「ラストのあっけなさ、でもそれが事実であるという重み」アメリカン・スナイパー 閑さんの映画レビュー(感想・評価)
ラストのあっけなさ、でもそれが事実であるという重み
この映画、ラストのあっけなさのために2時間の上映時間がある。
この映画は実在のスナイパーであるクリス・カイルの自伝を基にした作品で、従軍して一番最初に狙撃したのが子どもと女性だったというのも事実のこと。狙撃手だったのにいつのまにか海兵隊に同行し突入の指導とかしてたのも、敵を160人も殺傷して伝説のスナイパーと呼ばれたのも事実。1,920メートル先への狙撃シーンは、スコープ越しでも人が全然判別できないしホントに撃てるの?という距離を狙撃するがこれも事実らしい(ちなみに普通の狙撃手なら1,200m前後が限界で、2,000m前後というのは離れ業といわれる距離みたい)。PTSDに悩む帰還兵や退役兵のために慈善活動をしていたのもホント。そしてそんな人物が助けるはずだった退役兵にあっけなく射殺されてしまうのも現実に起きたこと。あれだけの戦地を潜り抜け生き残り伝説といわれた人が、退役兵のために尽くしてきた人があっけなく死んでしまう…その事実を観客に突きつけられる。それは感動の涙やスタンディングオベーションを求めるものでは当然ない。ただただストーリーが、登場人物の人生が、ぷっつりと切れた空虚感のみが残る。
これは反戦映画なのだろうか?一部のレビューで、戦争や軍人を称揚したりイラク戦争におけるアメリカの正当性を主張しているように感じるというものがあるが、少なくとも自分にはそんな監督の意図は感じなかった。PTSDに苦しむ主人公の姿は原作である自伝にはおそらくほとんど登場しなかった部分であり、監督が本人の周りを取材して取り入れた要素なのだろうと思われる(戦争や本人を称揚するならそんなシーンいれないだろう)。では、反戦映画にありがちな戦争の酷さ・悲惨さのみを強調したものかといわれれば、主人公と米軍兵士のチームワークや活躍を描いてて悲惨さばかりを強調しているわけではない。少なくとも国を守るため戦った兵士に対する敬意は感じられるし、悲惨さを描きたいならそもそもこの人物を題材にしないだろう。
この映画で監督が描きたかったのは戦争(特にイラク戦争)の肯定・否定というより、作中でも言及される「戦争で影響を受けないものはいない」という一点のみと感じる。もちろん戦争がなければ何も起きないしそれが一番いい、しかし911はじめ国家間の対立は起きてしまうし現実として対抗しなければ銃後の平和は存在しない。しかしそのなかで戦争で影響を受ける人たちが数多く発生してしまう(それはアメリカ側もイラク側も)し、戦争の影響は何も戦場だけではない…主人公が殺されたのが平和なアメリカ国内であったように。クリス・カイルという実在の人物を通じて、威勢よく戦争を叫ぶ好戦派には国内にも影響する痛々しい現実を見せ、兵士をまるごと悪人扱いする反戦派には痛々しい犠牲のもとに成り立つ平和を見せる。単に戦争を肯定するわけでも否定するわけでもなく、ただただ大きな影響を与える災害としての側面を淡々と描いた映画だったと思う。