「楽曲のダサさ、気持ち悪さが正しい話ではあるが。」君が生きた証 しんざんさんの映画レビュー(感想・評価)
楽曲のダサさ、気持ち悪さが正しい話ではあるが。
この映画、序盤からずっと違和感を付きまとう。
主人公の身の落とし方が明らかに被害者のそれではないからだ。中盤のネタバレまで心持が悪いのは正しい感性。
人を感動させる曲、というのを表現するのは難しい。
その意味でこの映画は最もうまい方法で、それを演出していることの「あざとさ」にとりあえず評価。
はっきり言って、楽曲のレベルは低い。さらに歌詞は気持ち悪い、ときている。
しかし、これには意味があるのだ。楽曲のレベルの低さと歌詞の気持ち悪さは中盤のネタバレで納得させられる。
この気持ち悪い歌詞にグラッとくるのが、またしても気持ち悪い兄ちゃん、ということも見逃してはいけない。
こういう楽曲を書く人間は危険視したほうがいい、と暗に示唆している。ただし、このお兄ちゃんを「気持ち悪くない」人間にしていく成長談でもある。
ラストに主人公が一人で事実を明かし、一人で歌うのも、「気持ち悪さ」を親である主人公が一身に受け止めた、ということでもあるのだ。
だがこの映画の欠点は、演出が仰々しい点にある。
省略を引き算、と考えるのは早計で、描かない、という表現は足し算だ。事件の全貌も描かないのはあくまで、主人公の生き様しかこの映画は描くつもりがないわけだが、息子のしたことやその心情は、主人公たちが演奏する曲に少しずつ、しかし間違いなくエスカレートしなければ、主人公の到達する境地へはすんなりと共感できないと俺は思う。
そういう「上手さ」がこの映画になく、省略の演出と非常にバランスが悪い。
もっというと、ラストの独演は「弾き語り」であるべきなのに、余計な音を入れ込んで感動させようとしている。コッテコテの演出過多の典型。序盤でアレンジでドライブ感を曲に与えていく、アレンジのマジックを描いている一方、アレンジで映画を殺しては台無しである。
楽曲のダサさはそれでいい、むしろそうあるべき話だ。だがしかし、妙なところで演出が走りすぎ、その一方、映画的面白さががっつり欠如している。
追記
主人公が音楽好き、広告マンという誰が見ても憧れるおやじ。息子とはうまくいっているようもあった。
しかし、そうではなかった。結局、何をどう考えても仕方ないんだよね。
だからこそラストの弾き語りは、余計な音は入れてほしくなかった。
真摯なようで、実は雰囲気だけの映画、というのがオレの結論。