「爺さんのワガママで、このおばあちゃんは好い面の皮だ。」陽だまりハウスでマラソンを マサシさんの映画レビュー(感想・評価)
爺さんのワガママで、このおばあちゃんは好い面の皮だ。
ドイツがこんな国ではないから、映画になってると思う。こんな画一的な行政サービスではない。
『みんなで工作しましょう』なんてそんな事推奨するわけが無い。ドイツと言えども個人を縛るは宗教のみ。何事に於いても自由は尊重されると思う。問題なのは、彼の行動でマラソンが主流になっては困る。なぜなら、老人ですからね。あくまでも、出来る人だけの楽しみで。
1956年のメルボルン大会のマラソン優勝者はアルジェリア人。そう言えば、マラソンでドイツ人や白人が優勝するってあまりない。ドイツ人と日本人って似ているって良く言われるが、ドイツ人って以外と日本人よりも持久力ないんじゃないかなぁ。僕も脱亜入欧なので、マラソンの様にただ走るだけの競技は好きになれない。
だから、毎日映画を見ていても苦にはならない。
だがしかし、最近、その映画観賞が苦になって来た。つまり、地雷映画に出逢ってばかり。
この映画の主旨が理解出来た
本音言えば『走って貰って早く地獄へ行ってくれ』って事でしよ。見栄えの良い『PLAN75』だね。昔とったきねづかが一番悪い。ヒゲぐらい剃って、過去の栄光に囚われず別の楽しみ考えろ!!と言いたいね。
国の威信をかけて走った円谷選手は旧競技場のトラックの中で抜かれて、3位に終わった。どんなにか悔しかったことか。その後の円谷選手の人生を考えると、こう言った『レース』という競技が叡智の欠片も無いなスポーツに、僕はどうしても見えてくる。勿論、一人で走るのは別である。
臭い、く●みたいな映画だ。もうすぐ死ぬと言うのに、往生際が悪い者を主人公にした●ズ映画。
脳腫瘍がそんなに簡単に死ぬか!!我が亡父は致死率80%の脳卒中なのに5年も寝たきりで過ごした。家族にはどれだけ迷惑をかけたか。まぁ、親父は年金があったので、金には困らなかったので家族は助かったが、それでも死んでくれて悲しいとは思わなかった。
僕は悲しいと言うよりも『次の次は僕の番だ』と思った。その時はまだ母が生きていたので。但し、母が死んだ時も悲しくはなかった。僕は『次は僕だ』と感じた。それだけ。だから、毎月母の墓前にはでかけ『まだ、呼ばないでね』と愛想を作っている。