ジミー、野を駆ける伝説 : 映画評論・批評
2015年1月13日更新
2015年1月17日より新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ有楽町ほかにてロードショー
社会派ローチが光を当てた、アイルランドの名もなき闘士
カンヌ国際映画祭でパルムドールに輝いたケン・ローチの「麦の穂をゆらす風」(06)では、独立戦争から内戦に至る1920年代初頭のアイルランドを舞台に、引き裂かれる兄弟の悲劇が描かれた。同じく激動のアイルランド近代史を背景とした新作「ジミー、野を駆ける伝説」は、その姉妹編といえる。
主人公は実在の人物、裁判も開かれることなく国外追放の身となった左翼の活動家ジミー・グラルトンだ。物語は、土地の借用権をめぐる闘争が原因でアメリカ暮らしを余儀なくされてきたジミーが、1932年に10年ぶりに帰郷を果たすところから始まる。彼は、希望のない若者たちの切なる声に心を動かされ、閉鎖された“ホール”の再開を決意する。そこは地元の人々の交流の場となっていた。だが、そんな行動がやがて保守的な教会や公安、地主との対立を招くことになる。
ジミーは歴史に名を残す偉人ではないし、彼に関する記録も乏しい。なのになぜローチは彼に惹かれたのか。それは映画に描かれるホールの世界がよく物語っている。彼はイデオロギーだけの堅物ではなく、芸術や娯楽をこよなく愛した。だからホールでは、音楽やダンスと教育や政治が一体になっている。そんな空間は、庶民の喜怒哀楽と政治が分かちがたく結びついたローチの社会派リアリズムが際立つ理想的な舞台となる。
さらに、現代との繋がりも見逃せない。このドラマには、1929年のニューヨーク株式市場の大暴落に端を発する世界大恐慌が暗い影を落としている。そんな状況のなかでジミーは、地主によって不当に自宅から追い出され、妻子と路頭に迷う労働者のために立ち上がる。彼の演説にある「我々は人生を見つめ直す必要がある。欲を捨て、誠実に働こう」という言葉は、リーマン・ショック以後の世界に対するメッセージにもなっている。
(大場正明)