「運命」プリデスティネーション SP_Hitoshiさんの映画レビュー(感想・評価)
運命
Predestination とは、キリスト教でいう「予定説」(最後の審判で救済される人間ははじめから決まっている、という説)、もしくは運命、宿命の意味。
まさにこのテーマの映画で、予告の文章にあるようなかっちょいい爽快SFアクションとは全然違う、重く厭世観ただよう内容。
荒唐無稽な設定ながら、演技や映像が非常にリアリティがあって、ありえない話なのにありえるように見えて面白かった。
原因が結果に、結果が原因に、という逆転現象があちこちで起こってわけがわからない状態になっているが、結局主人公の運命は変わらない、変えられない、ということなのか。
この世界観において、歴史が変えられるのかどうか、というのは大きな謎だ。そもそも時空警察のようなものは、犯罪者によって変わってしまった歴史を修正するための組織のはずだし、作中にも歴史の分岐点を作ることは犯罪になるというセリフがある。
ということは歴史は変えられる、はずだが、なぜか主人公にまつわる歴史はまるではじめからその道筋が決まっていたと解釈しなければならないように思う。
少し深読みして解釈すれば、主人公のような歴史から切り離されたループ的自己完結的な存在そのものがありえないのだから、おそらく歴史が変わる前の本来の歴史がもともとは存在していたはずで、何度も複雑な歴史操作が繰り返された結果、ループ的因果関係がどこかの時点で発生し、そこから主人公の歴史変化が止まった(運命が設定された)ということなのかもしれない。
この映画は、運命についてなにか重要なことを示唆しているようにも思えるし、そうでないようにも思う。ただ、人の一生ということについて考えさせる。
親、子、憎む人、愛する人、上司、部下、みんな実は違う時間軸の自分だ、というのは、なぜか現実の人生にもあてはまるような気がする。
そして、時を経ると不可逆的に賢くなるわけでもない。未来の自分を否定することや、過去の自分を尊重することもまた大事なはずだ。