「忠のありよう」日本のいちばん長い日 ko_itiさんの映画レビュー(感想・評価)
忠のありよう
あえて旧作とは比べない。
ただ、あの頃にはまだ戦争体験者が多くいた。そのために旧作に必要だったのは、まずは「あの時に何があったのか」だ。
そして戦後70年が過ぎた今となっては、知りたいのは「あの時に誰が何をしたのか」だ。
だから監督のアプローチは間違ってはいない。いないが、それが『金融腐食列島』や『突入せよ!あさま山荘』や『クライマーズ・ハイ』等でやった「組織(歴史込み)と個人」の展開で落とし込まれたせいで、ある重要な要素があやふやになってしまった。
その要素は“忠”だ。
“忠”は愛とは違う。愛は見返りがもらえる。それが他からみれば身勝手な自己満足でも愛は見返りがある。
“忠”は見返りを求めない。見返りを求めずに“忠”の中心に全てを奉げる。自分の命さえもだ。そして自己満足すら感じてしまうと、その“忠”は無くなってしまうほど厳しい要素が“忠”だ。
あの頃のエリートが持っていて当然で、無ければ軽蔑されるのは当たり前なのが“忠”なのだ。
それが、無くなりつつある現在では映画での鈴木、阿南、以外のキャラが身勝手にみえてしまう弱点がこれにはある。
監督もそれはわかっていて、だからこそ楠木正成の挿話を映画に入れている。鈴木や阿南を中心に「忠のありよう」を通して終戦という歴史的事実を描いている。のだが、やはり一側面を強調しすぎたせいで他が矮小化されすぎた。そのために……
わかりやすいが、奥行きが足りない。
それでも映画としては見ごたえはあるし、決して不満な出来でもない。それにこの種のドラマで画期的な場面をやっている。
それはラストのひとりでたたずむ天皇の姿だ。
“忠”の中心である天皇は中心であるがゆえに“忠”の束縛を受けずに国民と国土の未来ための決断ができた。しかし、そのために何を失ったのか。
「ひとりになってしまった」
ふつうの映画ではありきたりの場面だが、それを天皇で描写したのが画期的だった。今まではありえなかったからだ。
それも70年の月日なのだろう。