フレンチアルプスで起きたことのレビュー・感想・評価
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しつこさは対話不足なだけ。
結婚なんてモノは世間的には簡単な事なのかもしれないが、自分は絶対に嫌だなと思わせる一本。
スキー場での5日のバカンスの間に、小さなひとかけで生まれる違和感の兆し。
観察者が野郎という点で、旦那のヘボ具合は責められるべきだし。
そのあとになぜ誠実に詫びられないのかも解らないが。
何より恐ろしのは嫁、と言うより「女性」のやり口だった。
夫婦の問題に、素直に旦那と向き合わず(ヘボ旦那は作中でオトナの対応しようとするのだが)。
第三者を巻き込み、迷惑を拡げようとするのは雌の本能なのだろうか。
とにかく不穏で不愉快、そしてここがツボの「意地悪さ」。
最後の最後まで、「結婚する事」というものに不穏の種を撒き散らす作家の意地悪さ、リアリスト加減には非常に好感が持てた。
「寛容」というものは、そんなに難しい物では無いはずたのだが。
ニッチな視点から、雄も雌も人間と言うは本当に阿呆だと思わせてくれる作品。
フレンチアルプスで起きたこと
所詮 オトコとオンナは別の生き物。
同じ人間として括ってはいけません(笑)
蒸し暑い東京でスクリーンに広がる壮大なフランスのゲレンデに、でっかい図体のくせにダメ旦那っぷりがサブかった
結果的に女性の味方をしてる映画です!
ぎっくり腰なせいか、大人の階段をもう一段あがる日が近いせいか、この主人公の男(パパ)にむっちゃ苛々したので、ちょいちょい鬱憤が爆発する形でネタバレしてしまうかも。
すみません!
意図的に雪崩を起こして被害をなくす爆音からの、"地獄の黙示録・ワルキューレの騎行"並に、何かが攻めて来るような不穏な音楽から始まる冒頭。
調べたらヴィヴァルディの「四季」2曲目、「夏」らしいです。
ご存知の方も多いと思いますが、この四季にはビバルディ自身がつけた詩(ソネット)がありますよね?
すみません、イタリア語は色と素材しか分からないのでググりました。
第一楽章
太陽が照りつける厳しい季節に
人も羊の群れもぐったりし
松の幹も燃えるように熱い
よく通る声でカッコウが鳴き出すと
それに合わせて
キジバトとゴシキヒワは唄い出す
心地よくわたるそよ風を
突然立った北風が押しのけ
ひと荒れ来そうな嵐におびえる
羊飼いの子は不運に涙を流す
本作は"突然たった北風&そして嵐に怯える羊飼いが不運に泣く"作品です。
ほんと118分のうち、100分くらいは、凹んで鬱々とし、最後には嘘泣きする男(パパ)の姿を観せられます(笑)
そして面白いのは、"突然""不運"と思っているのは、この男(パパ)と一部の男性観客だけという点です。
両親とまだ幼い娘と息子の4人家族が、フレンチアルプスに休暇に訪れたことから始まります。冒頭書きましたように、ドーン!ドーン!って爆音がなり響く中、家族4人がテラスで食事をしていると、ドーン!つって雪崩がこっちに!
ママは子供2人を抱きしめて守ろうとするけど、パパは「パパー!」って子供が叫んるのに、他人を押しのけてスマホだけ握って逃げます。
自分一人で。
でも大事にはならなくて、みんなほっとして食事のテーブルにつくんです。パパも何食わぬ顔で、テーブルに戻ってきます。
誰もパパが"一人で逃げた"ことに言及せず、妙な空気感のまま食事終了。
でもママの顔にははっきりと、"こいつ逃げやがった"って書いてある(笑)
パパだけなんとか北風をやり過ごそうって、"いや俺やり過ごせてるっしょ感"を前面に押し出しているけど、ママの"こいつ逃げやがった""こいつ逃げやがった"っていう負のオーラはどんどん濃くなります。
子供達もその不穏な空気に気付いて、「ママ、パパと離婚しないでね」とか言ってきます。
この子供達の反応(怒って両親と口きかない)から、この両親ってこんな感じで普段から喧嘩してるんだろーなー、繰り返してるんだろーなーって想像できます。
その負のオーラが頂点に達するのは、パパがホテルで知り合ったカップルに雪崩の話をしてるときです。
「あなた逃げたじゃん」とママ。
笑い止まんなーい。あんた何言ってんのー?的なテンションで、ママが切れます。
顔は笑っていますが、そこが逆に怖いです。
パパは「逃げてない」と言い張ります。
僕は逃げてない。君は逃げたって認識なんだろうけど、君の認識を僕に押し付けるな。僕は君じゃないんだから、同じ認識ではいられない。くどくど。
はぁ?って感じですよ。
論点をすり替えただけではなく、ママを責めてるからね!
