カフェ・ド・フロールのレビュー・感想・評価
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愛で、課題を乗り越える
それまで運命の人と信じて疑わなかった人との愛が永遠では無いと受け入れ、相手の幸せを希って手放す。
キャロルの人生に課せられたミッションを達成することは並大抵では無いことであっただろう。
前世での彼女はダウン症の息子を支えながら懸命に働き、自分自身も心支えられるうちに、次第に息子に対する並々ならぬ依存心と執着心が芽生えてしまった。息子が恋い焦がれる同い年の同じダウン症の少女が裕福な家庭であることにもある種僻みの様な気持ちを抱いて居たかもしれない。
そして大変な過ちを冒し罪を抱いた後、キャロルとして生まれ変わり、前世の息子であるアントワーヌと熱烈な恋愛結婚をするが、アントワーヌは前世ではダウン症同士、母親にひきさかれ結ばれることの無かった少女の生まれ変わりのローズに恋をする。
キャロルは前世で果たせなかった、大切な人の人生を思いやり幸せを願い、そして手放すという課題を、今世では苦しみながらも果たすことが出来た。
彼女は誰かのために自分の全ての時間を費やし労働した前世とは違い、経済的にも余裕が有りそうに見える。
自由が与えられて居る。その様に視点を変え新たに幸せになって欲しいと思った。
キャロル一人が全てを受け入れ、アントワーヌを許しそして自分自身の魂の罪の許しを得た時から、アントワーヌとローズに嫌悪感を抱いて居た人びとの態度までもが変わり、全てが明るく円満になったのが印象的だった。
愛と許しを獲得し、DJとしての地位をも得、全てにおいて満たされたアントワーヌはまた新たな世界に旅立つ。
前世において母との憩いの時間にかけられていたカフェドフロールという曲は今世DJとなった彼にとっても特別な曲である。母から貰った愛そのものであるからだ。
非常に成熟した物語であるが、どこかシュールでひやりとさせられる独特な空気のある映画である。それがこの作品の味でもあるが、ホラーの様だという人の気持ちも分かる。
出来ることなら、愛に満たされた雰囲気と共に観終えたかった。
時空を越えて
前世で結ばれなかったから、今世では結ばれる的な、時空を越えた男と女の物語。
でも、結ばれなかった理由が母親の愛情からきてるというのが、ちょっと重すぎたし、なんか腑に落ちなかったです。
もうちょっとロマンチックな輪廻転生物語の方が、受けるかなと思いました。
希望が表現されている。
最後に近いシーン、再び彼女は二人を道づれにして死を選ぶのでは、と思った。しかし、2011年の彼女は、1969年の彼女を乗り越え、二人の関係を受け入れた。時空を超えて彼女から発せられた、「私を許して。」という言葉を聞いた時、涙が止まらなくなった。
難しくもなんともない。
人間の魂の救済をテーマにした、とても感動的な映画だと思います。
魂を信じるかどうか
異なる時代の2つの物語がちりばめられた構成ですが、やがてそのつながりが見て取れるという仕組みです。やや難しい作りに思えます。タイトルになっているカフェドフロールという曲が2つの時代の最初からある共通項です。
以下に、いったいこの映画は何を描いていたかを分析した結果を記します。
主観による分析なので正解かはわかりませんが、大変ネタバレですので、閲覧は自己責任でお願いします。
一言で言うとリインカネーションの話でした。日本語で言えば輪廻転生です。
パリのジャクリーヌはモントリオールのキャロルで、
パリのローラン(ダウン症の息子)が、モントリオールのアントワーヌで、
パリのヴェラが、モントリオールのローズなんですね。
60年代のパリでジャクリーヌは女手ひとつでダウン症のローランを、普通の子供と同じように育てようと頑張っています。
やや、その愛情は過剰でもありますが、この世で二人っきりという孤独感がジャクリーヌの愛を増長させているとも考えられ、まぁリアリティのある母と息子の姿に思えます。ローランはカフェドフロールという音楽が好きで、毎日レコードをかけてくれと母にせがみます。そんな母子の前にダウン症の少女ヴェラが表れ、ローランとヴェラは7歳ながら一眼で恋に落ち離れなくなります。
学校も親たちも困惑し、引き離そうとするけれど、ローランは大抵抗。ジャクリーヌは思い通りにならない息子に芝居を打ったり、手をあげたり、挙句にベッドに縛り付けたりしてどうにかヴェラから引き離そうとしますが、ついにはヴェラとローランを車に乗せ、心中をしてしまいます。
三人で乗った乗用車で事故を起こしたと思われます。
時は流れて2011年。20年連れ添った妻がいるのに若いローズに恋をしてしまったアントワーヌは妻キャロルと離婚し、ローズと熱愛中です。しかしなにやらアントワーヌはジンの瓶に描かれた近衛兵の幻覚を見たり、セラピストと会話したりしており不安定な様子。一方捨てられた妻は夢遊病に悩まされます。ダウン症の男の子を乗せて車を飛ばす大変危ない夢です。キャロルはこの夢の意味が知りたいと霊媒師を訪ねます。霊媒師にあってわかったのは車にのせているダウン症の男の子はアントワーヌの前世の姿で、運命の相手の女の子といる。その女の子はキャロルではない。キャロルはその男の子の母親であり、運命の相手ではない。というあたりを、知らされたのだが理解したのだがして泣きます。
それでもアントワーヌが自分の元へ戻ってくることを願わずにいられないキャロルですが、ジャクリーヌが車で事故を起こすシーンを夢で見てしまい、これではいけない!となって(多分)アントワーヌにわたしをゆるして(解放してあげるってゆう意味か?)といい、キャロル、アントワーヌ、ローズの三人で和解の抱擁をします。そしてアントワーヌとローズは結婚、輪廻転生を経て運命の二人は結ばれました。
時系列であらすじを纏めるとこのようになると思います。
前世?生まれ変わり?寝言は寝て言えと思います。そういうの苦手です。
その存在を実感したことがないので信じようがない。
魂の永遠性というやつを、全然信じられない私です。
なので、その辺は嘘も方便、として読むことにしました。
運命の相手だと信じて愛した男が、他の女を愛するようになったことを、どうにか納得したいキャロルに用意されたファンタジーと捉えました。そうすると何とか腑に落ちました。
終わってしまったとしても、過去の思い出まで呪いたくないし、娘もいるから今後のアントワーヌたちもなんとか好意的に受け止めたいし、てなところから出てきた幻想なんだと思えば、受け止められます、、、多分。
いやいや、作り手は真正面から輪廻転生して結ばれた奇蹟を賞賛していますから、私の見方は見当はずれに違いないのですが、、、好みというか思想の問題ですね。
魂はずっとずっと生き続けていて前世の記憶や業に引きずられながら我々は生きているならば、私の魂の来し方とやらをを見せてみなさいよ!
