きで、ゴジラについてはほとんど見ていると思うが、はっきり言ってひどかった。ただし、見どころが全く無いというわけではない。成長した後のゴジラの形態と動きはなかなか良かったと思うし、自衛隊との戦闘シーンは迫力があった。
しかし映画全体としては、それらを帳消しにしてさらにマイナスが付くくらいひどい。その理由はドラマ部分が信じがたいほどお粗末ということに尽きる。具体的には、(1)ドラマ部分の絵が極めて汚く、見るのが苦痛になるほど、(2)日本的組織に対する苛立ちやアメリカ批判ばかりが全面に出て、ドラマ部分にまともな「物語」が無い、といった点である(日本的組織やアメリカへの批判自体は、作品の中にうまく組み込まれていれば、評価を上げることになるだろうが、「シン・ゴジラ」のそれは中二病の発作にしか見えなかった)。
東宝が巨費を投じた本作でこれほどスベってしまった理由は、庵野監督が「映画」(より広く言えば「芸術作品」)における「リアリティー」というものを誤解しているからだと思う。庵野監督は、第一作の「ゴジラ」が「リアリティー」を持った理由は、当時の制作スタッフや観客が戦争と被爆の体験を共有していたからだと考えたようだ(ネット上の記事の中にそのような趣旨のものがあったように思う)。だから、「シン・ゴジラ」では、これでもかというほど東日本大震災のイメージを喚起するようなシーンを盛り込み、ドラマ部分の撮り方も敢えてドキュメンタリータッチにして汚いものは汚く撮ることで「リアリティー」を増幅させようとしたのだろう。
しかし、第一作の「ゴジラ」が持つリアリティーについてのそのような解釈は全くの誤解だと思う。第一作があれほどのリアリティーを持ちえた理由は、特撮の名シーンに良質のドラマをうまく接合したからだった。芹沢博士と恵美子のメロドラマや博士の悲劇的な自己犠牲はかなり荒唐無稽な話ではあるものの、登場人物の個性が良く描かれていて全体のストーリーに不可欠な要素として組み込まれたが故に共感を呼び、全体としての作品がリアリティーを持ったのである(志村喬をはじめとする俳優陣の名演技も大きかった)。確かに、戦時中の記憶や第五福竜丸の被爆が作品の背景にあるものの、それはあくまでもきっかけとしての一要素だった。そうでなければ、日本人だけでなく、さまざまな国の人々もあの作品にリアリティーを感じたことが説明できない。リアリティーは、特殊な現実の中にあったのではなく、むしろドラマとしての普遍性の中にあったのである。
なお、映画は映像芸術であるが、それは各シーンが一幅の「絵」としての魅力を持っていなければならないことを意味する。このことは、ゴジラが登場するシーンだけでなく、ドラマシーンにも当てはまるはずであるが、その部分の絵が本当にひどかった。
まあ、どこに主眼を置くかというのは人それぞれですから、貴方の観点もアリでしょう、
しかし、目の前に突如現れた未知なる想定外の恐怖が現れたとき、その最前線で対峙せねばならない人らは毎日家に帰って休みも取って彼女や家族とイチャついて気力充分にしてる場合ですか? これは映画である、フィクションである、という事実をそういう局面として見せる手法をあえて取らなかったことなど一目瞭然でしょう。なぜなら、そんなことは過去にさんざんやってきて飽きられているものだし、ゴジラでなくて海猿ででもやってりゃいいわけです。
マキ教授のくだりなんか、よく出来ていると思いますけどね。
メロドラマが無いからドラマが無いって・・・
映画が芸術とか、
なんか長回しで引いた絵あってイチャイチャしてれば邦画は芸術なんだって感じがもう・・・
未曽有の化け物退治人間ドラマを一気にラストまで引っ張る映画に
何を悠長な見方で語るのか理解できない。
アメリカ批判が強かったとは思いませんけどね。
多少の説教臭さはありましたが、アメリカの判断もそれはそれで正しいものでしたし。
あとそんなにこの映画滑ってるんですか?
同感です。リアリティーについての誤解、ドラマ部分にまともな「物語」が無い、
「絵」としての魅力が無い、等私が見終わってからもやもやしていた事をうまく
言葉で代弁してもらった気持ちになりました。