あんのレビュー・感想・評価
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涙が止まらず
皆さんの演技が本当に自然で、素晴らしかったです。
桜の木、草花、生き物、風の音、すべてが美しく感じられました。普段の生活で耳を澄ませることなんてなくて、自然と会話することなんてなくて、感性も鈍ってきてる。もっと自然の声に耳を澄ませる時間を作りたいと思った。
徳江さんのあん作りがとても丁寧で、優しくて、見ていても心地よさを感じました。
ハンセン病、大学の授業で少し習ったほどで恥ずかしながら詳しくはは知りませんでした。皆、中途半端な知識だからこそ噂話を鵜呑みにしてしまう。差別がなくならないのはその部分なのかな。相手を思いやる気持ちがあればその知識の部分を埋めようとするはずだけど、それが簡単ではないのかな。
徳江さんの人生の重み、想像できないほど大変なことの連続で、子どもさえ生むことを許されなかった、荷物はすべて処分された、たとえ大切なものだとしても。自由なんてなかったんだろうな。
最後のシーン、「どらやきいかがすか」と声をだすシーン、希望がある終わりかたでよかったです
人生は声を聞くだけで生きてる意味がある
この言葉が頭に残っています
ひとことひとこと、そして言葉の間にズシッと重みを感じました。
美しい日本の映画
背景にハンセン病があるとは知らなかった。この病気の過酷な歴史は他の小説などでも読んだことがあるが、この映画では樹木希林を通して語られる。静寂に終始包まれたような情景の背景には、筆舌に尽くしがたい過酷な人生を背負った人たちの物語があった。タバコ、酒はいかがなものか、と気にはなったが、深い美しい日本の映画だ。
泣けてしまった…
あんを作りながらの会話…
湯気の香りが変わってきた
おもてなしだから
豆よ、せっかく畑から来てくれたのだから
いきなり煮たら失礼でしょ
先ずは蜜に馴染んで貰わないとね
お見合いみたいなもんよ
あとは若いもん2人でどうぞ、と
女学生が読んだ本に書かれていたのは…
私たちも陽の当たる社会で生きたい
徳江さんからの手紙…
小豆が見てきた雨の日や晴れの日を想像することです。
小豆の話を聞く。この世にあるものは全て言葉を持っていると信じています。
日差しや風に対してでさえ、耳を澄ますこと
こちらに非はないつもりで生きていても世間の無理解に押しつぶされてしまうときもある。
守ってあげられなかったと泣く店長。
自分の息子のように接する徳江さんの言葉
授かったのに産むことを許されなかった
あーもしも私に子供がいたら、店長さんぐらいの年齢になってるんだろうな
貴方の目が、とても悲しそうだった
何にそんなに悲しんでいるのと聞きたくなるような眼差し、それはかつての私の目です。
垣根の外に出られないと覚悟したときの私の目でした。
私たちは、この世を見るために聞くために生まれてきた
だとすれば、なにかになれなくても私たちには生きる意味があるのよ。
今年見た中でナンバーワンの映画かもしれません。
せっかく来てくれたんだから、畑から
映画「あん」(河瀬直美監督)から。
主役を演じる「樹木希林さん」自身がガンを患い、
全身に転移したにも関わらず演技している姿を見るにつけ、
映画と知りつつ、胸が熱くなってくるのを感じた。
彼女の生き方と重ねると辛くなるが、
「小豆」から「あん」を作る工程で、こうアドバイスする。
「しずかに、しずかに・・」「少しずつ、少しずつ・・」
「ここが肝心よ。そんなに忙しくやっちゃだめよ」と。
他愛無い台詞なのだが、私はメモをした。
そこには、豆に対して「もてなす」という姿勢があり、
「せっかく来てくれたんだから、畑から」という台詞が光る。
そして、ラストのシーン、こんな手紙が読まれる。
「あの日の満月は、私にこう呟きました。
おまえに見て欲しかったんだよ。だから、光っていたんだよって。
ねぇ店長さん、私たちはこの世を見るために、
聴くために生まれてきた。だとすれば、何かになれなくても、
私たちは、私たちには生きる意味があるのよ」
役として、ライ病患者の悲哀と切なさを綴ったのかもしれないが、
名女優「樹木希林さん」という彼女の生の声として、
メモを読み直したら、涙が自然と溢れた。
狛犬の「あ」と「ん」のように、全ての言葉を包括している
「あん」という言葉の食材は、私たちの疲れを癒し、