そんな的はずれな怒りも湧きつつ、キャロルに幸あれと思ったりしたのでした。
アントワーヌとローズの出会いのシーンでもカフェドフロールは流れていてその後のアントワーヌの愛のテーマみたいになっています。
ローランもカフェドフロールを聞くとヴェラを思い出すと言っています。
パリのシーンで、窓ガラスにちらっとローズが映ったりもしてました。
飛行機雲が太陽に向かって伸びるカットが何度も挿入され、ラストで飛行機が爆発してましたがあれはなんの象徴なんでしょうかね。わかりませんでした。
アントワーヌが見ていた近衛兵の幻覚はなんだったんでしょうね。キャロルへの罪悪感?
映像はかっこいいし、音楽もいいし、構成もちりばめられた伏線も楽しめましたのでいいのですが、主題がどうにも…
好みが分かれるところですね。
脳みそフル回転は必然
母:息子:妻 約半世紀近くに渡る愛憎劇
父親を見送る妻と娘。
その姿に被さる障害者の人達。
そして、いきなり40年以上前の話が始まる。
以後、少年時代:青年時代:現代の話が時系列がバラバラとなりながら進んで行く。
少しでも理解しようとする気持ちを無くした時点で、間違いなく興味を無くすのは必然です。
その意味では、好き嫌いが別れる作品と言うよりは、観る人を選ぶ作品と言った方が適切かも知れません。
個人的には最後までとにかくハラハラしました。
一体このバラバラに崩れたパズルはどうやって嵌め込まれるのか…と。
とにもかくにも。母親の愛情の凄さと同様に、妻が段々と病んで行く心の不安定さと憎しみ・焦燥感。
それと同時に表現される自殺願望には、眼を逸らした瞬間に画面上で何かが起こるかも知れない怖さが充満している。
同じ男の目線から見ると。子供達から少しずつ憎しみの眼を向けられ、やがて親戚・縁者・友人達から浴びせられる冷ややかな視線の辛さ。
そう! この作品は男性目線と女性目線では全く違った感想が出来る内容でした。
自分のお腹を痛めてこの世に生を受けた最悪の子供。
母親の立場になれば、その我が子に対する愛おしいまでの想いは。男には到底はかり知れない。
それにしても、全てのパズルが嵌め込まれた瞬間に、「そんな事が起こるのか!」
…と多くの人が思うはず。
母親役のパネッサ・パラディは勿論素晴らしかったが、あの子役の男の子の演技力も負けず劣らず凄かった。
映画は一見ハッピーエンドと見せ掛けて…。
いや〜、頭フル回転させて。我が脳みそは今ぐちゃぐちゃですわ。
(2015年4月11日 ヒューマン・トラスト・シネマ有楽町/シアター2)
どう捉えるか。
いろんなレビューを見てヒントを探したけど私にはどう捉えていいのか未だ分からない。
霊媒師に何を言われてショックを受けたの?運命の相手ではなかった事を知らされたから?
で、友達はその霊媒師にその続きを聞いたの?ってか話の続きはあったの?
心の中で何があって三人抱き合うまでの円満解決になったの?
で結局、この2つの物語の接点は写真の中だけ?
ダウン症の子が入れてるタトゥーと螺旋階段の下のモザイク(?)意味は?
?だらけで難解すぎた。
見終わってもつい思い返してしまう・・・
画と音楽がとてもカッコよく、素敵だった、というのが強く印象に残っています。途中までは並行して映される二組のドラマの関係性が全く理解できず戸惑いながら進んで行った。
ダウン症の母親の最後の選択に至る場面が唐突に感じられました。
そこまでを丁寧に描いている印象だったので、母親が追い詰められ、その選択をするしかなかった彼女の気持ちをもう少し時間をかけて欲しかったです。
でも、もしかしたらそれは、観客に考えさせるためでしょうか?
何が彼女をあそこまで追い詰めたのか。
一生手元におけるはずの息子が急に離れようとすることに苦痛を感じたからなのか。
これまでにない息子に直面しどうにも手に負えないと考え、このままでは施設に入れるしかないことに、息子なしで生きることができないと感じたせいなのか。
偶然にも私も7歳のダウン症の息子を持つ母です。
母親の息子への強い強い愛情と絆を理解しつつも、息子への執着の強さが突然離れていく息子に混乱する(と受け取っていいのか?)様子には共感できない部分がありました。シングルマザーではないのですが。
ダウン症児の愛らしい魅力が表現されてることも嬉しく感じたのですが、そう感じたのはやはり私は身内だからかな?
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