「個人的にシリーズ終焉を感じさせます。」ワイルド・スピード SKY MISSION kobayandayoさんの映画レビュー(感想・評価)
個人的にシリーズ終焉を感じさせます。
2015年5月中旬にTOHOシネマズ六本木ヒルズのスクリーン9にて鑑賞。
2001年に製作された“21世紀初頭を代表するカー・アクション映画”でありながら、路線変更を重ねて続いている『ワイルド・スピード』も遂にシリーズ7作目に突入し、シリーズ最大規模のスケールで展開されている事から、興味を持って観てきました。
ヨーロッパでオーウェン(ルーク・エヴァンズ)の組織を潰し、レティ(ミシェル・ロドリゲス)を取り戻すことに成功し、その功績を認められ、ルーク(ドウェイン・ジョンソン)から、無罪放免を認められ、ロサンゼルスに戻って穏やかに暮らしていたブライアン(ポール・ウォーカー)、ドミニク(ヴィン・ディーゼル)たちは、ある日、オーウェンの兄デッカード(ジェイソン・ステイサム)によって、東京に居たハン(サン・カン)を殺された事で、新たな命懸けの戦いに身を投じる(粗筋、ここまで)。
このシリーズは二作目と三作目以外は、そんなに好きではなく、回を重ねる毎にやり過ぎな感じが際立ち、四作目以降はタイトルと一部のキャラクターを借りただけのアクション大作でしかなくなり、そこまで注目してなかったのですが、本作は悪役にジェイソン・ステイサムを迎え、撮影途中に事故で急逝したポール・ウォーカーの最期の出演作となった事や予告で「面白そう」と思ったので、観に行ったのですが、残念ながら、2015年のワースト1になった程、つまらない一作となりました。
今までの作品はヴィン・ディーゼルやドウェイン・ジョンソンがどんなに活躍しても、ポール・ウォーカーが一番目立つような構成になっていた印象があります。本作の撮影途中にこの世を去ってしまい、彼のフッテージがそんなに無かったのかどうかは分かりませんが、今回はそんなに目立たず、添え物のような感じが強く、終盤のミア(ジョーダナ・ブリュースター)との電話でのやり取りの辺りから、取って付けたように目立たせているようにしているわりに、そこまで印象に残らず、追悼シーンも特に意味のあるようには見えません。ミアとのやり取りは何処か唐突で、ここだけ脚本家が変わっているように見えるほど、違和感のあるシーンで、その台詞も「まるで帰ってこないみたいじゃない。だから、“愛してる”なんて言わないで!」という冷めるような台詞がミアの口から飛び出し、まるで、テレビ局出資の邦画(そういえばエンドロールに電通とフジテレビの名前がありましたが。製作に口出ししているのでしょうか?)を観ている気分になりました。ブライアンを演じたウォーカーの身に起きた事は気の毒ですが、本作は「愛してる」とか「帰ってこないみたい」という台詞の要らない作品だと自分は認識していて、演じた俳優とは違い、本作は娯楽のエンタメ作で、ブライアンは主人公の一人なのだから、そんな台詞を言わなくても、必ずや生きて帰ってくる作品です。だから、幾ら、演じた俳優を失った悲しみがあっても、こんな台詞は要りませんし、この余計なシーンの影響で、そのあとにスタイリッシュに展開されて盛り上がりを見せる筈のブライアン、ドミニク、デッカードの武装シーンが盛り上がらず、個人的に冷めっぱなしの状態が続きました。
邦題の“スカイ・ミッション”を意味する輸送機からの車での降下シーンはCG臭が半端無い上に、そのシーンは『TAXI2(2000年)』でのパリ上空から輸送機で降下するタクシーのシーンの真似に過ぎず、ドバイを車で移動するシーンは『トランスフォーマー/リヴェンジ』や『ミッション・インポッシブル ゴースト・プロトコル』、クライマックスのロサンゼルスのシーンで無人戦闘機プレデターによるアクションは『イーグル・アイ』と殆ど同じ(他にも何処かで観たシーンが多く、それだけで成り立っていて、あまりにも新鮮味が無さすぎます)で、四作目からのやり過ぎ感も度を過ぎて、呆れるレベルに到達し、全体的にやっつけ仕事で片付けているのではと思えてしまい、その全てがいいかげんに見え、このシーンの数々が話の面白さに繋がらず、何を目的に話を続けているのかが分からない状態で終わっていて、そろそろ、この路線変更も限界に達しているのではないかと感じました(前作の悪党のオーウェンが完全に死んでいない事が明らかになるオープニングの時点で、これはハッキリしていますが)。
話やキャラクターの運び方も突然すぎて、ドミニクとデッカードの最初の対決後に姿を見せるミスター・ノーバディ(カート・ラッセル)と特殊部隊が何の前触れもなく、デッカードがアゼルバイジャンやドバイに同じように現れるのも不自然で、「彼は、いつ、どのようにして彼らがここに居ることを知ったんだろうか?」と疑問を持つことも少なくなく、タイのアクション俳優トニー・ジャーや個性派のジャイモン・フンスー、『エクスペンダブルズ3』のロンダ・ラウジーなどゲストを揃え過ぎたことで、ほんの10分ぐらい、姿を消していたミシェル・ロドリゲスのレティが再登場しても、「何か久しぶりのように見えるのは何で?」と思ったり、レギュラー俳優がただのお飾りになっているだけでなく、ディーゼルやステイサムまで、空気になるシーンがあるので、まさに主役が不在と言える構成になったのも納得がいきません。
私は本作をメガヒットと言える作品は無いけれど、コンスタントに主演作を放ち続け、『エクスペンダブルズ』シリーズでスタローンなどの往年のアクション・スターに認められ、安定感のあるステイサムを起用し、あまりパッとしないディーゼル、ノリにのり始めているジョンソンと共演させたら、どうなるかという実験的に作られたモノだと思っていて、ポール・ウォーカーの遺作でもなければ、別れの作品とも思っていません。彼の遺作は『フルスロットル(2014年)』であり、同作で十分に追悼や哀悼の意は込められているので、幾ら、本シリーズで「ポールに捧げる」というメッセージと過去の名場面が流れても、響くものはありませんでした。今後も、このシリーズは続くそうですが、そろそろ公道カーレース等の原点回帰をしなければ、飽きられて、完結する前に興行的や内容的な失敗(ウォーカーの勇姿と追悼シーンが無ければ、本作はそこまでヒットしなかったのでは?)で打ち切られるのではないでしょうか。それぐらい、本作はシリーズの終焉を決定付けているように思えます。