「脚本の妙(人はみな、ビギナーズ)」バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡) 小二郎さんの映画レビュー(感想・評価)
脚本の妙(人はみな、ビギナーズ)
長回しがー、俳優の演技がー、音楽がー、ハリウッド&観客への批評性がーなどは、もうすでに皆さんお書きになっているので、その他感じたことを書きたいと思います。
以下、ネタバレ含みます。未見の方は、ご注意を。
落ち目の俳優が、レイモンド・カーヴァーの『ビギナーズ(通称:愛について語るときに我々の語ること)』を舞台化する、というのがこの映画のストーリー。
単に劇中劇というだけではなく、この映画全体が『ビギナーズ』そのものだったんだなと思う。『ビギナーズ』の、自殺をしくじり3日後に死ぬ男、妊娠をあきらめる女など、様々なエピソードが、映画の地のストーリーに反映されている。
その男は、狂人にしか見えないけれども、本物の愛があった、それが『ビギナーズ』の筋書き。と同時に、愛について語れば語るほど、何かがすり抜けていき、何が本物か分からなくなる、揺らぎも描いている。
揺らいで傷ついているけれども、この世に「本物」があると信じたい…そんな希望と絶望の物語。
「我々は愛についていったい何を知っているだろうか。僕らはみんな初心者みたいだ。
僕らはみんな恥じ入ってしかるべきなんだ。こういう風に我々が愛について語っているときに、自分が何を語っているか承知しているというような、偉そうな顔をして我々が語っていることについてね。」
そんな、一文が『ビギナーズ』にはあるけれども。
バードマンは、「愛」を「映画」に置き換えたものなんだろうなあと思う。
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バードマンの主人公は常に自問自答する。俺は本物の俳優なのかと。
娯楽映画に出てるときは、ただの人気稼ぎじゃないかと悩み、
アート系舞台の時は、こんなの単たる自己満足じゃないかと悩む。
何が本物かなんて、誰にも分からない。
人気や成功や、批評家やTwitterからの注目は、一時の狂騒と安心を与えてくれるかもしれないが、揺らぎの根本は変えられない。
俳優として親として生きることにおいて、ビギナーズで、揺らぎ続ける愚かな存在だけれども。
それでも彼は本物の俳優で父親だったよ。そう信じる、本作ラストの娘の表情が清々しい。
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淡々と怖くて悲しくて愛おしい『ビギナーズ』を、力強い喜劇に書き換えた脚本・構成の妙が光る映画だったなあと思う。