「トイ・ストーリーを返してほしい」トイ・ストーリー4 リッカさんの映画レビュー(感想・評価)
トイ・ストーリーを返してほしい
わたしは初代が公開された1995年にうまれ、小さい頃からトイ・ストーリーのビデオをみて育ち、自然とファンになりました。
アンディのおもちゃたちのトイ・ストーリーは3で綺麗に完結したものと思っていましたが、4の公開についても特段不満はありませんでした。やるらしいよ、という話を聞いただけで特に前情報も仕入れず、公開初日のチケットだけ購入して映画館へ行きました。本当になにも調べなかったので、監督がかわったことも、ボーが再登場することも知らずに観ました。
いまの監督がどんな作品を作ってきたどんな人物なのか、もしくはまったくの新人なのか知りませんが、今回、小さなスタジオで、いろんなところで酷評を受けながら試行錯誤して、たくさん考えてつくりあげられたはずの"なんだかんだでみんなに好かれているウッディ"がいないことにはかなりガッカリしました。仲間の存在なんてないかのように、始終「俺が全部やらなきゃ」と暴走してばかりです。1から3までの間に、ウッディは仲間や持ち主の子供の大切さを実感して、それに寄り添う道を選んできたはずなのに。
暴走の原因はきっと、その持ち主の子供に選ばれないことへの焦りなんでしょうけれど、そもそも持ち主のボニーもひどい。アンディがおもちゃを譲ってから大して時が流れていないように見えましたが、3のラストであんなにしっかり「おもちゃを大切にする」ことを約束したボニーに、あんな扱いを受けるなんて。現実はそんなものかもしれませんが、トイ・ストーリーでそんな雑で生々しい展開はみたくなかった。アンディだって、ああなると分かっていたなら大学に持っていきたかったでしょうね。小さな頃から大切にしてきた人形ですから。
ウッディはじぶんを50年代製と言っていましたが、初代トイ・ストーリー公開時点(95年)でおそらく最新式のクールなおもちゃであるバズ・ライトイヤーが登場し、人気者のウッディにとっての脅威になります。でもアンディはウッディとバズを同じように大事にして、18歳になるまできれいに、状態よく保管しています。
アンディのお母さんだってそうです。おもちゃ遊びを卒業し、成長した息子のおもちゃを捨てたりガレッジセールに出したりすることなく、「思い出深い大切なもの」としてダンボールにまとめてくれています。ガレッジセールからウッディが助け出したおもちゃもいくつかあったかもしれませんが、それでも物持ちのいい、モノを大切にする家庭なんです。そんな家でずっと大切にされていたおもちゃが、娘を起こしにきた父親に顔を踏まれるシーンなんて、観たくなかった。すごく泣きたくなりました。もしかして、ピクサーだからと油断していった私が悪いのかな。これは悲劇映画かもしれません。車のパンクで突然キレ始めるボニーの父親とか、なんか無駄に生々しい描写が多かったです。これが今の監督の色なんでしょうけれど、トイ・ストーリーには不要な色です。
アンディがとてもいい子で、アンディの家が理想的な一家だったのだと言われてしまえばそれまでですが、ボニーとその家族には持ち主としての魅力が感じられませんでした。
ウッディの相棒・バズも、今回はなんだかただ頭が悪い子に見えました。まさか3で初期化されたせい?
