「ハリウッド版「鼻」」バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡) SP_Hitoshiさんの映画レビュー(感想・評価)
ハリウッド版「鼻」
面白かった。ストーリーはもちろん、映像もほぼ初めから終わりまでの長回しみたいになってて凝ってる。
主人公の行動や心の動きには不可解なところもあって、全ては読み解けない。
でも、よくはわからないが、心の底が揺さぶられる。
本気で人生に悩み、人生をなんとかしたいと心から渇望している人に、訴えかけるものがある。
単純なハッピーエンドではない。でも、何かはわからないが、とにかく勇気付けられる。
それは、誰でも皆、何かに悩み、あがいていることに気づくからなのかもしれない。
あがく人の姿がどこか滑稽で、結局、どんなに苦悩してても、傍目から見たら滑稽なことにすぎないんだよ、と教えられるからかも知れない。
成功にこだわる主人公。でも、周りの人は、それが本当に重要なことであるとは思っていない。
それでも主人公にとってはどうしてもそうでなければいけないと考えていて、どちらの見方も正しいように思う。
どちらの考え方も、それでいいんだ、と思えて、なぜかほっとする。
〈追記〉
見終わった感じのもやもや、特にラストの娘の晴れやかな顔の意味を考えていて、もしかしてこれは、芥川龍之介の「鼻」なんじゃないかと思い至った。
主人公は自分のプライド、名誉に固執していおり、その頑張りが滑稽でもあり、悲しくもあるのが似ている。
バードマンという過去の栄光と、現在の凋落が、「僧侶というステータス」「醜い鼻」であり、醜い鼻を除きさえすれば、自分の苦しみは解消されると主人公は思い込んでいる。
そしてラストで主人公は文字通り、鼻を吹っ飛ばすことで、醜い鼻を消すことに成功する。
しかし、その代償として得たものは、「舞台で本物の血を出した」という、やはり大衆受けしそうな陳腐な名声だった。
醜い鼻は消したが、代わりに得た鼻はやはり虚しい名声にすぎなかった。
主人公が将来、新たに得たこの名声に苦しまされるであろうことは、目に見えている。
主人公の鼻を見るたびに観客は、鼻を吹っ飛ばした事件を連想し、それが主人公の新たな呪いになるのだ。
それは、マスクさえ外せば素顔に戻れるバードマンよりも一層やっかいだ。
見方を変えれば、バードマンの名声と一体化したいと望む主人公が、文字通りバードマンと一体の顔になったようでもある。
だから、ラストシーンの病室では、相変わらず「バードマン」がなんてことないよ、という風に用を足している姿が見える。
最後、なぜこんなもやもやするラストにしたのか。
それは、主人公の成功と、成功しても根本的な問題は解決しないことのもやもやを表現しているのではないか。
ありがとうございます。実際そうなのかは全く保証ないですが、妄想膨らませて映画解釈するの好きなので…。
「鼻」も物語上は主人公の晴れやかな顔で終わってて、ハッピーエンド風なのに、全然根本的な解決がされてないことにもやもやしてて、思いつきました。