劇場公開日 2015年2月21日

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「心の闇を狙い撃て」アメリカン・スナイパー ユキト@アマミヤさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5心の闇を狙い撃て

2015年2月27日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

悲しい

怖い

知的

観終わった後、ひどく疲労感を感じる作品である。イラク戦場で実際に戦った、兵士たちの疲労、ストレスが尋常じゃないことは、本作からよく伝わってくる。
本作の主人公クリス・カイルは実在の人物。当然、本作もドキュメンタリータッチで描かれる。もちろん戦闘シーンでの緊迫感は、実際の戦場さながらだ。
彼はイラクでの戦闘で160人を射殺した伝説の狙撃手である。
彼は現代アメリカ軍で最強とされるSEALsのエリート隊員である。
屈強な肉体をもち、極限の訓練に耐え抜いた人物だ。
やがてイラク戦争が勃発。クリス・カイルも戦地である、イラクに赴く。
アメリカ政府とアメリカ軍は、当初、圧倒的な物量作戦と、先進のハイテク兵器の効果もあって、フセイン政権を比較的たやすく潰すことができた。戦死者も136名とされ、湾岸戦争よりも少なかったそうだ。ブッシュ大統領は「戦争は勝った! 我々はテロに勝利した!」と高らかに宣言した。
しかし、アメリカ政府とアメリカ軍の大きな誤算は戦争の後始末だった。熾烈な泥沼の戦いは、ブッシュ大統領の「戦争終結宣言」の後から始まったのである。それはアメリカ兵士たちにとって悪夢の始まりだった。彼らはイラクの治安維持のために「テロリスト」が潜む街中をしらみつぶしに捜索する羽目になってしまう。
イラクの街や集落。それらをパトロールすることは、まぎれもない「市街戦」の真っ只中に入ることを意味する。
アメリカ軍の優秀な M1戦車も狭い街中では何の役にも立たない。かといって、第二次大戦や、ベトナム戦のような絨毯爆撃は、「戦争終結宣言」をした後でもあるし、民間人も巻き込む。それは現代戦において、世界中の世論を敵に回すことになる。
結局「戦争は終わった」と宣言された後の、アメリカ軍の戦死者は4000人を超えるそうである。
もちろん、心身に傷を負った兵士はこの数をはるかに上回る。
戦いはいつまでも終わらない。本作の主人公クリス・カイルも、結局イラクの「戦場」へ4回も赴くことになる。
SEALs隊員である彼も、プライベートでは、一人の若者である。
当然恋愛もする。危険で過酷な任務に就かされる事の多いSEALs隊員だが、意外にも皆、恋人をもち、結婚している人も多いのだ。
クリスもやがて結婚し、二人の子供を設ける。
気は優しくて力持ち。公園で子供と遊ぶ姿は、どこから見ても温厚で頼り甲斐のある理想的な「パパ」に見える。
しかし、再びイラクの戦場に戻ると、彼は優秀なスナイパーの顔に戻る。彼の仕事はイラクの街中を捜索する、アメリカ軍地上部隊を守ること。クリスは建物の屋上に身を潜め、アメリカ兵士に危害を加えそうな「ターゲット」を探し、照準を定める。
「ターゲット」は敵の「兵士」だけとは限らない。「女性」でも「子供」でさえ、その身に爆弾を隠し持っているかもしれないのだ。
自分にも幼い子供がいる。しかし、照準器で今自分が狙っているのも、子供の姿だ。だが、その小さな体は爆弾を抱えている。また、ロケット砲を担いでアメリカ兵を狙う子供さえいる。
狙撃銃の引き金を引けば、自分は紛れもなく「子供殺し」を行うことになる。
しかし、任務に迷いは禁物だ。
「俺は国を守るんだ」「それが大儀なんだ」
彼は任務を遂行する。
アメリカ軍と敵対する反政府武装勢力側にもスナイパーがいる。これが極めて優秀だ。
この狙撃手は射撃の元オリンピック代表選手との情報が入る。こんな奴に狙われたらおしまいだ。
建物を捜索するアメリカ兵たちは、この凄腕スナイパーに、いともあっけなく「プシュン!」と殺されてしまう。装甲車の上部銃座にいる機関銃手も安心できない。これも「プシュン!」といとも簡単に殺されてしまう。
「目には目をだ!」
主人公クリス・カイルはその凄腕スナイパーを仕留めにかかるのだが……。
クリント監督の手腕で印象的なのは、イラクに住む民間人を決して敵対的な視点で描かないことである。
ご丁寧にアカデミー賞まで受賞させてしまった「ハート・ロッカー」という作品がある。
あの作品で僕が最も違和感を感じたのは、全編にわたって主人公の主観の目線、ひいてはアメリカ目線で描かれたことである。
自分の身を守るためには、イラクの街中で携帯電話をかけている民間人でさえ「敵」と見なさなければならない。
なぜなら、携帯電話は自爆テロの起爆装置に転用されるからである。
そのため主人公の視点で描かれる「ハート・ロッカー」ではスクリーンに登場する、頭にターバンを巻いた人物、ひいては「イラク人はすべて悪者」「憎悪の対象」という印象を観客に植え付けかねない。アメリカのプロパガンダ、そのものではないか? という印象を僕は持った。
その点、昨年公開された「ローン・サバイバー」では、負傷したSEALs隊員を、タリバンから命がけで守ったアフガニスタンの一部族が描かれている。
このわずか4、5年で、アメリカ映画でのイスラム圏の人々の描き方が変わってきている。この変化はなぜだろうか?
その理由の一つとして、アメリカは今、とても傷つき、疲れているからだ、と僕は感じる。
結局「大量破壊兵器」などなかったし、正義なんてどこにあるのか? これじゃ、第二のベトナム戦争じゃないか、 戦争なんてもうこりごりだ……。
多くのアメリカ市民はそう感じているのではなかろうか?
クリント・イーストウッド監督は、21世紀のハイテク戦争「クリーンな戦争」と言われた、戦争の実態を暴いた。兵士や家族、それに国民自体がどれだけ傷つくのか、それを敏感に感じ取ったのだろう。

いくらハイテクな戦争であろうが、クリーンな戦争であろうが、やはり戦争となれば血の通った人間同士が、殺し、殺される。殺しあう兵士たちはもとより、家族も大きな闇を抱え込む。
のちにクリス・カイルの身に降りかかる、不幸な事件。
それは彼が戦争で心に深い後遺症を負った「仲間」をおもいやる気持ちから起きてしまったものだ。イラク戦争に従軍した兵士たちとその家族。その心の傷との戦いは、今現在も進行中なのだ。
映画鑑賞後の苦い後味が、重くのしかかる作品である。

ユキト@アマミヤ
Hiroki Abeさんのコメント
2015年2月28日

非常に参考になるレビュー、ありがとうございます。

Hiroki Abe