「宗教を比喩とし現代社会に物申す」ゼロの未来 saikimujinさんの映画レビュー(感想・評価)
宗教を比喩とし現代社会に物申す
あらゆるキャラクターや設定が宗教的だ。
廃墟化した教会や、僧侶の様な生活。
神の様な存在であるマネージメントはキリストの銅像の首に付けられたカメラから常に見ている。
マネージメントは息子を主人公の元に送る。まるでキリストを送り込むかの様に。
主人公は電話を待つ。生きる意味を教えてくれると信じている。まるで神の救済を待つ信者。来るはずのない啓示を待つ様は「ゴドーを待ちわびて」や「桐島、部活やめるってよ」を彷彿させる。
監督は言う。主人公が答えを与えてくれると信じてる様は、責任を外部に転嫁しているという事。現代社会では実際に人々はそのように生きていないだろうか?自分の安全にしろ健康にしろ、政府や権力に委ねてしまっている、と。
こうも言っている。「未来世紀ブラジル」では権力者が責任をとらないことで起こる物語。今作の主人公は仕事に責任を感じておらず惰性的だ。これは正に僧侶の生き方だ。多くの僧侶は自分の思想を持っておらず、儀式さえやっておけば魂が救済されると思っている。主人公がコンピューターに向かう労働は儀式でしかない。
結局最後はマネージメントに告げられる。
これはビジネスであり、私はお前を利用したまでだ、と。
テリーギリアムはインタビューで言っている。『生きている意味はなにか』など、本当に大切な問いをしなくなっている。そして、ただただ自分を忙しくさせている、それが現代人ではないだろうか。蟻とか蜂は自分の存在意義など考えないだろう。
監督が今作を通して伝えている事は、自分の生きる意味は自分で決めろ、という事だ。神や社会や上司にコントロールされ、それにすがるのではなく、自分が思う幸福を勝ち取らなければならない。
だからマネージメントの息子は言う。
女の後を追え!と。これは正に監督の言葉である。
主人公が住む教会にはプロテスタント、カトリック、東方教会の要素が混在している。宗教画や聖水盤、イコンや白い鳩などが象徴的に配置されている。主人公が精霊を象徴する鳩を追いやろうとする様の何と皮肉な事か。
外の社会は、主人公にとってとても息苦しい。街には広告だらけ。歩いていると、壁のデジタル広告がついてくる。強制的に広告を見せられる。人々はファッションやトレンドに夢中。物欲的な欲望だけが肥大化した社会は正に現代の社会でもあり、彼らにとっては消費こそが、宗教のようだ。
彼女と密会する為にインターネットに接続するわけだが、その時に着るふざけたコスチュームは、まるでトランプのジョーカーのようであり、悪魔のようにも見える。
やがて彼はその世界の虜となるが、結局接続出来なくなり、現実と向き合わなければならなくなる。まるで、「コンピューターから抜け出し、現代を見ろ!」と監督が言っているようだ。