むかつきません?
パパは絶対に、逃げたって認めないの。
逃げてるのにね。必死で逃げたのにね!
「スキーブーツで走れなかったから、逃げられないよ」とか言って(笑)
言い訳がまたむかつくでしょ?幼稚でしょ?
逃げてるのに!
その後スマホに、スキーブーツでバタバタ逃げてく音が録音されてるのが判明するんだけど。
ママは、他のカップルを巻き込んで「ちょ、どう思う?」とパパを追い込むんですよ。
パパが悪かった!って泣いても、「涙出てないよ」て(笑)
囲い込んで、別な意味での壁ドン!状態のパパは、なんと、他の女に目移りしたりするんですよ!
はぁ????ですよね。
ね?そもそもこの男って、ピンチからはこうして逃げるタイプなんですよ!
たまにファミレスとか行くと、ママが自分は食べられず、必死に小さいお子さん達にご飯を食べさせてる横で、パパが知らん顔で自分のご飯を食べてる姿とか見かけます。あ、先に自分が食べて、ママと交代するのかな?って思うと、次はスマホを弄り始めるとか。
要するにこんなパパ達は、男としても、夫としても、父としても未成熟なんですよ。
フランス語の原題は「FORCE MAJEURE」ですが、意味が"不可抗力"です。
これって、契約当事者が債務と履行する上で、とても想定できない出来事が起こった際には、法律上は債務履行の責任を負わないとすることです。
つまり免責事項ですね。
※著名な映画評論家さんが、「地震、洪水、台風などの天災があった時、保険会社は免責(保険を払わなくていい)」と仰ってましたので、僭越ながら訂正をさせていただきます。
保険会社が定める天災の免責は3つだけです。
1:地震
2:噴火
3:津波
これ三大免責といいます。
洪水や台風を免責としている保険会社を、私は知りません。
しかし、火災保険で地震特約、車両保険に地震噴火津波危険特約がついていれば有責となりますので、まずは保険会社に問い合わせを。
すみません、話が逸れました。
つまり本作のタイトルはこの未成熟な男、未成熟な夫、未成熟な父の行為を、地震や津波や噴火と同列だと言っているんでんでしょうか?
あのー、いつから4大免責に変わったんですか?
4:男の未成熟さはどうしようもないから免責!
4:男は女性と違って本能で子供を守る習性はないから免責!
はぁ?
いやいやいや……。
そもそもこの男の言動は幼稚で自分勝手で、実力が伴わない癖に自尊心だけ強くて、自分の間違いは認めず、逆に他人のせいして、別な意味で壁ドン!になると、他の女に行こうとしたり、嘘泣きで何とか切り抜けようとするお子ちゃまパパですよ。
だからこのパパの行動は、決して想定外だとは思えません!
こんな男だから逃げるんだよって、本作の全てが証明してるんですよ!
これが、完璧な夫や父像を描いてからの逃走であれば、"不可抗力"のタイトルが生きてきますけどね。
故に元損保人としては、このパパの行動は免責とは認められません。
有責です!土下座で平謝りが妥当だと思われます。
でもですね。
ラスト、ある事件が起こるんですよ。
今度はママに。
先ほど申し上げました、完璧な夫や父像を描いてからの逃走であれば、"不可抗力のタイトルが生きてくる"
このタイトルは、パパに対してではなくママの行動を肯定していると思いました。そう!結果的に本作は女性の味方をしてると分かり、少し溜飲が下がりました。
にしても、苛々がつのる映画でした。
取り合えず、牛乳飲みます!
描写を楽しむ映画?