オイ心の声、なんて大真面目に言っている様子はたしかにおもしろく描かれているかもしれないけれど、ウッディたちと長く過ごしたバズではなかった。バズに限らず、なんだかいたるところで、観る側を意識しすぎているように思いました。ホラ、おもしろいでしょ?笑えるでしょ?とでも言いたいかのような。SNSの素人漫画じゃないのですから、おもちゃたちの芯を大切にしてほしかったです。1から3までの土台があっての4であることを忘れないでほしかった。
再登場したボー・ピープですが、これまでの生活を考えればたしかに荒っぽくもなるのでしょう。ただ、あんな嫌みっぽいスレた人形にする必要性はあったのでしょうか。ボーの相棒らしい小さなおまわりさんも、こやかましくてお局様のような台詞。アクションはかっこよかったし、強くなったんだな~がんばったんだな~と感慨深くなることはあっても、魅力はありませんでした。
そもそもボーはモリーや持ち主に未練を感じているように見えました。自由よ、気ままで楽しいわ、と口で言いながら、ちょこちょこ寂しそうな顔を描いてみせるということは、監督は「ボーは心の底では寂しがっている」とわたしたち観客に思わせたいんでしょう?そんな前置きをたっぷりしておきながら、ラストにウッディの選択を見せられたときは「えええええええ!!?!!そっち!!??」とひっくり返りそうになりました。
さらなる悲劇。ボイスボックスはあの自分勝手なヒロインドールにとられ、ウッディの軽快なボイスはもう聞けません。奇跡がおこってボイスボックスが治ったり、2のような偶然でメンテナンスされたり(そもそも部品がもうないと思いますが)することがない限り、ウッディは誰にも「あんたは俺の相棒だぜ」と言えません。おもちゃ相手なら別ですが。ウッディを拾い上げて背中の紐をひっぱってくれる、毎日遊んでくれる子供のパートナーを見つけることは、もう二度とできなくなってしまったのです。
ギャビー・ギャビーにも悲しいストーリーがあったようですが、それは3の悪役ロッツォにも言えることです。トイ・ストーリーにおいて、自分のトラウマやかなしさを盾に、ほかのおもちゃを犠牲にすることは決して認められないのだと、3で結論はでています。それを覆して、わがままのごり押しを美談のように描くピクサーが信じられない。ずっと手足のように使われてきた人形は結局ただの踏み台ポジションとして壊れて終わり。サニーサイドのように「クールでイカした今後」があるわけでもなかったのです。
ギャビー・ギャビーがこれまでしてきたことやウッディのボイスボックスのことを考えれば、持ち主が見つかって良かったね!いい話だな~!とは、とても思えませんでした。
なんだか登場するおもちゃみんなが不満を抱えて、怒りっぽくて、焦っていました。自由、という言葉をつかって自分勝手に振る舞っていました。
初代トイ・ストーリー制作時に、ジョン・ラセター監督が初期のフィルムを駄作と判断した要因がそのまま詰め込まれているようです。
世界観にぴったり合っていたダイアモンド☆ユカイさんの曲ですが、今回の内容で流れるのではギャグにもなりません。
こんなのまったく認めない!駄作だ!と言うつもりはありません。人間が見ていないところでうごくおもちゃの成長と自立の物語として見れば、きっとそこそこいい映画です。個性的なおもちゃたちのクスッと笑ってしまうようなかけあい、泣けるシーンもあり、広い世界へ踏み出す人の背中を押す作品です。新キャラの芸人声優についても、ぴったりハマり役で気持ちよかった。これが単発映画なら☆3.5か4くらいかな。ただ、1から3までの流れをもつおもちゃたちのストーリーとしては、矛盾やつっこみどころがあまりにも多かった。
仲間を、相棒を大切にしてきたはずのウッディが仲間を忘れたかのように大暴走。新しく出会ったおもちゃたちに誘われるまま、外の世界に出てしまう。大切にしてきたはずの、長いつきあいのおもちゃたちとは数十秒の別れ。アンディの手を自ら離れ、仲間と子供のそばにいることを選んだ3のラストとは違います。綺麗に飾られちやほやされることより、毎日振り回されてバタバタして、いつか飽きて手放される道を選んだ2とのラストとも違います。仲間や子供との暮らしより、自分の「いまに満足できない気持ち」を優先した選択です。それは決してウッディの自立心や向上心からうまれた選択ではありません。要は嫌だから逃げ出したのです。忘れっぽくて、すぐおもちゃに飽きる子供のもとに仲間を置いて、昔の彼女のいる気持ちのよさそうなところに逃げるのです。
その選択が間違いとは言いません。ただ、トイ・ストーリーのラストにその選択が置かれたことには首を傾げてしまいます。これまでのウッディはなんだったのか。
「あなたはまだ、本当のトイ・ストーリーを知らない──」この煽り文句を背負ってのこの選択なのであれば、これまでのトイ・ストーリーは本当にトイ・ストーリーではなかったのかもしれません。私が、大好きだったトイ・ストーリーですけれど。
いまの監督がトイ・ストーリーをジョン・ラセター監督に返してくれないのであれば、もうあとは5が存在しないことだけをただただ祈ります。わたしの大好きなトイ・ストーリーは、やはり3で完結していたようです。