「お祭りを楽しんだ」進撃の巨人 ATTACK ON TITAN エンド オブ ザ ワールド 古泉智浩さんの映画レビュー(感想・評価)
お祭りを楽しんだ
昨日、BSプレミアでメイキングを見たら、すごく真剣に心を込めて撮影に取り組んでいる様子がうかがえて感激したので、前編があんなだったからと言って始めから駄作と決めつけて見るのはやめよう、いいところを見つけようと思って見た。
しかし、始まって数分で説明的な会話のような演説のような場面が延々と続き眠くなってしまった。眠くならないようにきちんと体調を整えて、それまであくびも何もなく、その上クロレッツのブラックを噛みながらだったのに、一瞬で落ちるほどかったるい場面でところどころ記憶が途切れた。その後のスタジオみたいな部屋の場面、シキシマとエレンの殴り合いの場面もかったるい会話がだらだらと続いて眠ってしまった。
そもそも壁の穴をふさぐために壁を火薬で破壊するというのも最後の最後まで意図が分からなかった。火山を爆破でふさぐのなら理解できるが、壁を火薬で破壊してもっと穴がでかくなったり壁が倒壊したらどうするのだ?と思っていた。最終的に見ごとに穴を塞いでいたのだが、壁自体が低くなってしまってそれでいいのだろうか。なんならアニメーションなどで、作戦を事前に解説して欲しかった。
シキシマや國村隼の巨人化は誰か背中を切ってくれる人がいるのだろうか。それとも自分で人間サイズに戻ることができるのだろうか。
前編で火薬を盗んで爆発させた謎の人物の正体はどうでもない人だったようだ。引っ張るほどのことだったのだろうか。実は後編で一番気になっていたのにぼんやりした回答だったためモヤモヤした。姿を隠した映像表現で納得いく答えが得られる事は稀なので、このような演出があった時点で残念な気分になる。
結局、体制を破壊して壁の中で安穏としている人々に喝を入れたいという意図で壁の破壊を仕組んだということのようなのだが、だったらなんで?という疑問がまるで解消されない。だったら國村隼やシキシマが巨人化して街の中央をぶっ壊して回れば簡単に喝が入るではないか。それに体制が機能しているようにもあまり見えず、充分安穏としていなかったような感じがする。そういう前提なので、最後巨人同士が戦ったり壁の爆破が成功するかどうかなど、全然気持ちが入らなかった。
それに、國村隼は壁の穴をふさがれるのが嫌ならまた巨人になって穴を空ければいいだけじゃないか。なんのためのやりとりなのだ。
今回、町山智浩さんが脚本を描いており、映画をたくさん見て見識がある人が数々の名作映画の名シーンをつなぎ合わせることで傑作が生まれるのかという試金石であったと思う。しかし出来はそうでもなかった。でも町山智浩さんはシナリオは初心者であり、それはしかたがない。名作映画をたくさん見たからと言って即傑作のシナリオが描けたとしたら漫画家とはいえ、長年物語作家の端くれとして活動しているオレとしては立場がなくなってしまうため、この出来に安堵した。
きちんと物語を構成して人間を描くベースがあってこそ、名作映画の名場面のオマージュが活きる。町山さんにはお世話になっていて、そもそもファンであり、同じ「智浩」の名前を持つ者として応援している。ぜひ今回の経験を活かして次回作、本当に好きな原作を好きに描ける機会で挑戦するか、オリジナル脚本を手掛けていただきたい。監督にも挑戦して欲しい。町山さんが脚本監督をするならきっと予算も集まるだろう。