話だけ見るとつまらない
でも心情の見せ方が非常にうまい
わざと不安定なスキーリフトの金具で気持ちの揺らぎを描写したり
最初はゆっくり動いているリフトが急にスピード上がって気持ち高騰を表したりと
話ではなく気持ちの移り変わりを楽しむ映画かな
視点を変えて見れる人には観てもらいたい
ただ真っ先にバスから降りた奥さんの行動は
最後の旦那の表情から見ると
「人間ってそんなもんだよ」って事ですかね
夫婦は一番近い他人
お盆休みに行った避暑地のドッグランで私は大型犬2頭に襲われました。
その時夫は、20メートル先でただ立っていただけ。
劇中の妻が夫に辛くあたるシーンは大変理解できます。
ただあまり相手を問い詰めてもいいことはないと、第三者の視点で自分なりに反省しました。
一緒に観賞した夫は、周りの観客の笑い声に絶えられなかったと話していました。
最後に、私を噛んだ犬の飼い主はバックれ、治療費は自腹とういう傷口にもフトコロにもかなり痛い結果に。
そのことに夫は「ちゃんと相手の連絡先を聞いておけよ」と。。。。
子どもの描き方がとてもおもしろい
この映画はこんなふうに紹介されることが多い。「スウェーデンの一家がフレンチアルプスにスキー旅行にやってくる。昼食をとっていたとき、目の前で雪崩が発生する。大丈夫と言い張っていた父親が、子どもと妻を置いてひとりで逃げ出してしまう。そのことが原因で家族がばらばらになってゆく」。
そう説明するのがいちばん簡単なのかもしれないが。
私は子どもの描き方がとてもおもしろいと思った。子どもは父親が自分たちを守ってくれなかった、ということに対してだけ怒っているのではない。そこが妻の態度とは大きく異なる。妻は家族を守るべき父親が自分たちをほうり出して逃げた、ということに対して怒っている。
子どもたちは、少し違う。
雪崩のあと、ホテルへ帰ってきてからの態度がまず微妙。母親にも反発している。母親といっしょになって父親を批判するわけではない。母親が子どもたちへの気遣いをみせたとき、子どもたちは「ほっといて」とすねる。子どもは子ども同士で団結する。
次の日、スキー場へ行く途中、息子が父親に「ママと別れないで」と言う。子どもは父親がとった態度に怒っているのではなく、両親が、子どものことを忘れて、自分たちの関係だけに夢中になっていることに対して不安なのだ。
雪崩がおさまって、家族が全員無事だったことが確認できた。でも、そのことを両親は喜ばず、いきなりけんかをはじめてしまう。ホテルに帰ってきてもけんかをすることが先に立って、子どものことをかまってくれない。部屋に子どもを閉じ込め、廊下でけんかする。「部屋に知らない男がいる」と訴えても聞いてもらえない。(清掃係が部屋を掃除している。)パパとママが両親ではなく、男と女(夫と妻)になってしまっている。自分たちの問題で忙しくて、ぜんぜんかまってくれない。両親から捨てられた気持ちなのだ。
両親がどんな人間であれ、いっしょにいること、自分のことを思ってくれることが、子どもにとっては大切なこと。家族が互いを大切に思うことが大事。だから、父親が泣き崩れたとき、妻は「ばかな男」という感じで冷淡に見つめているのに対し、子どもは「パパ、大丈夫だよ」と必死になってなぐさめる。いま、自分が父親を支えることができると本能的に理解して父親を抱きしめる。「ママも来て」と呼びかける。
子どもは夫婦のかすがいというが、それ以上のものである。「パパ、ママ」と呼ぶ以外の台詞はほとんどないのだが、この呼び声の切実さが映画にリアリティーをあたえている。
映画の大半は、男女の関係を中心に「夫婦とは」「家族とは」というようなことが、もっぱら妻がリードする形で、ホテルで出会ったカップルとのあいだで、「ことば」で語られる。主人公一家の男と女の関係が、父と母、男と女(恋人)という関係に解体(?)されながら語られるのだが、そのときの「ことば」が問題なくすごしてきた恋人のあいだにも影響をあたえる。かなり冷徹で、ブラックな笑いを誘う。そこがおもしろいのだが、ああ、スウェーデン人というのはこんなふうに何でもことばにしてしまうのかと思うと、笑うより先に奇妙に感心してしまう。「気持ち」というのは「ことば」にしてしまわないと整理がつかないものだけれど、「ことば」にするということと「声」にするということは違うだろうなあ。