笑顔にしてくれる魔法の食べ物かもしれない。
あぁ「どら焼き」が食べたくなってしまった。
心にしみる物語
しみじみ心に届きます。
ハンセン病、知らない世界でした。その病気ゆえに、隔離され、その中で生活していた主人公。外の世界で働き、まわりの人とのふれあいが、嬉しかったでしょう。樹木希林さんがの、ほのぼのした優しさが光っています。
店長さん。
タイトルにもなっているあん、あんこは昔から大好物だ。
つぶあんもこしあんもうぐいすあんもしろあんも大好き
しかしそのあんも食べてみるまで美味しいか分からない。
徳江が「私は小豆の声を聞くの。どこから来たの?って」
その人がどんな人生をどんな想いで生きてきたのか傍目
には分からない。分からないから好き勝手に他人は宣う。
見た目で判断し、噂を信用し、流れに乗り悪口まで言う。
しかしそんな残酷な運命でさえ生きる意味があることを
今作は尊厳を持って謳い上げる。自由に外へ出ることや、
やりたい仕事を得ることすら許されない人達がいたのだ。
らい病(ハンセン病)については私も詳しくは知らないが、
長きに渡って隔離され、幼少期からそこで人生を終える
人達がたくさんいたことを学生時代に習った記憶がある。
冒頭美しい桜が咲き誇り、日本の伝統和菓子が紹介される
一方で、中盤からは暗い歴史や差別認識が浮き彫りになる。
辛く重い構成もサラリと明るく描写されており、特に徳江
を演じる樹木希林が縦横に動き回る場面ではほぼ希林劇場。
それを優しく受け止める永瀬正敏が素晴らしい。不器用で
寡黙な男が少しずつ心を拓いていく場面が絶妙なタッチで
優しく描かれ、希林の実孫・内田伽羅(モっくんにソックリ)
の素人っぽさもよりリアルで愛らしい。中学生が悪気なく
尋ねた疑問をサラリとかわす老女の姿勢は真っ直ぐだった。
人足が途絶えて徳江が来なくなり、やっと過去と向き合い
始めた店長さん(この呼び方が温かい)が母親への懺悔から
徳江に尽くしていたことが分かるとまた涙、少しずつ綻び
始めた頑なさが解けた彼の顔が、ラストどら焼き屋台での
気持ちよい掛け声に繋がりホッとした。頑張って店長さん!
(あーどら焼き食べたくなってきた。鯛焼きも大福もいいな)
緩急自在
河瀨直美がオリジナルシナリオではなく、ドリアン助川の原作をもとに撮った作品。相変わらずカンヌに出品はしているが、パルムドールへの執着を見せるような芸術的映像はなりを潜めている。
むしろここでは肩の力を抜いて、社会の片隅に追いやられている人々の姿を淡々と、優しく描いている。桜の花を愛でる樹木希林と、季節の移ろいに関心のない永瀬正敏が次第に心を通わせていく様子を、緩急のメリハリをつけて観客を笑いと涙に誘い込んで積み重ねる手腕が見事。
これは外部の存在である樹木や永瀬への観客の視線が、単なる哀れみや警戒感が取り払われて、親しみやぬくもりを伴ったものに変容していく作用を生み出す。このことに成功しているからこそ、樹木が亡くなった時の、内田伽羅の自分の本当の祖母(実生活では本当のそぼだが)に対するような哀悼が自然な感情として観客に受け入れられるのだ。
社会・法・国家によって厳然たる差別を受けてきた人々の辛苦の生について思いを深め、いかなる償いも隔離されてきた人々の人生を回復することは不可能であることを知る。我々ができることは、共に働き、共に食べ、共に笑い、共に泣くことだけである。映画はこのことを強く訴えかけている。
後からじんわりと響いてくる映画です
「私たちは、この世を観るために、聞くために生まれてきた。この世はただ、それだけを望んでいた。」映画の中の吉井徳江さんが、手紙を通して語る言葉が、心にこだまします。人の役に立たなければ生きていてはいけない、何かをしていなければ生きていてはいけない、そんな世の中の価値観よりずっと以前に、私たちは誰一人として存在を許されていない人などいないのだということを改めて思わされました。一見すると、徳江さんは世の中に対して何の貢献もしていなかったように思いますが、主人公・辻井千太郎という一人の男を立ち直らせた大偉業を成し遂げたのです。そんな思いが湧き上がってきました。この映画を観て、原作も読みたくなり、購入しました。合わせて観て観ると、また大変興味深いです。また秦基博さんの主題歌もこの映画をぐっと感動するものに引き立たせてくれています。必見の映画です!
