「神の僕になることを選んだ男の話」博士と彼女のセオリー 栗太郎さんの映画レビュー(感想・評価)
神の僕になることを選んだ男の話
難病を抱えた夫を支えた献身的な妻ありの夫婦愛あふれるラブストーリー・・・・でななかった!
むしろそんなスジではありきたりすぎて斜にかまえてしまうところだったのだが、これにはまいった。
ラヴストーリーでもなく、逆境を克服した成功物語でなく、ましてや崇高な人物伝でもない。(そのいずれかと見る向きも多いでしょうが)
はじめ、病気を知って駆けつけたジェーンに、スティーブンがTVを観ながら「go.(帰ってくれ)」と一言応えたところだけで、もうこっちは号泣。
結局、懸命に手を取り合い「2年」という短い制約時間内に何かを残そうと必死の二人が涙ぐましい。
が、だんだん様子が変わる。
そう、たしか「2年」だったよね的な、エンドラインをオーバーランしたまままだ走っちゃってる違和感を感じはじめてくる。
たった2年を惜しむように、のめりこんでみたものの、このままいつまで生きているのか?と口には出せず戸惑いだすジェーン。
このあたりで僕は、ははぁ、物語の中心軸はジェーンなのか、と確信していた。音楽も、ジェーンの心情に寄り添うような挿入ばかりなのだから。
が、またスティーブンが声を失ったあたりから様子がかわった。
スティーブンの研究に対する執念が恐ろしいほどにすさまじい。すべてのことを、研究のための犠牲にすることをためらわない。妻の愛や信頼を失うことも、信条を捨てることも、いともたやすく。恐怖さえ覚えてしまうほどの執念なのだ。
まるで、神のしもべになることで名声を手に入れたかのように、僕には思えてならなかった。それはまさに、「悪魔に魂を売る」とはまったく反対のようでいて、実はまるっきり同意語のような感覚。
2年のはずの彼がいまだ存命中のため、あからさまに実像を描けない印象も受ける。だからこそ、ナイト称号辞退のくだりが皮肉に見えた。
スティーブン役のレッドメインは、「レ・ミゼラブル」でcafe songを歌ったときの彼と同じ人物なのか?と驚嘆させられるほどの名演。実際の本人はあんな痩せてはいないはずで、どれほどのデニーロアプローチをこなしてきたのかを想像するだけで震えがくる。
ジェーン役のフェリシティ・ジョーンズも、可愛らしい乙女から、あのやつれ具合までできるとは驚きだった。
この映画、僕が誰の立場に感情移入したかといえば、彼女だった。
最近、どうもイギリス映画がいいぞ。