「パパ、ママ」としか言わない子どもの方が「気持ち」を確実に伝えているなあ。
いろいろなことがあって、最後のバスで帰るシーンがおもしろかった。運転手がへたくそである。いつがけ下に転落するかわからない。不安になる。妻の方がパニックを起こし、「おろしてくれ」と叫ぶ。それにつられて乗客はひとりを残しておりてしまう。おりて歩きはじめる。歩いている途中で映画は終わる。
映画はこのことについて何も言っていないのだが(登場人物のだれもこの行為について語ろうとはしないのだが)、これは冒頭の雪崩のシーンの逆である。妻の方が自分の本能が知らせる驚怖を抑えきれなかった。今度は妻が家族をおいて逃げたのである。バスのなかだったので、たまたま「逃げ方」が違ったが、彼女が真先に驚怖におそわれ、行動した。ひとは何に驚怖を感じるか、そのときの感じ方の違いは「定型化」できない。
このとき、あの道を歩いている人たちは、何を思ったのか。とぼとぼと歩いている。そのとぼとぼ感、疲労感のなかにある「和解」のようなものが、とても不思議である。妻が全員を事故から救ったのか。それとも、全員がパニックを起こした女を救っているのか、よくわからない。わからないまま「一家」になって歩いている。このわからなさに★一個を追加した。わからないけれど、人間はそういうわからないことをするのもだということを、ほうり出すように描いている。そこが傑作。
過ちを認めて悔い改める(且つ謝る)ことと、謝罪を受け入れて(取り敢えずでも)許すこと
バカンス先での旦那の不甲斐ない且つ利己的な行動で、絵にかいたような幸せな家庭の、というか夫婦のバランスが崩れる話、位の理解で見に行ったので、もうちょっと夫が父親の威厳回復の為に奔走、空回り、葛藤、反省して、なんやかんやで仲直りするコメディだと思ってたのですが、違いましたね。
謝ることと、許すことの葛藤に焦点が当たってると感じました。許すってのは、完全に水に流して、無かったことにってわけじゃなくて、怒りのマイレージには確実に加算され、(しかもポイント10倍デー)貯まってはいくけど、取り敢えず生活に支障がないように、刀はおさめる【許す】ですが。
夫は、質が悪いのか素直になれないのか、単なる見解の相違であると主張し、逃げた事実を丸ごと否定して、
妻は、最初は失望しつつも、認めて謝って欲しかっただけっぽいのに、夫の謎理論に更に怒り失望し、関係を修復しようとするんじゃなく、喧嘩に勝とうと、第三者巻き込んで夫を追い詰めるたり、
はたまた一人になって物思いに耽ったり、知人の人生観を否定することで自分を保とうとしたり、迷走する様は、中々病的。
最期の妻が吹雪のなかで前後不覚になって、旦那が助けて、一件落着みたいなのは、
子供たちを安心させる為の、妻の狂言なのかな?
彼女はよき妻、よき母としての自分を選んで生きていくって決めたんでしょうか…。
最後のバスのエピソードがよくわかんなかったのですが、バス降りた直後は、バス止めさせて、降りた奥さんが正しいみたいなムードから、
道を歩き始めたら、 舗装された道路とはいえ、山の途中で孤立し、 寒いわ、しんどいわで、若干降りたの間違いだったんじゃみたいな感じになってたから、
下山後も平穏無事とは行かない暗示ですかね。
自由奔放な人妻がバスに残った意味もあんまりよくわかんないですが。
とことん話し合って、膿を出すというのは、実際はなかなか難しく、
別れるつもりがないなら、落とし処さがして喧嘩を終わらせないと、余計終息できずに長引いて病んじゃうなーと思いました。
(妻は別れることを検討してたろうけど。)
堂々巡りで同じことが繰り返されるので、途中ちょっと退屈でしたが、色々考えさせられますね。
笑える所もあり。
雪山は綺麗で、子供は最初の糞生意気なところ以外はかわいい。
善良な人は知らぬが仏。
夫婦者は観たらあかん映画ですね。仲良しでも、壊れかけでも、よい影響はないかもねー。特に一緒に見るとあかんですねー。愛想尽かしかけで、別れの突破口が欲しいなら観たらいいと思います。
この映画をにやにや笑えるのは、性格悪いひとりものでしょうね。私の事ですが。
