世界から猫が消えたならのレビュー・感想・評価
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映画マニアの親友 ツタヤがこれを見たら……
例えば、ツタヤが、この映画を見たら何て言うのだろう。
「実につまらない」
と言うのだろう。
ちなみに私は原作を読んではいません。
この映画のみでレビュー致しますと、やるなら現実的に作品作りを目指して欲しかった。携帯が溶ける映像とか……なんか世にも奇妙な物語を見ているかのようでした。
最後に向かって感動的に仕上がっているのに、勿体無いなぁ、と思うのは私だけでしょうか。
泣ける、、?
泣ける!と評判だった割にそこまでの感動は、なかったです。話が浅いという印象です。
全体的に画が暗くて、そんなに暗い必要あったかなあ。
宮崎あおいさんの演技が凄くて、彼女がいると画面が映えます。滝でのシーンカッコよったです。
ブエノスアイレスでの旅人との別れのシーン、リリイシュシュのすべてとどこか似ているような、、。
濱田岳くんと佐藤健くんのシーンが個人的に好きです。
感想
感動はしませんでしたが、良いストーリーとは思います。ただ、失っていく代償の展開がいまいち。母の思い出を失わなかったので、中途半端と感じた。時計店を撮るカメラワークが電王の姉店と似ている気がした。
見る側も物語の中に入るか否かで感動度が違うはず。
ファンタジックな設定に対して意外に淡々と話が進み、中盤までは「ふ~ん」という感じだったけど、現在と回想がぐるぐる混ざり合って、主人公のこれまでの日々を徐々に知っていくうちに、いつの間にか深く深く感情移入させられてた。
こういう静かな映画は、見るときのシチュエーションや心理状態によって印象が変わるだろうな。
元気ハツラツなときにテレビで流し見たら、もしかすると、「うん、各人物がじんわり愛しくて温かみのある映画だね」ぐらいかも。
「今日もあんま大した作業できなかったなぁ、自分なんてイモムシだ…」みたいにイライラ悶々とした感情がジェンガのように積み上がっているときに一人、映画館でじっくり見ると、
鎖骨に涙が溜まるほど、もはや涙なのか水なのか後半よくわからなくなる、涙垂れ流し状態。
映画を見ながら自問自答して、せわしない心もリセット完了。
何気ない日常には愛が溢れていて、そんな日々の積み重ねが自分を形作っていることに気付かされ、
イモムシなりに明日はもうちょっとだけ頑張れるかも、と思えたのでした。
****
ちなみに、回想シーンは断片的に挟み込まれますが、何かを見たときにそれに関連する過去がふと頭をよぎる、そんな感覚が再現されていて、
主人公のその時その時の心情を想像していたら話の流れがすんなり心に入ってきます。
その他、言葉で詳しく説明する紙芝居のような見せ方でなく、映像で匂わす実に映画的で粋な見せ方がされているので、具体的な説明がない部分は観客の想像力に託されています。
主人公の立場になって映像から情報を感じとる必要がある点が、より深い没頭感を生んでいるのですが、
その一方、紙芝居の観客みたいに物語の外から説明をただ待っていると置いてきぼりになるはずです。
悪魔に猫を売ってはいけない
この世界から猫を消してはいけない。猫のいない世界は有りえない。僕はそう思いつめる程に猫を愛してしまっている。
だから、こういう映画に付き合う羽目になってしまった。
結論から言うと、最も泣けるのは予告編である。
本編を見ても一滴の涙も流せなかったし、冒頭部分、ストーリーの流れがすこぶる停滞気味なのも、間延びがして、作品全体の緊張感を欠いてしまう導入になっている。
僕が観賞した劇場では、上映終了後「これ、なんだったの?」と薄ら笑いさえ見せる人もいた。
ただ、本作をみていて、やはり映画好きなスタッフたちによって作られたのだ、ということだけは痛いほどよく伝わってくる。
濱田岳演じる、レンタルビデオ店の「タツヤ君」
彼が主人公に「映画を知りたいならこれを見ろ」と、次から次に、DVDを紹介して行くくだりはとてもいい。
それは濱田岳という個性的な役者さんと「タツヤ君」という人物像が、見事にリンクしたからに他ならない。