何が凄いって、あのテンションでこの面白さってトコロ。
「あん」見ました。
劇場内平均年齢およそ70歳超えの中、20代の私は飛び込みました。おばあちゃん達の素直な感情表現はとても新鮮でした。映画自体もとても面白かった。この映画の存在は鑑賞前日まで知らなかったけど、映画最高、邦画最高、これだから映画は止められないと思わせる一本。ハンガーゲームのような駄作なんかより、こっちを大々的に宣伝してほしいですよ。
この映画、とにかく樹木希林と永瀬正敏の醸し出す空気感が素晴らしい。ほぼこの2人のやり取りに終始してるけど、全然飽きないのは凄い。彼らの会話も、テンションのギャップを上手く突いていて面白かった。劇場内は満席のうち9割8分はおばあちゃんでしたが、大爆笑が起きていてビックリした。僕も普通に笑いました。三谷幸喜の映画なんかよりよっぽど間違いないですよ。
あとは何と言っても"あん"の仕込み風景。やはりこの作品はあんこが美味そうじゃなきゃ全く説得力を欠くと思うが、そこは見事に描き切ってる。樹木希林のあん作りの過程で、永瀬正敏が「こいつ何言ってんだ?」的に戸惑いつつも工程を学ぶみたいな。永瀬正敏が感じる「?」を、みているこちらも疑似体験しつつ、頷ける。そして最後は試食して、「これは絶対美味しいわ」と思わざるを得ない。僕は単に食べてーなーと言うより、他のと食べ比べたいなと思いました。樹木希林が作るあんの虜になった瞬間でした。
とにかく、見て欲しいです。
ハンガーなんとか、トゥモローなんとか、新宿なんとか、色々大作やってますけど、全然比にならないくらいにこちらが面白い。普通に面白いから凄いですよ、これ。
どら焼きが美味しそう
前半は特に、千太郎の目線から描かれていて、自分がどら焼き屋を経営しているような気になれる。
また、徳江がアルバイトに入ったことで客が一気に増えて、仕事の遣り甲斐について考えさせられる。
後半は一転し、ハンセン病で若い頃からずっと隔離されていた徳江とその死にスポットライトが当てられていく。
あずきや風や鳥などあらゆるものに耳を傾ける徳江の姿勢に、優しい気持ちにさせられる。
餡作りの奥深さが分かりました
全くポイントがずれているレビューになります。
1964年の東京オリンピックの記録映画の監督は市川崑でした。単なるドキュメンタリー映画ではなくて、スポーツを芸術的に美しく撮ってて感動した覚えがあります。今回監督を務めるのはこの「あん」を監督した河瀬直美です。コロナ禍の中での撮影はいろいろな意味で非常に大変だと思います(このレビューはオリンピック開催の3週間前に書いてます)。これまでのオリンピック映画とはかなり異質のものになることでしょう。オリンピック反対とかシュプレヒコールをあげているシーンとかもあるのかな?
それはともかく、この映画のレビューです。
この監督は山や森を独特な自然描写で綺麗に撮っているので、いつもそこに関心が行ってしまいます。今回は言うまでもなく桜です。普通の監督なら桜のみ撮ると思うのですが、この監督はあえて電線も入れてしまってるところが逆に好きです。まぁ今回は山でなく街が舞台なのでしょうがないという事情もありますが。
あと、餡作りの奥深さが分かりました。
私は今は無職の状態なので、この映画を見たらどら焼き屋をやってみたくなりました。結構凝り性なので私ならおいしい餡を作れそうな気がしました。どら焼きの餡はほとんどがつぶ餡なので、私はこし餡のどら焼きを作って、こし餡好きの固定客を作ろうと思ってます(個人的にもつぶ餡よりこし餡が好きです)。そしてワカナのような女子高生のお得意さんができれば言うことなしです(笑)。
◆良かった 樹希さんの語り、表情が良い。 あんこのふたを開くときの...
