「「よくわからなかった」という方へ、中年のおっさんとして補助線を引いてみました。」バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡) ウシダトモユキさんの映画レビュー(感想・評価)
「よくわからなかった」という方へ、中年のおっさんとして補助線を引いてみました。
レビュー欄では賛否両論が盛り上がっていますが、僕なりに補助線を引いてみたいと思います。(ちょっとネタバレ含みます。)
人には誰しも多少なりとも「理想像」というのを持っていて、若いうちはそれを「目標」にして追いかけることができますよね。でも、人生の折り返し点を過ぎた中年になると、その「理想像」はいつの間にか「べき論」に変身して、自分を追っかけてくるのです。
親としてどうあるべきだったか。夫や妻としてどうあるべきだったか。仕事キャリアはどうあるべきだったか。それらをひっくるめて自己実現はどうあるべきだったか。
理想像を実現してなきゃいけない年齢になったとき、「まだ届いてない」とか「もう手放してしまった」とかの現実があるわけです。そのギャップと折り合いをつけて、それでも生きていくのが大人になるってことなんだなぁと最近思うようになったんですけど、それが「諦め」のように思えて辛くなることもありますよね。かと言って、なんとか自分を奮い立たせてあがいたとしても、ハタから見たらパンツ一丁で大通りを駆け回るような滑稽な姿を晒すようで恥ずかしい。
映画の中で可視化されるバードマンを「置き去りにした理想像」とか「主人公のホンネ」として考えるとちょっと無理がありますけど、「やっぱり前の会社辞めるべきじゃなかったのか?」とか「やっぱり元カレ(元カノ)とヨリを戻したほうが幸せになれたんじゃないか?」とかいう「迷いが実体化したもの」として捉えるとしっくり来るような気がします。
その迷いを断ち切るのではなくて、“自分の一部”として受入れて、取り込む。観客は一瞬、主人公がバードマンに戻ってしまったのかと思わされるんですけど、主人公は最後にその仮面をちゃんと脱ぐんですね。
そして、ラストシーン。これを「シニカルなバッドエンド」として笑い飛ばすこともできるし、「ファンタジックなハッピーエンド」として感動することもできる、ハイブリッドなエンディングだったと思います。
(決して悪い意味ではなく)消化試合を戦ってる人は前者を採ればいいし、
(無謀と言われても)敗者復活戦に挑む人は後者を採って励みにすればいいのです(僕のように)。
副題に(無知がもたらす予期せぬ奇跡)とありますが、これまた年を取ると世の中の色々が見えてきて、いまさら「無知」になるのは難しい。でも「無知なフリしてエイヤっと飛んだら、今まで知らなかった奇跡が起きるかもよ。」というメッセージだと考えると、ややハッピーエンド寄りで解釈してもいいじゃないかなと思ったりもします。
> 消化試合を戦ってる人は前者を採ればいいし、
(無謀と言われても)敗者復活戦に挑む人は後者を採って励みにすればいいのです
なるほど。こんなにたってから、ふとレビューを拝見して、腑に落ちるとは。そのことに感動。ナイスレビューをありがとうございました