「ヒマラヤ登山を再考する契機にしたい」エベレスト 3D DOGLOVER AKIKOさんの映画レビュー(感想・評価)
ヒマラヤ登山を再考する契機にしたい
1996年にエベレストで起きた遭難事故をドキュメンタリータッチで描いた作品。ヒマラヤ現地で撮影したフイルムを3Dにしたもので、ベネチア映画祭の、オープニングで上映された。風速320M、気温がマイナス26度、気圧は地上の3分の1といった世界最高峰エベレストの厳しい自然状況で、毎日機材を運び上げ、役者達と移動しながらの撮影は困難を極めたという。
ストーリーは
ニュージーランド人、ロブ ホール(ジェイソン クラーク)は、公募登山隊を率いてヒマラヤに向かった。彼はたった7か月の間に7大世界最高峰の登頂した記録を持ったプロの登山家だ。家には妊娠中の妻ジャン(キーラ ナイトレイ)がいて夫の出発を不安がるが、そんな姿を笑い飛ばして彼は自信満々で家を後にする。登山仲間で同じくプロのスコット フィッシャー(ジェイク ギレンホール)も同様に公募登山隊を率いて、一緒に山頂を目指す。様々な人々が大金を払って世界の最高峰を極めるために集まってきていた。テキサス出身のドクター、プロのカメラマン、郵便局員、日本人の難波康子も居る。長年の夢を形にするため、登山の自己記録を更新する為、自分の能力を見極める為、家庭が崩壊しかけていて自信を取り戻すため。参加者はそれぞれが事情を抱えているが、山では隊長に絶対服従が原則だ。
ネパールのルクラからは、ポーターとヤクの力を借りてエベレスト街道を、高所に体を慣らしながら一気にベースキャンプまで登る。5364Mのベースキャンプには、大型テントが張られ医師も待機している。テントの中で、いっときの隊員同士の交流も楽しいものだ。やがて、出発。第1キャンプから、第4、最終キャンプまでの無数のクレパスを渡り死と隣り合わせの登山、そして登頂。山は一時晴れていても午後からは天候が変わり霧に覆われたかと思うと、吹雪になる。隊員たちは好天に恵まれ登頂を果たすが下山途中、猛吹雪に見舞われる。ロブ ホール、スコット フィッシャー両隊長は、隊から離れで衰弱死。隊長を失った隊員たちは一人、また一人と遭難し命を失っていく。この事故で11人が亡くなった。
というお話。
この映画がヒマラヤ現地撮影でなかったら見なかったし、興味ももたなかっただろう。実際にクレパスに梯子をかけて渡るシーンや、吹雪のシーンも臨場感をたっぷり楽しめる。エベレストの頂上は8848M、ベースキャンプは5364Mの高さ。映画ではベースキャンプのシーンが多いが、ここでも余程、高所順応の訓練をしておかないと高山病で認知不能になったり呼吸不全を起こす。
文句なしの世界最高峰ヒマラヤ登頂は、英国遠征隊によって1921年に始まった。彼らは、チベット側から入山し、7020Mのノースコルにまで至るルートが作り、初めてエベレストの詳細な地図が制作した。この第1次遠征隊からジョージ マロリーは参加している。その後マロリーは、1924年の第3次英国遠征隊で、山頂を目指して8572Mの北壁トラバースを成功させるが、そのまま行方を絶った。1953年にエドモンド ヒラリーとテンジンが世界で初めてエベレスト登頂に成功したと、公式に記録にされているが、その29年も前に恐らくマロリーは登頂に成功している。登頂していたら山頂に残してくると言っていた家族の写真が遺体になかった。しかし、持っていたはずのカメラ、ヴェストポケットカメラが見つからないので、彼が登頂したかどうかは永遠の謎になった。マロニーは、どうしてエベレストの登るのかと問われて、「そこに山があるから。」と答えた。この言葉は、ロマンそのものだ。わたしは、マロリーが片足を驚くほど高い岩にかけ、蛇のように滑らかに岩に取り着いて登って行った、という彼の登り方をまねて山を登る自分をよく夢にみた。
憑き物に付かれたように山に登った時期があった。八ヶ岳、槍ヶ岳、穂高の山々、白馬岳、、、黙々とひとりで歩いた。山頂からの乾いた風、霧に包まれて足元を頼りに歩く岩の確かさ、突然出会うライチョウの愛らしさ、可憐な山岳植物、チングルマの群れ、落葉松、、、山に居ると自分が浄化されるようで、山から地上に降りてくると、下界の喧騒に耐えられず翌日にはもう山に帰りたくなっている。3000M級の高所を歩くから、日焼けで顔が赤銅色になって腫れ上がり、何枚も皮がむけてくる。自分では全く気にならなかったが、20代始めの娘の顔に、はがれかけの皮がいくつもくっついてケロイドのようになった顔で、人に会うとよくギョッとされたものだ。山はわたしにとって、本当に「特別な場所」だった。どうして山に行くのか、山をやらない人に問われても、答えようがない。
