「若さなんて、ただの怪物。」ヤング・アダルト・ニューヨーク 天秤座ルネッサンスさんの映画レビュー(感想・評価)
若さなんて、ただの怪物。
「若さ」は「怪物」だと思う。いつの時代も「最近の若いモンは」という文句は消えずに使われているし、ある程度の年齢を超えた人から見れば、20代の若者の価値観なんて想像の遥か彼方かもしれないと思う。しかしながら「自分もそんな風に若くいられたら」と思う気持ちも誰しも抱く感情だと思う。この映画の主人公ベン・スティラーとナオミ・ワッツ演じる40代の夫婦は、映画の後半で自称することになるが「大人になり切れない子供」だ。夫は記録映画の2作目を8年間も編集し続けて一向に完成しないし、妻の方も、2度の流産で子供を諦めたようでいて、本当は気持ちがぐらぐらと揺れて定まらないのを「子どもを産まない生き方もあるし、そういう生き方もかっこいいわ」と思い込むことでどうにか精神を保っているようなメンタルの脆弱さが見え隠れする。(かと言って、会うたびに「子どもを作れ」と言ってくるような、上から目線の友人夫婦にイライラする気持ちは良く良く分かる)
そんな夫婦が20代の若い夫婦と知り合い、しかもその若い夫婦に慕われてしまったから、ますます浮かれて逆上せてしまう哀愁。映画はジェネレーションギャップで笑いを撮ろうなんて愚かなことはしない。寧ろ40代の夫婦の方が近代的なツールを愛用しているし、20代夫婦の方が古風な趣味を持っていたりする。映画が可笑しみを見出すのは、若さに迎合する中年の哀れな姿だ。現実問題として、20代夫婦と40代夫婦が本当の意味で価値観を分かち合うことは困難だ。それを暴くまでをバウムバックは丁寧に描き込んでいく。無関係ともとれる日常会話さえも後々ボディブローのように効いてくる脚本の巧さは、やっぱりバウムバックならでは。
最後にスティラーがアダム・ドライバーの「嘘」を思い切り暴いてやろうとする大芝居の時にバウムバックの腕が光る。20代の若さを持つドライバーは、スティラーの大芝居さえもすり抜けてうまいことやり込めてしまう。20代、40代、60代が重なったとき、もっとも滑稽なのが40代になってしまう切なさと可笑しさ。若さに迎合せず、精神的な成熟を勝ち取りさえすれば、40代が一番旨みに溢れた充実した世代であったはずなのに。
それでもどうやったって、若さに対する羨望は拭い去ることは難しい。でもその都度この映画を思い出せばいい。「若さ」なんてのはただの「怪物」。ろくなもんじゃないさって。