本作の撮影はどうやら函館・小樽らしい。本編中の映像はやや重く、色彩のトーンは鈍い。金属的な空間表現であり、空の色も、鉛のように描かれる。
本編、中ほどでは、主人公と恋人が、ブエノスアイレスに旅した時の様子が描かれている。(なお、公式HPのストーリー紹介ではアルゼンチン、ブラジルの旅となっている)
この旅の部分だけは、街中に光と色彩と原色が、咲きこぼれる花のように満ち溢れ、それこそ「生きている」こと、命あふれかえるような描き方が印象的だ。
ここで二人が出会った若い日本人旅行者。その出会いと唐突な別れ。
生き生きとした色彩の元で描かれる残酷な現実と、どんよりとした北国の空の下で、平凡な1日を生きることの鮮やかな対比。
監督はそれを狙ったのだろう、というのは一目瞭然である。
主人公の「僕」は郵便配達員だ。その「僕」に突然、「脳腫瘍」が見つかった。手術はほぼ不可能。いつ、突然死してもおかしくない、と医師から告げられる。
一体、あと何日生きられるのか? それすらわからなくなる「僕」の目の前に、突然もうひとりの「僕」が現れる。そいつは「君の中の悪魔さ」と、うそぶく。
そして「この世から何かひとつを消してしまおう。その代わりに君は1日長く生きられるんだ」と持ちかける。
最初に消されてしまうのは電話だった。
次に映画がこの世から消えた。
そして悪魔は提案する。
「そうだねぇ~、次は、猫をこの世から消してしまおうか」
電話で結ばれた恋人との会話、そして想い出。
それは電話が消えたことによって、全てこの世から消え去っていった。
次に映画が消えることによって、「僕」は、大切な友人「タツヤ君」との関係も失ってしまった。
主人公「僕」の母は、病がちだった。その母を慰め、寄り添い、家族の絆を作ってくれたのは生後間もない「捨て猫」だった。
レタスのダンボールに入れられていたその猫を、家族は「レタス」と名付けた。猫のレタスは天寿を全うし、母に抱かれて息を引き取った。
そして今、目の前にいるのは、おなじく二代目捨て猫の「キャベツ」だ。
自分の1日の「生」と引き換えに、思い出や、愛する人、愛する猫との関係を天秤にかけられるのか?
「何かを得ることは、その引き換えに何かを失うこと」なのだろうか?
本作はそういう世界観で描かれてゆく。
オブラートに包まれているようで、実はかなり残酷な物語のように、僕は受け留めてしまった。
主人公の「僕」は三十歳という設定である。
それに引き換えこの文章を書いている「私」は、いま五十代後半。四捨五入すると六十代なのだ。
人間、五十年も生きているといろんなことがある。
私は十歳の時に母を失った。
高校生の時、結核にかかり、一学年を病院のベッドで過ごした。
のちに下半身麻酔で一度、全身麻酔で三度、手術台の上に乗った。
さすがに三度目の手術の時は、麻酔液が体に入ってくるのを感じながら
「もう、この世には戻ってこれないかも」と半ばあきらめの感があった。
しかし、しぶとく私は生き返っている。
職場で一緒に働いていた若者が、ある日突然、自ら命を絶った。
高校時代のクラスメートが喫茶店を開いた。
その矢先、彼はバイク事故でこの世を去った。
こんなことが五十年生きていると、当たり前の出来事のように起きる。
櫛の歯がかけて行くように、仲間がこの世を去って行く。
私はそれを見送るしかないのか……。
私はいつも思う。
私の1日、いや、私の存在そのものと、彼らの命を交換できないだろうか?
私は未だに「のんべんだらり」と日々を過ごしている。
私の1日に何の意味があるのだろう?
いまも、こうしてつまらない映画レビューなどを書いている。
なぜ世の中に必要な「彼ら」は天に召されたのか?
なぜ世の中にとって「どうでもよい」私は、のうのうと生きているのか?
この残酷な問いかけを、いつも腹に溜め込んで、私は今日も、のうのうと生きている。
人それぞれです。
良いストーリーがあって、語り合える大切な人がいれば、自分にとって名作ですよね。
優しい母親、不器用な父親、未来を誓った恋人、語り合える親友、寄り添ってくれる猫。
幸せな人生じゃ無いですか。
最期の映画を探す親友に、僕は涙が止まらなかったです。この映画は人によって感じ方が違うでしょう。
それが、映画じゃ無いですかね。
もしも世界から○○が消えたら!って考えたことがなくてこの作品をみて...