大まかにいうと5日間の休暇で起きたある一家の悲劇です。
2日目の昼に雪崩が起き夫トマスは自分だけ逃げました。パパ!と息子が叫んでるのに逃げました。
まぁ小者ですわねぇ。妻はともかく子供に脇目もふらず、一目散で逃げたんですから。
しかし、その後の行動が輪をかけて良くない。
妻エバに逃げたわよね?と、詰め寄られるも、逃げてないよ、現象に対しての君と僕との認識の違いだとか御託を並べて誤魔化します。それも複数回。その度に険悪さも増していきます。
子供たちも親の険悪さを察知して機嫌が悪くなる…
あぁ、休暇台無しです。
3日目の晩、ヒゲの友達とその若い恋人がいる前で、エバは三たびトマスが雪崩の時に自分だけ逃げたことを持ち出し、トマスに逃げた事を認めさせます。証拠映像と第三者の客観性にて言い逃れできなくなって渋々認めます。
その晩アホ面で一人泣くトマス。化けの皮がほぼ剥がれてきます。
翌日の晩、相変わらず冷たいエバに怒りとともに懺悔をしますが、嘘泣きからのみっともない号泣を晒しエバはドン引き。どっかの県の県議の号泣釈明会見かっちゅうダダ泣き。哀れみを誘うための泣きで、見てるこちらもドン引きでした。
あんまり泣くのでエバはとりあえず落ち着かせようと、部屋に入れますが、効果なし。親のケンカが一番辛い子供らも、すでにベッドで泣いてます。なんか知らんけど、トマスの泣き勝ちみたいな四人の泣き抱擁で最後の夜が終わり…
5日目の朝、ひどい天気のなか最後のスキーをしようとする一行。ゆっくり降りるも案の定、禁止区域に入りエバがはぐれます!!再びのピンチにトマスが無事エバを助け、強引な面目躍如で休暇終了。
さて帰りのバスではヘアピンカーブを曲がりきれない運転手の危険運転に我慢できず、エバが車を止めろ降ろせ!と要求し、つられて殆どの乗客が降ります。
1人(1人でバカンスにきて行きずり情事を楽しむ女・夫子供あり)のみがバスに残り、他の乗客はほぼ上着もなく山道に残ります。取り残されたと言ってもよいかも。
降りた時は言い出しっぺのエバが正しい空気だけど、徒歩で山下りしながらみなさんビミョーな面持ち。あれ?バスに残ったあの人の一人勝ち?みたいな。
そして非情にもここで映画は終わります。
ラストのエバの行動は、雪崩で1人だけ逃げたトマスとかぶるような気がして、帰国後にまた揉めるんちゃうかなぁと思いました。同じ穴のムジナですねぇ。エバはどうフォローするんでしょうか?
確かにトマスのいい夫っぷりはハリボテ
でしたが、エバも怪しいのか?という暗示に思えました。
そして、子供たちですが、奴らもまぁ利己的です。自分らが親に別れて欲しくないもんだから、ねぇ。芝居がかった泣きで母を丸め込もうとする。そこに悪意はないでしょうが、いたいけなともいいきれませんぜ?
あれあれまさかの自分だけよければ良い、ってやつですか?え?え?あなた方が後生大事にしてる愛だの絆ってやつはそんなもんでっか?
結局、人間は自分だけが可愛いのです。その醜さ弱さを直視したいもんですね。認めてしまえば強さでもありますよ?はっきり言いましょうよ、自分のために生きてますねん、悪い?って。
そんな感じの感想を持ちましてね。まぁ、僻み含みなんでしょうが、一理あると思います。わたしはわっるい顔して高みの見物となりました。
劇中にでてくる無表情の掃除夫が観察者としてトチ狂った彼らを無表情に見つめます。これがなんとも笑えました。
ヒゲの友達とその恋人のケンカも笑えました。あの人ら帰国したら絶対別れるw
性格悪い人は是非見て、無自覚な偽善を笑いましょう。ストレス発散に最適です。
こうなったらどうなるかな。
自分はどうするかなー。
緊急事態にパパの弱さが出てしまい家族崩壊。ママがひつこすぎる気もするけど実際はどうだろ。子供たちはパパがどうのこうのよりパパママの離婚が心配。家族って絆が強いはずなのにそれはそれでそれぞれの思惑があり興味深かったかな。
平穏な修羅場
こういう場面はシチュエーションは起こりえるだろう…。
相手が期待にそぐわない行為をした場合とか、自分がそうしてしまった場合など…。
そして、人生は、そんなことを引きずっていられないほど、次から次へと課題が起こる。些細な修羅場は、なるようになるというのがこの映画の教訓か?