◆良かった
樹希さんの語り、表情が良い。
あんこのふたを開くときの仕草がやさしい。
あんという題名か、あんこの作り方を丁寧にしているところも。
私たちは聞くために生まれてきたのだから、
何もなせなくても生きている意味はあるのではないでしょうかという言葉が刺さります。
主題歌が良い…
◆気になった
ステレオタイプに自己中心的な恩人の奥さんに
なぜか頭の上がらない主人公にイライラしたのと
のこりもの貰うくらい貧乏なのに、ペット飼ってて外食で迷わず天ザル選ぶ中学生が気になった(そこはステレオタイプちゃうんかいと…)
樹木希林さんをこれからも観たいと思った
日本の映画らしく、きめ細やかな作品だった。
観ている間、何回もハンセン病について知りたい、調べたいと思った。
それくらい、詳しくは描かれていなかった。
しかし、あーだこーだ、直接的に差別の歴史をこの作品で語るのはナンセンスというか、野暮のような気がした。
徳江さんが、店長より早くに来て働くのを待ち構えていること、丁寧にあんを作る姿、中学生と語らうこと、楽しかったと言うことば。
徳江さんがどれほど筆舌に尽くしがたい生涯を生きてきたか、社会から断絶されてきたかなど感じ取れるかは観る側の感受性の問題と思った。
業務用の餡を使い、仕方なく雇われ店長をしていた千太郎が、おそらくオーナーを振り切って野外で販売するようになったのだろう、最後の声を出して売るシーンで、千太郎の心が自由になり、前向きに生きていくように描かれていて、涙が出た。
おそらく、逃がしたカナリアのように、千太郎は自由になったのだろう。徳江さんが中学生に、つまらないならつまるように行動したら、といったように変化を起こしたのだろう。
手紙のシーンは叫ぶ詩人の会、ドリアン助川らしいなー、と思う表現だった。
作品を見ていて、徳江さんに戦中、戦後をたくましく生きてきた亡き祖母の姿を重ねた。
樹木希林さんしかできない温かい人間性が滲み出た役どころだと思う。
癌を公表されているが、樹木希林さんをこれからももっと観たいと思うから、身体を大切にしつつ、映画にででほしいなあと思った。
世間は怖いが、作品は酷いぞ。
河瀬監督は素人を使う作品を多く制作するのに、今回は樹木希林の孫の み。 作品の前半は、どら焼き屋が繁盛していく過程を描くのが予想は出来る。 そして、後半は、えっっっっっっっ、徳江さんハンセン病だった?河瀬監 督様その展開は どうだろう?『砂の器』じゃあるまいし、私の頭の中で「宿命」が鳴り響 く。ハンセン病で 苦しんできた、世間から虐げられてきた方への描き方は、あの写真集1冊 のみで良かったの だろうか。ハンセン(ライ)病の方々はどう思われただろうか。ここは、 慎重に描くべき。 徳江さんが、毎朝5時来るというが、どうやって来るの?冒頭近く描いて いたようにまさか 施設から歩いてきているわけ?なぞの三つ編み中学生「ワカナ」の作品へ の登場に違和感もあった。 風景描写があまりにも多すぎる。人間の心情を投影しいているのだろう か。私には判りません でした。徳江が50年「餡」を作り続けたって何処で?どうして千太郎の所 に来たの?徳江の 千太郎への手紙の文章が上手すぎませんか。私は此処は号泣でしたが。 最後の場面、千太郎は「どら焼き売り」を何年続けるの?終りは、しっか り着地点を明確にして 欲しかった。 河瀬映画としては良かったですが、河瀬作品としては全然ダメ。
閉じ込められた三羽の鳥たちのハナシ
予備知識なく観ていたもので、中盤、徳江がかつてハンセン病を患っていたことが判明する件で、いまどきこの話題なのかぁ、とかなり驚きました。
映画としては、うーむ、ちょっと肝心なところが欠けているかなぁ、という印象。
映画の核となるのは、次のふたつ。
ひとつは、ワカナが飼っているカナリア。
閉じ込められたカナリアは、三人三様の象徴。
隔離政策で人生の大半を世間から隔離された徳江。
過去の刃傷事件で小さなどら焼き屋に囚われたように生きている千太郎。
貧しい母子家庭を憂い、自分で自分の未来を閉ざしているワカナ。
陽のあたるところ(世間のあるところ)で暮らしてみたいと願って行動した徳江の行動が、結果として千太郎とワカナを解き放つことになるのだけれど、千太郎とワカナが決意・転換する瞬間が描かれておらず、判りづらく、感情移入しづらい。