もしも世界から○○が消えたら!って考えたことがなくてこの作品をみてすごく考えさせてくれる映画でした!
映画上映後泣いてるお客さんが結構いました!
感動したので映画が好きな方は是非みたほうがいいと思います(^^)
期待値が低かったので…
プロデューサーの市川南って、東宝のヒットメーカーなんでしょ?
原作者も、東宝のプロデューサーだけど、この原作が映画に向かないって思わなかったのかな。
ま、人生経験の乏しい、ものを考えない「女子供」や、本当に死に直面してる人、自殺でも考えている人には、こころに刺さる内容の映画かもしれない。
しかし、55歳のおっさんには、まったくもってクズ映画だった。
函館の景色、役者も決して悪くないんだけど、とにかく話が浅い。
見た帰りに、本屋で原作の文庫本を立ち読みした。
確かに、ペラペラのあの小説が本としてある分には、それも「あり」だと思う。
しかし、劇場のスクリーンで上映するには、薄い、浅すぎるよね?
脚本も、岡田恵和って、映画になるとダメな作家なのかなあ。
まったく、心に響くところがなかった。
とにもかくにも、見なくていい映画。
ただ、そもそもの期待値は低く、それからすれば、腹も立たない作品ではあったね。
レタス
こんなに全てが小綺麗な日本映画を観て、素直に心洗われる自分が寂しくも嬉しくもある。
命より大切なものはこの世には無いけれど、掛け替えのないものがたくさんあるからこそ大切な命なのだと。
今日世界から僕が消えても世界は普通に廻って行くが、世界から映画が消えてもらっては困る。
濱田岳が演じるTSUTAYAとのパートは、映画ファンなら涙なくしては観られない。
やはり親子パートで周りからすすり泣く声が聞こえてきてたが、僕はこのTSUTAYAとのやりとりが一番涙腺に効いた。
この手の映画にしては異常なくらいアッサリと終わらせる過剰さのない演出も良かった。
是非“邦画なんて”っていう映画ファンにも観てほしい。
“映画”が猫と同じか、それ以上の重要なギミックになってるから。
むしろ、普段“泣ける邦画”しか見なくて「よーし泣くぞー」っていう気持ちで映画を見るライトな映画ファンより、映画をたくさん見る映画好きの方が心に染みると思う。
劇中の音楽も非常に心地よくて、主題歌も素晴らしかった。
途中から薄々そうじゃないかと思ったが音楽は小林武史、主題歌の作詞作曲も小林武史。
やはり僕にはこの人が合うみたいです。
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予告編など、公開前に「泣ける」を全面に打ち出したのは、興行的には良...
予告編など、公開前に「泣ける」を全面に打ち出したのは、興行的には良かったのかもしれませんが、見る前に偏見を与えてしまったのでもったいなかったと思いました。(「どうせお涙頂戴の安っぽい映画でしょ」と偏見に染まってしまった妻を連れ出すのに苦労しました。)
この映画は、人生はかけがいのないもので満ちているのに、死を意識するまではそのことに気づかず漫然と生きてしまっている。人生の素晴らしさに気付こう、と思わせてくれるものでした。
感動物語
上映中、涙が何度出たことか。
人と人、小さな物事さえも大切に感じさせてくれるそんな映画でした。
現代の日常生活の音や音響をよく使っていて、使いすぎな所もありましたが、そこを音響なしにすればもっと感情移入できたと思います。
ですが、この上なく観て良かったと思える映画でした。
もったいない
全然違うとは思うのですが、なんだか個人的には「今話題の感動の結婚式ムービー」とかで特集されてそうな感じの映像の作りだなーと感じてしまいました。
泣かせようとして結果ちょっと涙ぐませて終わっちゃう感じ。
そりゃーそういう題材使えばある程度の人は涙ぐむだろうけど、そこを超えないと感動とか号泣とまではいかないかなーというのが私の感想です。
同じBGMが繰り返されるので「またか」っていう感覚になりました。
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