「孤独と怒りの到達点」プリデスティネーション 浮遊きびなごさんの映画レビュー(感想・評価)
孤独と怒りの到達点
今さら偉そうに言うほどのことでも無いが、
SF映画は単なるエンタメ以上のものになり得る。
その世界観を利用して、社会や人間の姿を浮き彫りにすることが出来る。
本作の場合は、タイムトラベルSFの体裁を借りて
ナルシシズム(自己愛)や性的マイノリティの孤独と怒り
を描いているのだろうと、僕は勝手に解釈している。
※ナルシストと言う言葉は自惚れ屋とかの意味で一般に使われるが、
ここで言うナルシシズムはもっとずっと切迫した意味合いだ。
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この物語の設定においては、時の“分流”を防ぐ為、
時空警察の人間は他人と必要以上に接触できない。
しかも主人公ジェーン/ジョンの場合は、
両親はおろか自分を理解し愛してくれる人もいない。
現代以上に性に対する理解が浅い時代なら尚更だ。
(実はタイムトラベラーという設定自体が時代に
受け入れられなかった存在のメタファーなのだろうか)
誰にも愛されない孤独な人生など生きてゆけないと絶望するなら、
あとは自分自身を愛するしか生きる方法はない。
後半のとんでもない展開も、勝手に奪われたかつての自分を
愛しいと思うが故と考えれば納得がいくし、
主人公自身が歴史に名を残す爆弾魔と化し、
己を殺しに来る己を待ち焦がれるというラストにも唸る。
優秀なエージェントだった彼があれほどの惨事を起こすに
至るまでが飛躍し過ぎて思えるのが不満点だが、
「お前が恋しい」と呟いたあのラストから何十年も歳を重ねる内、
理性に歯止めが利かなくなっていったのかもしれない。
どうして誰も自分の存在を受け入れてくれないのか?
どうして誰も自分を愛してくれないのか?
愛してくれるのが自分自身しかいないというなら、
自分を愛してくれないこんな世界なんぞ爆破してしまえ。
この映画にはそんな怒りが渦巻いている。
フィズル・ボマーという爆弾魔の通称を劇中の誰が付けたかは
忘れてしまったが、フィズル(失敗)の名を冠しているのは
主人公自身の「自分はいびつな存在だ」という自己嫌悪の表れなのだろうか。
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映像的な見どころも好み。
まずもって1980年代前後の時代の夜の雰囲気がシブいし、
スペースコープ社の70年代SFチックな雰囲気も良い。
物語のカギとなるタイムマシンも、いかにも近未来風の
ぴかぴかなマシンでは無く、バイオリンケース型。
全時代で通用しそうなトレンチコートにリボルバー拳銃、
1981年から±50年しか移動できないというビミョーな利便性や、
時空を移動した瞬間に空間が収縮/膨張するような演出も、
レトロSF感満載。シブいねえ、おたく、まったくシブいぜ。
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ただ、テーマもミステリとしてのスジも面白かったが、
『ブレードランナー』や『インセプション』級のスタイリッシュな
SFエンタメを期待していると、肩透かしを食らうのも確か。
『タイムコップ』みたいに主人公が華麗な回し蹴りを
喰らわすシーンも無いし。(←その路線は誰も期待してない)
この映画、アクションシーンはほぼ皆無で、
冒頭以外は回想シーンと会話シーンばかりなのである。
中盤までは物語に動きがない(ように見える)ので、
『この映画大丈夫?』と不安になったのも確かだ。
ネタバレ指定にはしたが、もしこれから観る人に紹介するなら
「アクションは無いからミステリ映画として楽しんで」と勧めるだろう。
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最後に、ここのところ作品選びがバツグンのイーサン・ホーク……
も良いけど、それを差し置いても主人公を演じたサラ・スヌークが素晴らしい!
特殊メイクの力もあるがまさか同一人物が演じているとは
途中まで信じられなかったし、そうでなくても相当にタフな役回り。
肉体的にも精神的にもチャレンジングな役に挑んだ彼女に拍手をあげたい。
<2015.02.28鑑賞>
>誰にも愛されない孤独な人生など生きてゆけないと絶望するなら、
あとは自分自身を愛するしか生きる方法はない。
「誰からも愛されない」という境遇だから惹かれた、、、。
すごく腹落ちしました。 「孤独と怒りの到達点」も。
本作の根幹を浮き彫りにする鋭い考察、大変読み応えのあるレビューに感銘を受けました。