ボーダレス ぼくの船の国境線のレビュー・感想・評価
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揺れるハンモックの3回目のショットには少年の顔は無かった
このたくましい少年の姿に感動をする。しかし、『火垂るの墓』の『清太』の様に守れなかったのかもしれない。
但し、揺れるハンモックの3回目のショットには少年の顔は無かった。つまり、次の行動を起こす決意をしたと思われる。そう言った演出効果を大いに評価したい。
『僕の村は戦場だった』『禁じられた遊び』『火垂るの墓』『ミツバチのささやき』をリスペクトしているかなぁ。
まれに見る
傑作だと思う。
【今作は、イラン・イラク国境近くの、密閉された廃船の中での、言語が通じない3組の男女が徐々に相手の立場を理解しようとする、戦争の残酷さや不条理を抑制したトーンで描き出した反戦映画である。】
ー ご存じの通り、イランは映画内容の検閲に非常に厳しい。
だが、アッバス・キアロミスタ監督を筆頭に、ジャファール・パナヒ監督や(彼は、20年の映画製作を禁じられたが世界の後押しもあり”これは映画ではない”で復活した。)アスマル・ファハルディ監督など優れた映画監督が多数である。
鑑みるに、規制が多い中で映画製作への熱情を持っているからだと、勝手に思っている。今作のアミルホセイン・アスガリ監督作品は初見であるが、その流れを踏襲しつつも一歩踏み込んでいる。-
■緊張関係にある国境沿いに放置されている朽ち果てた船に、1人の少年が寝泊まりしていた。
少年は川で採った魚を金に換え、孤独ながらも静かな毎日を送っていた。
しかしある日、反対側の国境から”少年兵”がやってくる。
言葉が通じない2人はいさかいを続ける。
◆感想<Caution! 内容に触れています。>
・序盤はサイレント映画かと思う程、台詞が無い。だが少年は自らが暮らす廃船の内外で起きる音には敏感である。
・少年は起用に網で魚を取り、売りに行き、残りは慣れた手つきで、起用に裁き塩をして干物にする。
・そんな少年の日々に、ライフル銃を持った”少年兵”が彼のテリトリーである廃船内にやって来る。”少年兵”は船の中央に古びたロープを引き、自分の領地を確保する。
・だが、実は”少年兵”はアラビア語を話す少女であり、幼子もいる。
ー 今作では、時は明らかにされないが、イラン・イラク戦争の頃であろうか。だが、今作では時期はあまり意味を持たない。
そして、少年と少女は言葉が通じないながらも、赤子の世話を一緒にするようになる。-
・そして、更なる闖入者が。それは米軍の兵士。彼は少年により部屋に閉じ込められる。
ー 少年は、米軍兵士を密かに監視するが、彼は戦争に疲弊しており家族の写真を見ながら自害しようとする。そんな姿を見て、少年は彼に水を与え、最後には彼を部屋から解放する。
そして、米軍兵は少年に自らが愛する妻と幼子二人の写真を見せるのである。ー
■だが、それを見た少女は米軍兵士を憎しみの眼で見て、ライフルを向け乍ら”アンタたちのせいで、家族は殺された・・。”と呟く。
<今作は、廃船という限られた空間の中、言葉の通じない3組の葛藤と赦しの物語である。
遣る瀬無いのは、少年が廃船に戻った際に、少女も赤子も米軍兵士もいないのである。
詳細は何も語られない。
戦争の残酷さや不条理を抑えたトーンで描き出した反戦映画である。>
前半は退屈だが、後半は面白い!
最初は退屈だが、後半急展開で面白くなる。殆どが船の中での撮影で登場人物も少なくお金のかかっていない映画だと思うけど、主人公の演技が上手すぎてまるでこちらも船を覗き見ているような心境になる。きっと現実社会では敵同士の3人が言葉も通じない中、赤ちゃんを守りたい想いは皆同じ。少しずつ心を通い合わせるようになる。この船の中だけは赤ちゃんを中心にしてボーダーレスなのだ!!米兵が登場したあたりで会話も増え、少し笑いや微笑ましい状況も起きて「ああ良かった」となるのだが・・ラストシーンで往復する素足の足跡は何を物語っているのだろう?米兵が家族の写真を置いていく訳はないので悲しい結末が起きたのだと想像出来る。一人一人の人間は皆良い人であって、家族思いで温かい心があるのに、政治家たちが争いを始めてしまう。悲しい現実が今も世界で起きている。ボーダーレスと言う作品名しか知らず見始めたので非常に楽しめた。『僕の船の国境線』と言う邦題?サブタイトル?は見終わった後に知った。それがかえって良かった。何も知らずに観た方が良い映画。
理解し合えないこと、理解し合えることを、どう理解させるのか
イラン人の少年とイラク人の娘、アメリカ人の脱走兵が閉鎖的空間に会したら何が起きるか。すぐれた小説家は、「登場人物が自分で動き出す」と言うけれど、まさしくそんな印象。三者がそれぞれに生き生きと動くことで映画が成立している。
でも、台詞は極めて少ない。なぜなら、ペルシャ語とアラビア語、英語で、意思疎通ができないからだ。そういう意味で、極限の状況に置かれた人物達のコミュニケーションを描く映画でもある。
この映画を理解するためには、歴史を踏まえる必要がある。
イランとイラクは1980年から9年間も戦争をして、現在も紛争の火種が消えたわけではない。イランとアメリカは、イスラム革命時の大使館占拠から現在の核兵器問題にいたる長いいさかいを続けている。イラクはイラク戦争でアメリカから侵攻をうけ、独裁者フセインは除かれたが国は壊滅的な被害をうけた。
この物語の時代設定は、イラク戦争下、もしくは終了後にテロ攻撃が継続する中での出来事を描いている。
だから、イラン、イラク、アメリカの3人が出会うことに意味がある。言葉を介さなくても根源的な相互理解が生まれ、小さなユートピア的空間が作られる。しかし、それは外からの力にねじ伏せられ、あっけなく霧散する。
3人の名前は語られない。名前がはっきりするのは赤ちゃんと、登場しないアメリカ兵たちだけ。安部公房の小説のような、実験的な世界が作り出されている。しかし、だからなのだろう、イラン人の少年が一人で廃船に住みながら、どのように生活の糧を得て暮らしを成り立たせているのかを事細かに描くことで、リアリティーを生み出している。イランの貧しい地域なら、こんな子が実際にいるのかもしれない、と思わせるものがある。でも、少年はなぜ一人ぼっちで、船に住まなければならなくなったのか、については何も語られない。
だから、語られたことは深く印象に刻まれ、語られなかったことについての想像が余韻を残す。再び一人ぼっちになった少年の孤独だけが、放置されている。
ラスト、これが戦争というものか…。
イラン出身のキアロスタミ監督作品やマジディ監督作品の心温まる作品とは(戦 時下という設定であったため)まるで趣きの違った作品であった。イランイラク 戦時下のある河で座礁し、放置された1艘の廃船。登場人物の細い設定は排除さ れている。その廃船自体が彼の普段の住まい。突然現れた少女。少女は赤ん坊を 抱いている。平穏に住んでいた彼の生活に変化を及ぼす。そこへさらに自分の愛 する地へ戻ることを夢見るアメリカ兵。この3人は母国語が違うが、国籍が違 う育った環境も違う、互いに人間関係を築くのにそれぞれの壁を超えて(ボー ダーレス)、彼らの新しい生活を始めるのかと思いきや? 冒頭の30分が大変退屈であった。物語の説明に必要な場面であるため仕方がな いことではあるが。
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