この映画の中でも、ベースキャンプでジャーナリストに、どうしてヒマラヤを登頂したいのかと問われて、そこにいた全員が声をそろえて、だって「そこに山があるからさ。」と言って、ゲラゲラ笑うシーンがあったが、そんなものだろう。答えようがない。
映画で描かれたように、1996年のこの登山隊では、隊長のロブ ホールが公募で集めた登山家達を登頂させ、全員無事に下山させなければならなかったところを失敗した。一人の隊員が前回 登頂目前で天候の悪化で敗退しているので、二回目の挑戦で何が何でも登頂を成功させたかった。その男のために判断を誤り、下山の時間が遅れた隊長のロブ ホールは、突然の天候の豹変によって下山できなくなった。隊長を失った隊員たちは下山中、猛吹雪に襲われて次々と倒れ、11人が命を失った。難波康子も、ノースコル目前で、倒れて起き上がれない。最終キャンプの手前、酸素を使い果たし、一緒に下山した仲間たちは、自分が呼吸するだけで一杯で、倒れた者を助け起こすことができない。まだ生きているのに放置され凍死していった彼女が哀れだ。どうして隊長が一人の登頂にこだわって下山時間を守らなかったのか。トランシーバーがあったのに、どうしてノースコルにサポート隊を呼べなかったのか。難波康子は早大卒業後、航空貨物会社に勤めながら、スポンサーなしで、自分のお金だけで次々と世界7最高峰を制覇した、ものすごい人だ。本当に惜しい登山家を失った。こうしてドキュイメンタリータッチのフイルムで観ることになると、本当に悲しい。彼女、無念だったことだろう。
ジェイソン クラーク、ジェイク ギレンホール、キーラ ナイトレイ、エミリー ワトソン、サム ワーシントンなど豪華な役者をそろえて、ヒマラヤ現地で撮影した3Dの、お金のかかった映画だけれど、山をやる人(山屋)人口は、それほど多くない。現地撮影のために多量の機材を使い、のべ数千人のシェルパを雇い、莫大な資金をかけて制作された映画だが、山の好きな人にしか共感が得られないのではないか。山に興味のない人にとっては、勝手に山に行き、家族に死ぬほど心配させて、未亡人にしたりする男達が単なる「わがまま男」にしか見えないのではないか。
お金があれば、月にもヒマラヤにも行ける時代になった。エベレスト街道出発点のルクラには、テレビ、シャワーつきの快適なホテルもでき、標高4000Mというのに、インターネットも携帯電話も使える。手軽なトレッキングが大流行だ。ヒマラヤは登山ビジネスが盛んになり、ネパール政府にとっては観光が最大の資源となっている。
しかし登山家たちが残してくるゴミと糞尿が深刻な問題になっている。また商業登山家が増え、渋滞も深刻だ。山頂近く、ヒラリーステップは、頂上直前に聳えている高さ12Mの岩と氷の壁だが、それを登るために登山家たちは列を作って待たなければならない。呼吸するだけで体力を消耗する8000M以上の高度で、一人ひとりが登っていくのを待ったり、下山してくる隊をじっとして待つことは、衰弱と疲労遭難死を誘発する。最終キャンプから頂上まで往復するのに18時間。酸素ボンベは6時間しかもたない。仮に登頂できても、酸素ボンベを3本背負って下山するのが本来の登山家の姿だ。しかし使い切った酸素ボンベは捨て置かれる。
ヒマラヤには、危険で回収できない120体あまりの遺体が凍ったまま眠っている。おびただしい数の捨てられた酸素ボンベ、岩壁に残されたハーケン、カラビナ、ザイル、梯子、そして凍ったまま土にかえることのできない人糞。たまりかねたネパール政府は、登山許可に、自分のゴミに加えて8キロのゴミを持ち帰ることを登山家たちに要求するようになった。良いことだ。もうヒマラヤに登る目的を変更する時期ではないか。富める国からヒマラヤにやってきて貧しい国に金を落としていく、その意味を考え直す時期だ。すでに世界中のどこにも未踏峰の山はなくなった。先人たちは後から来る者たちのために登山ルートを作り、道程を開発してくれた。初登頂、女性初登頂、最年少初登頂、最高年齢初登頂といった記録も残してくれた。しかしもう、世界一を競うのではなく、人類全体の共存を求めていく時期にきている。これから生まれてくる子供達のためにも、人が生きやすい環境を求めていくことでしか山を語れない。聖なる山を取り戻す必要がある。
ゴミを拾うためにヒマラヤに登る、野口健のようなアルピニストが本当のヒーローだと思う。この映画には感動しなかったけれど、彼の「ヒマラヤをピカピカにしてやる。」という言葉に心から感動した。