「一番輝くシーンはいずこ」クラウン ぺむぺるさんの映画レビュー(感想・評価)
一番輝くシーンはいずこ
ザ・優等生なホラー映画。
「たまたま身につけたピエロの衣装がとれなくなり、やがて邪悪な存在へと変化する」設定はもちろん、ムダのない展開、丁寧な撮影、説得力のある特殊メイク…。どれもスマートを気取ってるようで、ちっとも怖くない。
なんだ? なにが足りないんだ?
いや、言い出せば足りないところはいくらもある。特に、撮影や編集、美術といった映像テクニックがこなれているだけに、脚本の粗が目立つ。
【以下ネタバレ】
とれなくなったピエロ衣装、たしかに気持ち悪くはあるけれど、ことの真相を知るのが早すぎないか? 「なぜか恐ろしい者になっていく」不気味さをもっと味わいたかった。
「妻が妊娠中」の設定にはなんの意味が? 幸福な生活との落差を出すためなら、もっと早く夫が知ってラブラブ〜なシーンがあってもよかった。それよりも、私はてっきり「子どもならまたできるんだし、一人くらいいいじゃないか」的鬼畜な展開になるかと思った…(ならなくてよかった」。
「食われる子どもは冬の間、一月にひとりずつ(一年間に計5人)」ではなかったの? この設定がゆるく崩壊したあとでは、怪物の正体や行方がどうでもよくなってしまった。
この映画のように「自分ではない者に自分の身体が侵される」系の話では、よく内面で自己と他者の攻防があるものだけど、この映画にはそれがない。そんなはっきりとした構図ではなく、グラデーションのように徐々に自分が変化していくものなのだろう。それはそれで、いじめっ子が標的になる理由もわかる。子どもをいじめたあの子が憎い=父親の気持ち、子どもを食べたい=怪物の気持ち が入り混じった行為なのだ。だとしたら、変わりゆく父親/夫の怖さを、もっとじっくり描いてほしかった。
私がこの映画でもっともグッときたシーンは、靴を突き破るほどに大きくなった足をゴミ袋でぐるぐる巻きにして隠した主人公が、いたたまれない様子でバスに乗るシーンだ。「人間性はまだあるのに身体が勝手に変化していく」切なさが見事に表れていて、こうしたドラマがもう少し深掘りされていたらと思う。
ラスト、完全な怪物になってしまった主人公が元の声や話し方を使って妻を懐柔しようするシーンでは、子どもの「あれはパパじゃない」一声と怪物然として襲いかかる主人公の姿に妻も我を取り戻すわけだけど、実はかすかに残った父親/夫の心が、わざと子どもを襲うフリをして妻にトドメを刺させたのだと思うと(そんなことでは絶対ないのだけれど)たまらない気持ちになる。そんなことならよかったな。
ダラダラと重箱の隅をつつくような不平不満を書き連ねてきたが、結局のところ、これらを吹き飛ばす「凄み」がこの映画には足りないのだ。それはまるで、優等生であるがゆえに自分の一番輝くシーンを見つけられず、苦悩する就職浪人生のようだ。
スッキリと体良くまとまったハナシ。それ以上でも以下でもない。