劇場公開日 2015年4月10日

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「超現実主義」バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡) nagiさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0超現実主義

2017年8月8日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

知的

鑑賞後、誰の解釈をも聞かぬまま私の考えることを述べてみようと思う。この映画の理解の方法は、多様に渡るはずである。それもそのはずだ、アカデミー賞で作品賞に輝いた作品なのであるから、それはもう老若男女、映画ファン・ミーハーに関わらず多くの人がこの映画を観たのであるから。
であるゆえに何が正しいのかはわからない。今から書く私の考えが正解とも限らないし的外れかもわからない。なにせ私は先ほど初めてこの作品に触れたばっかであるのだから。そうやって自分で考えることなしに批判を重ねる者からの保身をしておくとしよう。

私はこの作品のキーワードはやはりラストシーンに隠されていると思う。リーガンが劇中で自らを撃ち、一命を取り留め、病院の一室に横になっているシーンである。そこでジェイクが興奮気味に差し出した新聞には、「リーガンが無意識のうちに新たな芸術様式を生み出した」「"スーパー・リアリズム"」と批評されている。重要なのは、"無意識"と"スーパー・リアリズム"である。

私は"Super-Realism"の訳は、"超現実主義"と訳すべきだと思う。

"超現実主義"とは、20世紀の芸術様式の中で最も大きなムーヴメントを引き起こした様式で、フランス語で"シュルレアリスム"、こちらの呼び名の方がポピュラーだろう。そう、ダリやマグリット、キリコの名前が出てくるそれである。"シュルレアリスム"は、1924年のアンドレ・ブルトンによる著作『シュルレアリスム宣言・溶ける魚』によって定義づけられる。彼は"シュルレアリスム"を、「自動記述」の実験によって体現した。なんの理性の介入もなしに、無意識的に文章を書きなぐり続けることによって生まれるその世界は、なんともオブジェクトに溢れ、それらが次々に溶け合うような、そんな幻想的な世界だったのである。この自動記述による現実への影響は大きかったようで、それこそ現実世界でも幻覚や幻聴に苛まれることがあったそうだ。ところで、この幻覚世界は、現実世界との何か境目があるわけではなく、連続している。この連続性こそが重要であり、この現実世界に不意に現る不可思議な世界、それを"超現実"すなわち"Surreal"と呼んだのである。(ちなみにシュルレアリスムを知るには、巖谷國士氏の著作がオススメである。)

リーガンも、この"超現実"を経験していたのではないだろうか?あの隕石や、超能力というのは、現実と区別がつかない。全盛期とは程遠い今、彼がかつて手にしていた力(それは名声であるが。)を強く渇望したゆえ、しばしば超現実の世界に移っていたのではないか?または、かつての自分の姿に戻りたく、理性なしにがむしゃらに、オートマティックに生きた結果、超現実を体験するようになったのではないか?

ブルトンの言葉だが、想像力というものは容赦がない。だがそれこそが愛するべきポイントなのである。想像力を奪ってはいけない。リーガンは無意識のうちに映画界に革命的な様式をもたらした。それが"超現実主義"である。人間の容赦のない想像力は自分の意図とは関係なしに、幻想的な世界を生み出す。それは、真の意味でのユートピアなのである。それこそ"バードマン"であり、"無知がもたらす予期せぬ奇跡"なのではないだろうか。

さて、ラストシーンで娘が見た光景とは。その光景さえも彼の超現実の物語でないか?このストーリー全体が彼の超現実の中の世界だとしたら...?
全編字幕が黄色なのは、そういうことなのではないだろうか。

nagi