もうひとつは、丁寧に小豆からあんをつくる徳江が、小豆に耳を傾けるところ。
あんになる前の小豆が、どのように過ごしてきたか、それを聞くんだよ。
だから、おいしくなれと願って、丹精を込めるんだよ。
徳江は千太郎にそう語る。
もの言わ(え)ぬものの声を聴く・・・
多くを語らなかった徳江の声を聴くのは、最期の最後、彼女が遺した手紙によって。
タイトルが『あん』なのだから、たぶん、こちらが本筋、物語の核なのだろう。
が、映画は先のカナリアに収斂している。
ならば、やはり千太郎とワカナが決意・転換する瞬間がどうしも欲しい。
なので、うーむ、ちょっと肝心なところが欠けているかなぁ、すとんと腑に落ちないもどかしさが残ってしまいました。
今を生きる人々
千太郎の寡黙な演技と、そこにある情念のような思いが演出で存分に伝わってきました。
徳江さんも小説から飛び出たような、すんなり入る演技はさすが樹木希林さん、圧倒されますね。
ワカナちゃんが語り部の一人を担っていたのも若者向けで好感が持てました。
この映画は今も療養所で生きている人々の温もりを感じます。
筆舌に尽くしがたい差別に苦しみ、今もなお療養所でくらされている方々は多くいると思います。
そんな方の一片の希望であり
差別を目の当たりにして来た世代の方にも深く考えさせられる構図でした。
ひとつ何点をつけてしまうならば
10代20代のハンセン病を知らない若者たちに、もっと大きな強い差別という名の衝撃を与えても良かったのでは。
と感じました。
それがあるからこそ、療養所で暮らす人々の体温が伝わって来るかと思います。
へー、こんなことがあったんだ。差別ってよくないね。
だけでは淋しいな・・・。
と思ってしまいました。
同じ生を持つ人間の、泡立つ血というものが
皆持っている当たり前の事になるように。
それが徳江さんたちの、現代に生きる療養所の方々の切なる思いを感じました。
徳江さん、美しく咲き誇ってください。
千太郎さん、もうひと頑張りですよ。
ワカナちゃん、自由に羽ばたいてください。
ラストで泣かされました。
まず知ることが大切。
予備知識なく空いた時間タイミングよく入れた映画がこれだったのだけど、開場してから人がどんどん押し寄せ満場に。
なるほど、鑑賞後素晴らしい映画だと認識しました。
あんって人の名前か何も知らないまま観たのだけど、どら焼きの餡のこと。
不思議な現れ方をした徳江さんが魔法のように美味しいあんを作り出す。
主題はものづくり、あんづくりではないのだけれど、小豆があんになっていく過程が詳しく描かれていく脚本は、物やそれを作る人を愛おしんでいるのがひしひしと伝わってくる。
折しも某朝ドラではフランス菓子を作る物語なのに、素材の紹介はおろか、どう作ったかも説明もないし、出来上がったものすらまともに映らないのをもどかしく思っていたところ。
小豆の一粒一粒と語り50年美味しいあんを作り出してきた徳江さんのあん作りの工程は観ていてもちろんそのあんを食べてみたくなるし、自分でも作ってみたくなる思いにさせられる。その工程を観るだけでも素晴らしい河瀬直美監督ならではの脚本・演出だった。
やがて徳江さんは実は元ハンセン病患者だと、知らずに観ていた自分も千太郎と同時に気づくことになる。
訳ありな人生を生きている千太郎は徳江さんを辞めさせずに雇い続けるが、やがてそれも病気の噂が広がりままならなくなる。
千太郎は言葉で解雇を申し渡したわけではないのだが、察しのいい徳江さんからどら焼き屋を離れていく。おたがい相手を想いながらどうにもできない悔しさに打ちひしがれる。
それからの中学生のワカナとの施設への訪問で、徳江さんたちハンセン病患者の差別と偏見を知るが、どうやって立ち向かえばいいのか、観る側にも胸に突き刺さる問題である。
家族からも絶縁され、間違ったらい予防法で長く隔離政策に苦しめられてきた彼女たちの人生は想像もつかない絶望感でいっぱいであったはず。
その重苦しさは具体的には描かれてないけれども、施設を隔離する美しくて静かな自然が対照的で切なくて哀しい。
ハンセン病に限らず、人を差別したり偏見を持つことには誰でも少なからず持っている人間の卑しさなのかもしれない。絶対に自分は差別なんてしてないと言い切れないのが心に痛い。それには正しい知識を得ることが大事だし、知るだけで終わるのではなく啓発、教育も必要。
