「ぎりぎりの人たち」バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡) xtc4241さんの映画レビュー(感想・評価)
ぎりぎりの人たち
ギリギリに追い詰められた人間のギリギリな精神状態とは?
バードマンはそれを問うた作品である。そんなものが日常的にある商売として演劇を選んだ。
映画というものは、やり直しがきくが、演劇が常に一発勝負。逃げも隠れもできない。演劇だけでなく、Liveというものはそういうことだ。本番前の気分ったらちょっと言い表せないものがある。稀代の傑物といわれるロック歌手のロードは、いつも吐きそうになるというし、飄々としたベテラン歌手のさだまさしも、いつもその場から逃げ出したくなると言っている。
かくいう僕自身、大きなプレゼンがあるときは絵もいえない気分になったものだ。でも、それが忘れられないんだよね。
そんな極限的な人間を癖のあるというか、芸達者な俳優が演じている。主人公の元バードマン、この芝居に自分の全財産も賭けた男にはマイケル・キートン。才能はあるが一癖もふた癖もあるライバルにはエドワード・ノートン。劇中の浮気妻にはナオミ・ワッツ。ちょっと変わった娘にエマ・ストーンとなかなかの配役だと思った。
さらにこの映画の特徴は、男の心理状態に合わせていろんなものが浮遊するのだ。建前で修めたいのに、見たくない本音を露骨に吐露する男の影絵バードマン。何もかにも投げ出したくなるときには、みごとにモノを破壊してくれる超能力。知らず知らずのうちに大勢の観客に見られているシチュエーション舞台。
どこまでがリアルなのか、どこからがウソなのか。混沌とさせられる映像でもある。
作品賞、監督賞、脚本賞、撮影賞4部門のアカデミー賞を獲ったというのも、いまになるとうなずけるものがあるのだが、書く前は僕の頭も混とんとしていて、どう評価していいのかわからなかった。このアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥという監督は僕のフェイバリット作品である「21グラム」を撮ったひとである。胸をかきむしられるような映画だったのだが、今度は頭の中をかきむしられたようだった。