「少女よ、外へ目を向けよ。自らの道を見つけよ。」モアナと伝説の海 めいさんの映画レビュー(感想・評価)
少女よ、外へ目を向けよ。自らの道を見つけよ。
この映画には、大きく二つのテーマがある。一つは「外の世界へ目を向けよ」。モアナの住む島では、豊富な海洋資源と自然に恵まれて暮らしていける為、珊瑚礁の向こうの外洋に行く事が禁じられている。海へと出ていきたがる彼女に対し、父である島長は、海へと冒険に出るのではなく、皆の生活を守る島長となり、島の伝統である石の塔を(まるでバベルの塔のように)積み上げよ、と言う。珊瑚礁の中に居れば安全だ、石を高く積み上げよ…という父の言葉は、昨今の先進国で台頭しつつある保守主義やナショナリズム等の情勢と大きく被る。だがモアナはそんな父の言いつけを破り、闇に飲まれつつある村を救う為、そして言われたままに島長になるのではなく、本当に自分がしたいことを見つける為に、珊瑚礁を越えて波の荒い外洋へと旅立つ。「少女よ、内に籠るのではなく、勇気を持ち、外へ旅立て…」これが、まずひとつ目の大きなテーマではないだろうか。
二つ目のテーマは、英雄マウイというキャラクターに大きく関わる。マウイは神だが、生まれた時は普通の人間であった為、(おそらく神であった)両親から捨てられたという過去を持つ。親から愛されなかったというコンプレックス故、代わりに人間たちから崇拝される事に喜びを覚えるようになる。それゆえマウイは、人々から賞賛されるため、海から釣り針で陸を引き揚げて島を作り、太陽を引き寄せ、ついには世界を生んだ女神テフィティから彼女の心を盗み、世界から闇を作ってしまう。モアナはマウイにテフィティの心を返させるため会いに行くが、釣り針を失った彼は、単なる調子の良い小心者でしかなく、モアナを洞窟に閉じ込める等の卑怯な振舞いさえ見せる。また、戦いで釣り針が傷つくや否や、彼は臆病にも逃げ出す…。このような彼の振舞いから、彼が真の英雄ではなく、実は単なる自己肯定感の低い一人の男でしかない事が、物語の後半露呈されていく。
しかしその一方、モアナはマウイとの交流を通じて、自ら船を動かす術を身に付け、マウイに頼るのではなく、自らの力で障害に立ち向かおうとする。そしてそんな彼女を見て、マウイは人々から賞賛されたいが為ではなく、友人である彼女を救う為に、初めて自らの意思で自らの限界を越えて戦おうとするのだ。一方、モアナ自身も旅とマウイとの交流によって変わっていく。ただ言われるがまま島長になろうとしていた受け身の彼女が、勇気を持って珊瑚礁を越えて、マウイの力に頼らずに自ら障害に挑もうとするまでに成長していく。
自らを見つめ、自らの力でなすべきことをなせ…。これが、この作品の持つ、二つ目の大きなテーマであるように思う。
少女よ、外に目を向けよ。自らを見つめ、自らの力でなすべきことをなせ。モアナと伝説の海は、そんなメッセージ性が詰まった映画だった。
ただ一点、個人的にどうしてもこの映画を好きになれない部分がある。それはモアナとマウイの序盤の関係性である。モアナが主人公であるにもかかわらず、無力なモアナは男性のマウイの前だと徹底的にケアワークに徹するしかないという構図。勿論最後にこれは変化するのだが、自己肯定感の低い男の為に、ひたすらケア役に回る女性主人公というのは、昨今のディズニー作品にしてはずいぶん古い価値観に思えた。マッドマックスFRのオマージュを入れるくらいなのだから、その辺りのジェンダー観もアップデートしてほしかった。それが残念に思う。