「無欲な写真家」ヴィヴィアン・マイヤーを探して 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)
無欲な写真家
功名心がない、誰かにほめられたいとは思わない、意外にそんな人は少ない。
いや、ほとんどいない。
世の中はやったことの対価で成り立っている。
誰でも何らかの欲得をのぞむ。
無欲なんて、あり得ないし、多少なりと腕に自覚があるなら、それを生かそうとするだろう。
ヴィヴィアンはその一般的な概念を超えている。
そこに生き、見たものにシャッターをきって、それだけで楽しい。
上から覗くローライフレックスも彼女の性格に合っている。
誰にでもファインダーを向ける外向性と、地域社会での亀のような内向性。
『ストリート写真家は雑踏をおそれない社交的な性格の持ち主だ、人と接するからね、だが同時に孤独な者でもある。外交的かつ内向的だ。被写体をまるごと抱きしめるが、自らは引いて存在を消す』(映画中、プロの写真家の言葉)
束縛する関係性を嫌い、外で撮りたいように撮る。そもそも、発見されなかったら、発見される人が間違っていたら、世に出なかった。そのネガ15万枚。
『人間やストリートフォトの本質をよくわかっている』
『被写体の人生や風景を完璧にきりとっている』
写真も才能も本物で、世界中で注目された。
そして謎が残った。
こんなにたくさんの素敵な写真を、なぜ誰にも見せなかったのか。
発表しなかったなんて、もったいない。
彼女を知る人々から、そんな言葉が出てくる。
が、そこに高潔という理想も見る。
富も栄誉も求めず、やりたいようにする、自由人。
だが、後半は、奇人ぶりや孤独で惨めな晩年など、ヴィヴィアンの負の側面が紹介される。前半の賞賛から、ぐっと卑近に、等身大になり、リアルだった。
写真の発見であると同時に、ヴィヴィアンマイヤー=15万枚も撮影して誰にも見せなかった、独特な人間の発見でもあったことを、このドキュメンタリーは伝えている。じっさい素敵な写真もさることながら、その高潔に感銘をうけた。