失笑する場合が多いのだが、劇場内で爆笑する輩がおり、映画のせいではないのだが、興ざめた…。
狙いが判らず、笑うに笑えないコメディ
オヤジの威厳失墜のコメディなのね、なんて思って観に行ったのだけれど、なんだか単純なコメディでない。
というか、そもそもコメディはないようだ。
「オヤジの威厳失墜」とかそんなことじゃなく、だれもが慌てふためいたら(というか想像以上の生命の危険を感じたら)取る行動はふたつしかないと思っている。
ひとつは、逃げる。
もうひとつは、そのまま硬直する。
誰かを守る、なんて行動、咄嗟に取れるはずがない。
映画では、トマスが逃げ、エバは硬直した。
ただし、娘も息子も硬直しているので、それに気が付いて庇っただけだ。
大事には至らずに戻ってきたトマスを待ち受けていたのは・・・
夫婦の危険、と親子の危険。
映画は、前者、どうしてもトマスの本心を引き出したいエバを中心にその後のハナシを進めていきます。
だけれど、どうも、深掘りが浅いというか、語り口が拙いというか、観ていてイライラしてくるのです。
男の役割、特に家長としての役割・あるべき姿に対するヨーロッパの一般的な考えは、たぶん、かなり旧弊で、男は一家を守るべし、さらに母も一家を守るべし、という風潮がいまだに強いのでしょう。
そこのところが、すっと入ってこないので、もどかしい。
さらに、トマスは失墜していることを繕うべく言い訳に終始し、あぁあ、ホンマ、雪崩が迫って怖かったんやから・・・ゴメン、といえないあたりは、うーむ、これはなんなのかしらん。
まぁ、軽く言っちゃうと、全然反省していないのだけれど、そこまで鎧を身に纏ったかのように本心を言わないのもどうかしらん、なんて思うわけで。
それが、終盤、激涙と号泣といってもいいほどのさまを突然見せるトマスは・・・
うーむ、これは、神の前での告解なんだろうか、なんて思ってしまう。
とにかく、終始、映画としての狙いがよく判らなかった。
ほとんど固定のポジションで撮られたカメラ(後半、その図画はかなり不安定になったり、ゆっくりとアップになったりするが)の意図も判らない。
さらには、帰路のバスでのエピソードもよく判らない。
こちらが未熟なのかもしれないが、とにかく狙いが判らないし、語り口も好みでなく、個人的にはガッカリな一編でした。
さてその時がもし突然起こったら、あなたならどうする?
人口雪崩のためのバアンという爆発音と、リフト滑車のガタンという乗上げ音と、ビバルディ「夏」のバイオリンが、不穏な予感を掻き立てる。
その効果もあって、随所随所で、軽く笑いが起こる。
雪崩のときにとった行動、そのあと何度も繰り返す叱責とはぐらかし、それが伝播した別のカップル、旦那の幼児返り、、。
観ている男は、こういう奴いるよ友達で(といいながら、それが自分だとは自覚がない)と思い、観ている女は、あたしの彼・旦那もそうよ(というセリフがどれだけ傷つけるのか気付かず)と思う。
たとえばアメリカでは、旦那が号泣して手に負えないシーンで爆笑が起こったらしい。
脳ミソが理性で形成されている女という生き物と、本能で形成されている男という生き物は、行動を起こす初期判断ですでに違うものなのだ。
ならばこれはコメディ?、いえいえ、全然笑えません。
なぜなら、僕の場合は自覚があるから、自分が責められているようで。
もちろん、家族を置いて逃亡した過去はないけど、自分がもしこの状況ならどうしてたか?と思うと寒気がする。
いやあ、俺ならこうするよああするよって言っても綺麗ごとに聞こえてしまうんじゃないかって。
自分はどうするんだろうって。
ラスト、バスの場面。
あれだけ旦那をネチネチ責め立てていた妻がとった行動が、周りの他人をも巻き添えにしてしまう事態に。あれを妻の軽率とみるか、危機回避の当然の判断とみるか。個人的には、残った友人の存在が象徴するように、妻を小馬鹿にしているように感じたがどうか。
全68件中、41~60件目を表示