重くならず、けれど胸に訴えるものは大きく響いてくる映画でした。多くの人に観てもらいたい素晴らしい映画。
オススメです。
言葉が重い
言葉が重く感じる作品でした。原作力と同時に監督力を感じます。そしてもちろん女優力も。
ワカナを伴って徳江を訪ねる永瀬正敏の姿が原作者と重なって見えました。そう「何かになれなくても生きる意味がある」。
無知を恥じる。そして励まされる。
あん、見てきました。
普段は交通費のかからない映画館でしか観ていないので、往復400円の電車代+1100円の映画代を高いと思うかどうか、ちよっと不安でした。
なぜなら河瀬監督の前作・二つ目の窓が中々にアクが強かったものですから…
しかし、そんなのは杞憂でした。
原作ものだからでしょうか、作家のアクを殆ど感じませんでした。
テーマは強く迫ってきましたが、作り手の声ではなく、登場人物の声として感じられ、物語に引き込まれました。
とはいえ、言葉にしやすい粗筋部分がはしょられた感じもして、まぁそれは容易に想像で補えるという判断でそうしたのかなぁと思いましたが、そこらへんが少し理解しずらい方もいるかもな、と思いました。
10代の若者が観て、いろいろ勉強すると、いい教材になるように思ったので、すこし上級者むけの映画文体が、そこを妨げるように思ったわけです。
ええ、余計なお世話なのは、承知しておりますよ。
例えば、月を一緒に見て鳥を預かる約束をしたシーンはのちの会話でしか出てきません。例えば、千太郎は徳江にやめて欲しいと言ってなかったと思いますが、わかなには来なくなったよではなく、辞めたよと言ってました。例えば、お店が流行らなくなったことが、風評被害だということも、明確には描かれませんでした。
それがダメなんて思ってませんよ。だだ、ちと難しくなっちゃうね、と思ったわけです。しつこいな、わたし。
閑話休題
ハンセン病については、モーターサイクルダイアリーズで出てきた位しか知らなくて、日本での歴史は全くの無知でした。学ばないとと思いました。
触れる機会がなかったから知らなくて仕方がないと開き直る事もできるますが、それではいけないと思います。
差別されていると認識してないから自分は差別していない、という事ではないと思うのです。
差別的な状況や文脈に、遭遇する機会があった時に、それに気づかず流布させてしまったとしたら、気づかなかった者にも責任があると思うのです。
気付きながら我が身が痛まないからと無視する事は尚更。
だから知ってる事は必要だと思います。
それとは別の方向で、私自身が誰かに理解されたい、寄り添ってもらいたいと切望しています。私の身になって考える、という事をして欲しいのです。
自分がそれを望むならば、私も誰かに寄り添わないと、と思います。その為には、なるべく人の立場を慮れる想像力と知識がいります。だから、いろんな事を知りたい。
そういう意味で、課題を貰えた映画でした。1500円は安かったです。
樹木希林はもはや生き神様のようでした。痛々しい両手の造形と、生きる歓びに満ちたオーラの対比が美しく、悲しい。
でも、想像の及ばない悲しみがあったのでしょう。できた子供を産むことを許されないとは、どういうものなのか。隔離されるとはどういうことなのか。
千太郎が善哉を食べながら泣くシーンでは、もらい泣きを、堪えられず。そこから殆ど泣きっぱなしになってしまいました。
不甲斐なさを抱えているときに、暖かい食べ物を差し出されると、どうして食べながら泣けるのでしょうね。
千太郎だけでなく、見ているこちらも励まされる気がしました。
浅田美代子が偏見むき出しの嫌な人として、出てきていましたが、上手だなぁと思いました。すごく利己的で、そこになんの迷いもない感じが、もうその辺にいそうで…
バラエティー番組でのど天然ぶりがいつまでも印象強いですけど、いい役者だなとおもいました。
市原悦子も良かったです。
歳の離れた友情は大切な味を残した
どら焼きの美味しさが結び付けた歳の離れた三世代の友達は掛け替えのない大切な友情生んだと想いましたまた何時から始めても諦めなければ達成出来て成功すると作品に教えて貰いましたどら焼きも心であんが甘くて暖かみが出来上がったのかも美味しいさは記憶に残ると感じました
全42件中、21~40件目を表示