の・ようなもの のようなもの : インタビュー
松山ケンイチ&北川景子、森田芳光監督へ捧ぐありったけの惜別メッセージ
松山ケンイチは、4年前の通夜の席で渡された森田芳光監督の写真を部屋に置き続け、「の・ようなもの のようなもの」の撮影中、手を合わせていたという。「撮影終了後に片付けようと思っていたけど、できないんですよね」と語る。森田監督の死を受け止められずにいたという北川景子は、完成した映画で森田監督のクレジットを目にして涙を流し「やっと見送れたのかなという気がした」と語る。(取材・文・写真/黒豆直樹)
2011年に61歳で急逝した森田芳光監督の、1981年公開のデビュー作「の・ようなもの」の35年後を描く続編として製作され、森田組ゆかりのスタッフ、キャストが集結した「の・ようなもの のようなもの」が完成した。生真面目ゆえにサエない落語家・志ん田と師匠の箱入り娘・夕美に扮した松山と北川。生前の森田監督は「次回作は2人の主演で作る!」と意気込んでいたという。
松山は森田監督の遺作となってしまった「僕達急行 A列車で行こう」にも主演しており、4年前の訃報の際は、公開に向けたプロモーションが動き出そうとしていた時期だった。「なんで? という感じで、いまでも亡くなったと実感できないでいるところがある」と語る。
「森田さんが生きていらしたときは『まだ次がある』という気持ちでいた。亡くなって、その言葉も存在もすごく大きくなった。いつだったか、どうやって出演作を決めるべきかと尋ねたら『脚本だよ』と言われたんです。ありがたい言葉であると同時に、それについて、もう尋ね返すこともできないまま、もしかしたらその言葉に縛られているところもあるかもしれない。いまでも残っていて、考えさせられるんです」。
北川は、死の数日前に森田監督とのメールのやり取りで直接「次は松山と北川でやりたい。もう本も書き始めている」と告げられたという。
「だから亡くなったと聞いて『え?』という感じで、仕事はそれでもあるから行かなきゃいけないけど、家に帰ったら信じられなくて涙が止まらない。『間宮兄弟』で私がいろいろ悩んでいたのを知っていたからだと思いますが、クランクアップの時に『このまま女優をやめずに続けてください』と言ってくださったんです。私はそれを『続けていればまた、監督の作品に呼んでいただける』と受け止めて、それからは何でもやって『続けていますよ!』と監督にアピールしていた(笑)。監督の作品に呼んでいただくことがモチベーションになっていたし『これからどうしたらいいの?』『明日、何のために仕事に行くの?』という気持ちで、そこからどうやって持ち直したのかも覚えていないです」。
そんな北川だけではなく、森田組には常に個性的な俳優陣が集まったが、森田監督はいつも温厚。現場での姿について、松山も北川も「いつもニコニコ笑って、面白がっていた」と口をそろえる。一方で、演出に関しては妥協することのない厳しい一面も。松山は言う。
「間や息遣いをすごく大切にされる監督でしたね。初めてご一緒した『椿三十郎』で、あるシーンのリハーサルが終わった時に『本番でも、いまの間ができるまで、何回でもやるからね。フィルムとか関係なしに、できるまでやるぞ』って言われたことあります。僕は最初、『椿三十郎』で初めて森田さんとお会いした時、全然笑っていなくて怖い印象を持ったんですよ。やっぱり、作品が作品だからというのもあったのかもしれない。でも、撮影中盤くらいからすごく笑い出して、僕もそれを見て面白くなって。そのころかな? ふすまを自動ドアのように使うってアイデアを起用したりして大好きになりました」。
北川は、演技面に関して、森田監督から直接、指導されたことは一度もなかったという。
「『間宮兄弟』の時も『北川が思うままにやれ! そうすればちゃんと面白くなるから』とだけ言われました。あれこれ言うと、私が委縮するからそのままやらせた方がいいと思ったんですかね? ケンイチくんみたいに技術がある人には言うし、そうではない私に関しては粗削りな部分を生かして、自由にやらせてその危うさをうまく映画に使ってくださったんじゃないかと思います」。
何も言われなかったことが北川にとっては寂しくもあるようだが、一方で、森田監督が自分の新たな一面を引き出そうとしてくれていることはひしひしと感じていた。
「2作目の『サウスバウンド』の時、『スタイリッシュでモデルっぽい北川の感じを消したいから、ダサい服で、重いカバンを持っているせいでいつも右肩が下がっているって設定にしたい。カッコ悪い北川を撮りたいんだ』と言ってくださって、すごく嬉しかったです」。
森田監督は亡くなったが、その精神は確かに多くのスタッフ、キャストに受け継がれている。今回の「の・ようなもの のようなもの」の現場も、森田組らしい明るさと温かく柔らかい空気に包まれていた。松山は寂しそうに言う。
「いつもの森田組のスタッフがいて、なじみの俳優さんがいて、いないのは森田監督だけでした」。
その言葉を受けて北川も続ける。
「ふとした時に『あれ? 監督は?』となることが多かったので、今回も『森田さん、今日はまだ来てないの?』という感じでした。実際に一度、本当に森田さんがいると錯覚したことがあったんですよ。長年、森田さんと一緒にやっていたから、スタッフさんもみんな、言うことが森田さんっぽいんですよね(笑)」。
改めて、森田監督の存在、そして日本映画界が失ったものの大きさを感じずにいられないが、松山、北川をはじめ、スクリーンに映る森田組なじみの俳優たちの姿、劇場にこだまする観客の笑い声が、何よりの監督へのたむけとなるはずだ。