道頓堀よ、泣かせてくれ! DOCUMENTARY of NMB48のレビュー・感想・評価
全17件を表示
「君の代わりは何処にも居ない」と「代わりなんて幾らでも居る」のはざま
「フタバより遠く離れて」の舩橋監督作と知って俄然興味が湧き、気恥ずかしさを乗り越えて劇場に足を運んだ。過去にもたまたまAKBブランドのドキュメンタリーを観たことがあるが、観ごたえは本作が格段に上。ファン向けではなく、AKBやNMBを全く知らない海外の人にも通用する作品だと思う。明らかにスターの輝きを持ち、安心して見ていられる中心メンバーだけではなく、その他大勢に紛れてしまいそうな危うい存在のメンバーにも目を向け、丁寧に追っている点が、ドキュメンタリーとしての面白さや深みを与えていた。
繰り返し考えさせられたのは、「君の代わりは何処にも居ない」と「代わりなんて幾らでも居る」のはざまについて。アイドルである彼女たちは、当然前者を目指す。しかし現実には、日々後者に向き合わざるを得ない。
私たち一般人が仕事を続ける中でも、この二つのバランスは悩みどころだ。前者であってこそやりがいがあるけれど、そればかりではしんどい。行き詰まったり燃え尽きたりしそうな時などは、後者が救いや支えになる。ところが、アイドルという職業では、後者は決定的な打撃となってしまう。そんな中、家族にとっての彼女たちは、確実に「代わりはいない 」存在であり、家族との繋がりが重要な意味を成していると感じた。劇中、2組の家族が登場するが、それぞれに、ぎこちないながらも和やかな空気が流れており、印象に残った。
加えて、彼女たちを追いながら思い起こしたのは、たまたま最近関わるようになった同年代の少女たちと、少し年上の新社会人たちだ。同年代の彼女たちを知るまで、AKBブランドは同性受けしないものと思っていた。ところが、彼女たちは、食い入るように歌い踊るメンバーたちを見つめ、総選挙に入れ込む子もいる。理由を聞くと「かわいいから」くらいしか答えてくれず、疑問が解けずにいたが、本作のおかげで、少し理由が分かった気がした。「今だからこそ」の輝きをつかんで存分に活かし、磨きたい。でも、その先への不安や諦めもある。だからと言って立ち止まれない。…否応なしにじわじわと決断を迫られる十代は、つくづく酷な年代だなと感じさせられる。(私個人は、あまり戻りたくない…。)同年代には、まさに彼女たちは、近くて遠く、遠くて近い、共感を呼ぶ存在なのかもしれない。
また、私の職場は、毎年たくさんの新人がやって来るが、いつの間にか、ふっと去っていく人が少なくない。一方、グループを辞めていくメンバーたちは「◯◯を目指すため」と理由を明確にして去るが、これもハードなことだと感じた。「疲れたから」「向いてないから」「…とりあえず休みたい」は、ない。辞める瞬間まで、いや辞めてからでさえも、彼女たちはアイドルであることをどこか求められているのだ。…どう折り合うかは本人次第とはいえ。
AKBブランド・ドキュメンタリーは今後も作られていくのだろう。是非、舩橋監督には(辞めたメンバーを含め)今後も彼女たちは追い続けてほしいと思う。
等身大のNMB48
山本彩、渡辺美優紀、山田菜々。
アイドル不毛の地“大阪”で3人を中心に吹き始めたNMB48という新しい風。
AKB48がアイドル戦国時代の頂点に立ち、
SKE48という初の姉妹グループが波に乗り始めた頃、彼女たちが誕生した。
アイドルに必要な歌唱力、ダンスだけでなく、大阪という地で鍛錬されたトーク力を武器に、先輩のチームに殴り込む。惜しかったのは、彼女たちの今までの道のりにフォーカスを合わせすぎて、本来の武器が劇中で強く感じられなかったこと。
NMB48はどこまで成長できるのか、輝くことができるのか。等身大のNMB48がこの映画に映っている。
鉄人山本、初選抜沖田
・結成してすぐに吉本新喜劇の舞台にたてる環境のNMB
・「僕たちは戦わない」で最後列になったさや姉が感じた屈辱
・選抜未経験ながらダンスのセンスが買われさや姉のアンダーとして活動する沖田の密着が縦軸かな
・入ってから一番変化があった白間
・ファンの描き方が一歩引いていて昼のノンフィクションみたいな距離感
・ファンの側からタニマチってはっきり言うんだな
・これだけの目に見える競争社会はやはりAKBグループだとまざまざと見せられる
映像作品としてのひとつの見方
対比の手法を使って、アイドルであるNMBを通し、今の日本の社会を描いている作品。
私達の生きている日本のひとつの側面をアイドルという虚像に翻弄される人々を通し、私達は何を思うだろう。
カラーとモノクロ、煌めく世界と現実の世界、本当の自分と演じている自分、羨望と嫉妬、真実と嘘、生み出す社会と消費される社会。
最後に映し出されるモノクロで映しだされるゴミの山が消費社会を象徴している。
2つの対比された場面が映し出され、その映像は見ている者にその判断を要求される。ある者は拒絶し、ある者は賞賛する。
でも私達はそのような世界に生きているし、これからも生きていく。変えられるのは自分の考え方と行動だけだ。
ファンとの繋がり、家族との繋がり、仲間との繋がり、運営との繋がり。それはファンに対する役割、家族に対する役割、仲間に対する役割、会社に対する役割があることでもある。
それぞれの役割の比率は人によって異なるし、その間には矛盾することも多くある。
清濁併せ持った社会、私達は矛盾する社会で時には何も見えないぐらい熱中して、そして時には悩み生きている。
そして矛盾とはパラドックスであり、哲学である。映画では「アキレスと亀」のように自分は先人に追いつけないと思い込み、自信を無くすシーンもある。
作品に哲学が挿入される意図は、私達に問いをもたらしたいからに他ならない。
ファンでないと観るのは厳しい?等身大の少女達の奮闘劇。
これでNMBを好きになるかというと多分ならない
48グループのドキュメンタリー映画は裏側も茶番化して金にすることだと感じていたのでこれまで見たことがなかったのですが、NMBは好きだしNMBを知らない監督が撮ったというので映画として観れるのではと期待して観ました。思ったことを並べると
・CD爆買いのファンに引く
・矛盾に目を瞑るファンに引く
・監督自身のメッセージを感じられなかった
・選挙がなんぼのもんなのか
・結局沖田さん男遊びあったんかよ
結論、48グループから供給される範囲の映画でした。
この映画に出てくるようなファン以外の人のほとんどは、この48グループの競争のあり方に抵抗、違和感があると思います。もしそのほとんどをターゲットにすることがこの映画の狙いなら、批判の目を向けたりその違和感を突き詰めることが必要だったのでは。ドキュメンタリーってなんでしょうか。
AKB入門えいが!
言われる程、暗く感じませんでした、良いと思います
陰の部分ばかり強調されて暗すぎる。何でさや姉やミルキーの活躍にスポ...
全17件を表示